1963~1974 管楽器制作に着手

ヤマハ管楽器の歴史

1963年~1974年

管楽器制作に着手


1965年(昭40)年当時の日本管楽器株式会社(現・ヤマハ埼玉工場)


日管インペリアルモデル・TR-1。価格は36,000円だった。

ヤマハ(当時・日本楽器製造株式会社)は、前身を1902年[明35]創業の「江川楽器製作所」までさかのぼる「日本管楽器株式会社」(日管)の経営に、昭和10年代から参画していました。

第2次大戦後、日管は「ニッカン」ブランドを掲げて再出発し、1961年[昭36]には教育楽器の好調に支えられて東証二部に上場を果たすまでになりますが、貿易自由化によって海外製品の輸入が活発になると、管楽器部門は品質向上や市場拡大の立ち遅れが顕著になり、危機的な状況に陥りました。

このような中、ヤマハは海外進出を目指して諸外国の視察を行ないますが、世界の管楽器マーケットの将来性を確認する反面、欧米メーカーの水準の高さと国際競争力の必要性を痛感する結果ともなりました。

そこでヤマハは、日管の管楽器事業を積極的に支援することを決断。1963年[昭38]、まず、生産技術の支援、具体的には冶具・工具、専用機の設計・製作に着手し、同年に新設された日管・埼玉工場にも導入しました。ところが実際には、当時の日管には製品図面というものが一切なく、全製品の設計を一からやり直すことを余儀なくされました。

さらに1965年[昭40]には、開発体制を一本化すべく専門部署として「管楽器研究課」を発足させ、支援を一層本格化させていきました。ヤマハ社内から鉄工や工具のベテランを結集して、生産チームの再編成・レベルアップも図られました。

このようなヤマハ・日管の技術提携の最初の成果が、1965年[昭40]に誕生した「日管改良モデル1号機インペリアルトランペット・TR-1」で、東京・銀座のヤマハホールで発表会が催されました。翌1966年[昭41]には、高級シリーズとして開発されたヤマハ管楽器第1号(トランペットYTR-1)が発売されました。開発にあたっては、実験計画法の導入やオートバイ技術陣の協力といった野心的なチャレンジも行なわれ、以後のたゆみない改良の歴史の出発点となったのです。

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