ハイドンとモーツァルト

音楽史について学ぶ

古典主義の音楽

ハイドンとモーツァルト

モーツァルト
モーツァルト
1732年生れのハイドンが、エステルハージ家の楽長職についたのは、彼が29歳のときでした(当初は副楽長、5年後に楽長)。そして、58歳までの30年にもおよぶ年月にわたって楽長職を務め、その後は自由な音楽家として、名声と富に包まれながらその生涯を静かに終えました。それに対して、優れた音楽家を父として生れ、幼少から英才教育を受けたモーツァルトは、早くからヨーロッパ各地に旅行をして、神童の名を欲しいままにしました。しかし、25歳でウィーンに自立してからの10年間は、経済的にも恵まれず、人からも受け入れられず、不遇ともいうべき境涯のうちにその生を終えたのです。ハイドンの77年という長い生涯のうち、モーツァルトはハイドンの24歳から59歳までの35年間と、僅かにその生涯を重複させているに過ぎません。年齢的にもハイドンの方が24歳も年長であったにもかかわらず、モーツァルトの死後もその活動の時期を伸ばし、ある点では後輩のモーツァルトに影響されたところすら皆無とはいえません。

ハイドンが、古典主義音楽の中心的な課題ともいうべきソナタ形式と、それを含むソナタという形式を確立したのは、1781年に書いた《ロシア弦楽四重奏》においてであるといわれています。確かに、ハイドンは、それ以後の諸作品においてソナタの形式性を確立し、内容や質においてもその充実ぶりを見せているものの、それに人間性を加味して精神的な深みを与えたのは、いうまでもなくベートーヴェンです。ソナタの形式性の確立を含めて、古典主義音楽の成立していく流れを見つめてみると、ベートーヴェンには、モーツァルトよりもハイドンへの絆の方が強いように思えてきます。

それでは、モーツァルトは何をしたのでしょうか? ソナタ形式というのは、第1主題と第2主題を提示し、それらにもとづく展開部をそれに続け、最後に、再び2つの主題を再現するという方式、いいかえれば、きわめてメカニックな論理性に支配される形式といえます。ベートーヴェンがハイドンから受け継いだものは、その論理性にほかなりません。モーツァルトは、その論理性に豊かな色づけと楽しさを与え、そのメカニズムから堅さを取り除いたのです。天才ならではの流れるような優雅な旋律、しかもそれがやや断片的に現れながらも、けっして散漫になりません。そして副主題らしきものを多く出しながらも、微妙で、不規則で多様性に富む旋律様式を生み出す巧みさは、その反面、構成的、論理的には脆さを見せることもないではありません。しかし、それを、モーツァルトはその天才的な能力で、見事に縫合し、まとめ、その脆弱性を逆に利用して、音楽的な情緒性を盛り立てるのに成功したのです。

ハイドンが古典主義音楽の形式性を整え、同じ頃、モーツァルトはそれに情趣を加える工夫をしました。この2つの基盤の上に立って、ベートーヴェンは名実ともに古典主義音楽を完成させたのです。だからこそ、われわれは古典主義の音楽の流れを、この3人の作曲家の生涯のうちに見ることができるのです。