ロマン派の名曲(1)

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ロマン派の名曲(1)

今回はロマン派の名曲、第1回です。シューベルトとメンデルスゾーンの作品を取り上げたいと思います。シューベルトはオーストリアのウィーンで、メンデルスゾーンは主にドイツのライプツィヒで活動しています。祖父が哲学者、父が銀行家という名家に生まれたメンデルスゾーンは指揮者、ピアニストとしての演奏活動や教育活動にも力を注いでいたのに対し、教師の家庭に生まれたシューベルトはあまり華やかな演奏活動をせず、仲間内の集まりなどでピアノを弾くことを好みました。対照的な性格をもつ二人ですが、19世紀前半の作曲家のなかでも幼い頃から才能を発揮した天才という点で共通しています。

フランツ・シューベルト

  • シューベルト:「魔王」
シューベルトは31年という決して長くはない生涯を通じて、600曲もの歌曲を残したため、「歌曲の王」と呼ばれることがあります。ドイツの文豪ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩に基づく「魔王」は、18歳の年、1815年に作曲されています。この年は歌曲がたくさん書かれ、なんと145曲も作曲されていますが、そのなかでも「魔王」は傑作の名に相応しいものです。翌年、シューベルトの友人の一人がゲーテに宛ててシューベルトが作曲した「魔王」の楽譜を送付していますが、ゲーテからはなんの返事もこなかったそうです。この時点ではシューベルトの音楽の新しさが理解できなかったのでしょうか。しかし1830年にゲーテがこの作品を聴いたとき、まるで絵画を見ているかのように情景が浮かんでくると評し、シューベルトの才能を評価しました。


モーリツ・フォン・シュヴィント作「魔王」

この作品は、嵐の吹きすさぶ真夜中に、父親子供をつれて馬を駆るようすが詠われています。子供は魔王がいることに気づいて、怖がりますが、父親は取り合いません。しかし、魔王はその子供を殺してしまい、父親が気づいた時には既に息絶えていたのです。シューベルトの音楽は、3人の登場人物の対話をオペラのように劇的に表現していきます。歌を支えるピアノ伴奏が走る馬の蹄鉄の響きや嵐のようすを描写し、歌詞の内容を深めている点も重要です。当時の歌曲は、詩を朗読するときのリズムを真似て簡単な旋律にし、伴奏も歌を控えめに支える役割に徹するのがふつうでした(ゲーテもそのような歌曲を評価しています)。ところが、シューベルトの「魔王」は音楽の力を大いに活用することで、詩の内容を劇的に表現しているのです。その意味で、シューベルトは新しい歌曲のあり方を明確に示した最初の作曲家であると言えます。「歌曲の王」というニックネームは単に作品の多さだけでなく、内容の豊かさも指しているのです。
  • シューベルト:連作歌曲集「冬の旅」
この連作歌曲集は、ミュラーという詩人が書いた24編の詩に作曲されています。これらの詩は互いに関連のない内容ではなく、全体で一つのストーリーを物語っています。結婚の約束までしながら失恋してしまった若者が、恋人のもとを去り、さすらいの旅を続けるというお話で、自分の本当の居場所を求め続ける「さすらい」というテーマは、シューベルト自身が、そしてロマン派の作曲家や詩人たちが好んだものでした。「冬の旅」では、恋人への未練を残しつつも、それを断ち切ろうと決意する若者の心が揺れるさまが描写されていきます。全編にわたって暗い色調が支配的ですが、有名な「ぼだい樹」のように束の間の光が見いだされる曲も含まれています。


モーリッツ・フォン・シュヴィント作「シューベルティアーデ」

シューベルトは、多くの詩を並べて一つの物語を形作った詩集に作曲する「連作歌曲集」という分野は、他にも「美しき水車小屋の娘」がありますが、どちらも男声歌手によって歌われる名作として有名です。とりわけ、「冬の旅」は一晩の演奏会で取り上げるのに適した規模を持っているためか、鑑賞の機会がすばぬけて多い作品と言えるでしょう(最近では女声歌手が取り上げることも増えてきました)。「冬の旅」はシューベルトが亡くなる前年、1827年に作曲されています。前半の12曲は1828年の1月に出版され、続けて後半の12曲も出版される運びとなっていました。病床に伏していたシューベルトはその校正刷りのチェックを最後までしていましたが、出版される前に亡くなってしまったのです。余りにも短い人生でしたが、その最後の時期に作曲された「冬の旅」は現在においても名曲として歌い継がれているのです。
  • シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」
シューベルトは歌曲だけを作曲していたわけではありません。オペラや教会音楽にも少なからぬ作品がありますし、器楽曲の創作にも意欲的でした。器楽曲のなかで、おそらく最も有名なのがこの「未完成」でしょう。「未完成」というニックネームは、第1楽章と第2楽章しか完成しておらず、第3楽章は簡単なスケッチのみ、第4楽章にいたっては着手すらされていないからです。したがって、この作品は最初の2つの楽章からなっているのです。なぜ途中で作曲を止めてしまったのでしょうか。その理由はわかりません。しかし、大編成のオーケストラを必要とする交響曲を、演奏されるあてもないのに作曲することは不自然ですから、中断したと考えられるでしょう。2つの楽章で内容的に十分だったので、第3楽章以下を書かなかったという俗説は、4楽章構成が一般的だった当時の交響曲のあり方からすれば、まずありえません。


「未完成」の自筆譜

第1楽章の冒頭は当時の一般的な交響曲の開始法と比較すると、非常に独特なものがあります。チェロやコントラバスが弱々しい音で不気味な性格の旋律を弾くことで始まるのです。続いて現れる旋律はクラリネットやオーボエを中心とした息の長いもの。歌曲の作曲家らしい旋律の美しさはこの交響曲の大きな魅力の一つと言えるでしょう。第2楽章は、悲劇的な色彩の濃かった第1楽章とは対照的に、天国的な調べで始まります。途中で第1楽章の思わせる荒々しい響きが挿入されているだけに、最初の旋律のはかない美しさがより印象的です。この楽章の後、シューベルトはどのような音楽を考えていたのでしょうか。前述のように、第3楽章には簡単なスケッチが残っており、このスケッチに基づいて別の作曲家が作り上げた「補作版」も存在します。そしてシューベルトの他の作品から借りてきたものを第4楽章として、4楽章版の交響曲として演奏されることもたまにあります。しかし、これはまさに蛇足というべき行為であり、シューベルトが完成した最初の2つの楽章だけで十分満足でしょう。

フェリックス・メンデルスゾーン

  • メンデルスゾーン:序曲「真夏の夜の夢」作品21

序曲「真夏の夜の夢」の
タイトルページ
メンデルスゾーンは幼少時より音楽の才能を発揮し、モーツァルトに勝るとも劣らない神童でした。この序曲は、17歳の年、1826年に作曲されています。現在でも最も人気の高いメンデルスゾーン作品の一つで、とても17歳の少年が作った音楽とは思えません。

この序曲は、イギリスの文豪ウィリアム・シェイクスピアの「真夏の夜の夢」という戯曲を読んだメンデルスゾーンが、その内容を音楽で描写しようとして作曲しました。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」は真夏の夜、森のなかで繰り広げられる妖精の世界での、愉快な恋物語です。メンデルスゾーンは神秘的な妖精の世界を見事に表現しています。冒頭で、管楽器によって奏される4つの和音は昼の世界から夜の世界へと移り変わったことを示し、続いて妖精たちが森のなかで楽しく遊んでいるような旋律が現れます。このような「妖精の音楽」はメンデルスゾーンが得意としたもので、他の作品でも似たような音楽が使われることがあります。

この序曲の作曲から16年後の1842年に、メンデルスゾーンはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」を演劇として上演する際に使用するための劇音楽を作曲することとなりました(有名な「結婚行進曲」はこの劇音楽に含まれます)。既に33歳となり、円熟の極みにあった作曲家にとっても、「若書き」の序曲は自信作であったのでしょう。新たに劇音楽を作曲するにあたり、メンデルスゾーンは少年時代に作った序曲から旋律を借りているのです。
  • メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
数多あるヴァイオリン協奏曲のなかでも、ベートーヴェンやチャイコフスキーの作品と並び称される傑作で、1844年に作曲されています。この頃、メンデルスゾーンはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めており、この楽団のコンサートマスターであったフェルディナント・ダーフィトと親しくしていました。この協奏曲はこのダーフィトのために書かれています。ダーフィトは国際的に活躍した名手で、初演以来忘れ去られていたベートーヴェンの協奏曲を演奏して、この作品の真価を広く知らしめたという功績があった音楽家でした。メンデルスゾーンはこのダーフィトのアドヴァイスを受けながら作曲を進め、傑作を生み出すことができたのです。


ゲヴァントハウスのホール

この作品は3つの楽章からなっていますが、楽章の間に休みを置かずに続けて演奏されます。こうした構成法はメンデルスゾーンの発明ではありませんが、彼が協奏曲において好んだものです。短い前奏に続いて現れる独奏ヴァイオリンの旋律は悲しくも美しく、一度聴いたら忘れられません。オーケストラによる長い前奏の後に独奏者が演奏を開始するのが当たり前だった時代に、このような開始は聴衆たちに強い印象を残したに違いありません。第2楽章はゆっくりとしたテンポに乗って、独奏ヴァイオリンがこれまた美しい旋律を奏でていきます。美しい旋律を生み出す才能はまさに天性のものとしか言いようがないでしょう。第3楽章では、打って変わってリズミカルな動きが満載された主題で始まり、独奏ヴァイオリンの華やかな技巧が目立ちます。この楽章の軽快な性格は、序曲「真夏の夜の夢」の項で触れた「妖精の音楽」にも通じるものがあるのではないでしょうか。ヴァイオリンという楽器の特性と魅力を最大限に引き出したこの協奏曲の人気が衰えることなく続いているのも大いに頷けます。