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ピアニスト黒田亜樹のミラノ通信

2013年10月25日 更新

vol05顔をしかめられつつも…

チャオ! イタリアより黒田亜樹です!
在住10年のうちに見えてきたミラノの魅力、イタリアの真実を、ミラノ通信としてお届けしています。
今回は、Vol.4で教則本をご紹介したポッツォーリについてのお話です。

これまで2度にわたってご紹介してきたイタリアのピアノメソードについてのお話は、いかがでしたか? 前回、教則本の一つとしてポッツォーリをご紹介しましたが、イタリアのピアノ教育において、やはり彼の名前を欠かすことはできません。今回はそのポッツォーリについてのお話です。
「ポッツォーリ」というとイタリアのピアノ学習者たちは思いきり顔をしかめます。それは、日本で「ツェルニー」というと子どもたちが顔をしかめる様と似ています。さらにポッツォーリの練習曲のしつこさ、細かさ、要求の高さ、教本の数の多さは、ツェルニーの比ではありません。ハノンとツェルニーとクラマーとコルトーの教本を合わせたような種類と数だといえば、イタリアの子どもたちの顔のしかめ具合がどんなものか、想像していただけるでしょう。

娘を亡くした悲しみから音楽教育に没頭

エットレ・ポッツォーリ

エットレ・ポッツォーリ Ettore Pozzoli は、1873年にミラノとコモの間にある小都市セレーニョで生まれ、ピアニストであり作曲家、そして音楽教育者としても著名でした。作曲の師であるヴィンチェンツォ・フェッローニ Vincenzo Ferroni(1858-1934)は、パリ音楽院で《タイスの瞑想曲》で知られるマスネに作曲を師事し、フーガのコンクールで第1位をとったのち、パリ音楽院で和声などを教えていました。《ジョコンダ》で有名なオペラ作曲家アミルカレ・ポンキエッリ(1834-1886)の没後、空いたままだったミラノ国立音楽院の作曲科教授に任命され、1888年より24年の長きにわたり同音楽院の副音楽院長も務めました。彼のもとではポッツォーリをはじめ、高名なオペラ指揮者のガヴァッツェーニも学んでいます。

ピアノの師は、ミラノ近郊のモンツァ生まれのヴィンチェンツォ・アッピアーニ Vincenzo Appiani(1850-1932)で、1893年からミラノ音楽院でピアノ科の教授を務めた人です。

ポッツォーリは、ミラノ国立音楽院の学生だった頃から、1894年にディプロマをとったピアノと、1896年にディプロマをとった作曲の両面で類稀な才能を発揮し、作曲活動、演奏活動ともに旺盛な活動を誇りました。次第に彼の興味は作曲へと傾き、〈弦楽四重奏曲〉、〈ピアノ三重奏曲〉、ピアノとオーケストラのための〈主題と変奏〉などを次々と発表。大成功を収めます。ブラームスやワーグナーなどの和声に通じ、特にドビュッシーの影響を強く受けたポッツォーリは、評論家からはフランス傾向の作曲家として認識され、当時のイタリアの流行とは一線を画していたようです。

その後オペラ作曲家として身を立てようとしますが、初めに興味をひかれた『ペレアスとメリザンド』の台本はドビュッシーがすでに契約を交わしていたり、フワンソワ・コッペの戯曲をオペラにしたいと思うと、マスカーニが同じ台本で《ザネット》というオペラを仕上げてしまったり、不運続きだったようです。とはいえ、彼のアコーディオンの作品はその世界では大変重要なレパートリーであり、現在でも頻繁に演奏されています。

そうこうするうち、1897年から(1938年まで)ミラノ音楽院で教鞭をとることになり、1902年にはうら若きアルト歌手だったジーナ・ガンビーニと結婚。ところが、二人の間にうまれた娘エルザが3歳で亡くなり、その深い悲しみもあって、以後は音楽教育に没頭するようになったのだといいます。

音楽表現の向上をめざした巨人のような教育者

こうしてポッツォーリは、現在もイタリアの音楽院で盛んに使われている『ソルフェージュ教本Solfeggi parlati e cantati』『音楽理論概論Il Sunto di Teoria Musicale』『聴音教授法のための理論と実技概論la Guida Teorico-Pratica per l'insegnamento del Dettato Musicale』などのほか、前にも述べた数多くのピアノ練習曲やピアノ教本を多数残しました。
『音階のための練習曲』『同音反復のための練習曲』『親指の運動のための練習曲』のほか、『小グラドゥス・パルナッスム(クレメンティのための予備練習曲)』『中級練習曲Studi di media difficoltà』『ピアノのための迅速な動きのための練習曲Studi a moto rapido』など、現在でもピアノの学生に広く使われている練習曲は数え切れないほど。リコルディから出版されているピアノ初心者のための有名な曲集『わたしのはじめてのバッハ Il mio primo Bach』『わたしのはじめのシューマンIl mio primo Schumann』を編纂したのもポッツォーリです。

左:『ピアニストのための毎日の技巧課題集』より 音階のリズム変奏/中:『ソルフェージュ音名読みと歌唱練習』より ハ音記号をすらすら読めるようになるための課題 拍子やテンポ表示にも高度な指示が/右:『ピアノのための迅速な動きのための練習曲』より

彼はコルトーのピアノ教本のような、ピアノ演奏に欠かせない指や腕の技術向上のための練習曲を多く残しただけでなく、音楽的な素養を深めるための何百曲というソルフェージュ作品を書いていて、リズムや音程、音楽表現の向上をめざした、文字通り巨人のような教育者だったことがわかります。

これほど音楽教育全般に影響を与えた教育者は、イタリアでは他に例がないと思います。実際、彼の練習曲やソルフェージュ教本は現在でも全国の国立音楽院に共通するほぼ唯一の課題として幅広く使われていて、その完成度の高さを如実に物語っていますが、これは驚くべきことではないでしょうか。

実はつい先日、学校の授業で使われているポッツォーリのソルフェージュの課題を見て、あまりに難しくて仰天しました。日本で使われているダンノーゼルよりずっと歌いづらく、初見ではとても読みきれない複雑なリズムがずっと続いていて、イタリアの学生はこんな課題がすらすら読めるかとびっくりしたものでしたが、やはりそう簡単にはいかないようです。

ポッツォーリは1957年に生地と同じセレーニョで没します。残された妻ジーナは夫の遺志を汲み、若いピアニストを助け、広く演奏の機会を与えるべく、ポッツォーリの名を冠したピアノ・コンクールをセレーニョで始めました。この〈Concorso Pianistico Internazionale "Ettore Pozzoli"〉は2011年9月で27回の開催を数え、今や世界有数のコンクールの一つとして知られるようになりました。この第1回の優勝者がマウリツィオ・ポリーニなのをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

左:第1回(1959年)ポッツォーリ・コンクールで演奏するポリーニ/右:第25回(2005年)ポッツォーリ国際ピアノコンクールのステージ

強靭な信念とともに一生を音楽教育にささげたポッツォーリ。その人生に、わたしは心を動かされずにはいられません。そして、彼が蒔いた種が、こうして時代を経て、深く大きく根を張って、今も音楽を志す無数の若者に、顔をしかめられつつも愛されていることに、あらためて感激をおぼえるのです。

Profile:黒田 亜樹 Aki Kuroda

東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、イタリア・ペスカーラ音楽院高等課程を最高位修了。 フランス音楽コンクール第1位。フランス大使賞、朝日放送賞受賞。ジローナ20世紀音楽コンクール現代作品特別賞受賞。現代音楽演奏コンクール(日本現代音楽協会主催)で優勝、第6回朝日現代音楽賞受賞。 卓越した技術と鋭い感性は同時代の作曲家からの信頼も高く、「ISCM世界音楽の日々」「現代の音楽展」「サントリーサマーフェスティバル」「B→Cバッハからコンテンポラリー」などに出演、内外作品の初演を多数手がけてきた。

現代音楽の分野にとどまらず、葉加瀬太郎(ヴァイオリン)、小松亮太(バンドネオン)、三柴理(筋肉少女帯)、藤原真理(チェロ)、漆原啓子(ヴァイオリン)、橋本一子(ジャズピアノ)、RIKKI(島唄)らと共演。ポップス、タンゴ、ワールド・ミュージック、アヴァンギャルド、舞台音楽など、ジャンルを超越したユニークな活動を行っており、TV番組やCM音楽の作曲やアレンジ等も数多く、作曲家植松伸夫氏の指名により収録した「ファイナルファンタジーXピアノコレクション」でも話題となる。傾倒するアストル・ピアソラの演奏に於いて内外の評価を確立し、ビクターより2枚のアルバム「タンゴ・プレリュード」「タンゴ2000(ミレニアム)」をリリース。アルゼンチン・タンゴの本質を捉えた表現と大胆なアレンジは各方面で注目される。

以後、ミラノに拠点を構え、イタリアやスイスなどの作曲家・演奏家とのコラボレーションで、欧州各国へ活動の場を広げており、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレとイタリア、日本で定期的にデュオを続けるほか、オーボエのダヴィド・ワルター、トランペットのアントンセン、プロメテオSQ、指揮のジョルジョ・ベルナスコーニらと共演する。サルデーニャ・カリアリのSpazio Musica現代音楽祭では、図形楽譜を含むブソッティ最新作、「Tastiera Poetica(詩的鍵盤)」(2008)を世界初演した。

イタリア・パルマのレッジョ劇場で、70年代ロックのカリスマ、キース・エマーソンの代表作「タルカス」を、作曲家マウリツィオ・ピサーティと共に現代作品として蘇演、ムソルグスキーの「展覧会の絵」との斬新な組み合わせで、聴衆に熱狂的に迎えられる。
引き続き、ミラノでレコーディングした3rdアルバム「タルカス&展覧会の絵」をビクターより発表。ロック、クラシックファン双方から支持されキース・エマーソン自身より賞賛される。2009年シチリア・カターニアのエトネ音楽祭にて、ELPのフィルムとともに「展覧会の絵&タルカス」を演奏。満場の観客を総立ちにさせた。

20世紀作品を中心としたレパートリーでは、ソロ活動のほか国内外の主要なオーケストラ、アンサンブルと共演しており、レパートリーには、ジャズの即興演奏のカデンツァを含むレジス・カンポのピアノ協奏曲のほか、シェーンベルクのピアノ協奏曲、エマーソンのピアノ協奏曲、ジャレルのピアノ協奏曲「Abschied」、南聡のピアノ協奏曲「彩色計画」などが含まれる。

各地での活発なセミナーのほか、ミラノG.マルツィアーリ音楽院より定期的に特別講師として招かれ、国際コンクールの上位入賞者を多数輩出。ピアノ演奏法の優れた教師としても知られる。

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黒田亜樹公式ホームページ http://kuroaki.net

この記事は、2012年5月発行の『ピアノの本』No.222 に掲載された
〈黒田亜樹のミラノ通信 Vol. 5〉に加筆・修正したものです。

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