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  • フランス/Fête de la Musique(音楽の日)

「Fête de la Musiqueが市民社会で担う役割と意味」

フランス現地レポート ~後篇~2014.04.28

西部沙緒里氏
西部沙緒里はたらくミュージシャン協会(はたミュー)
発起人・共同代表/ヤマハおとまち パートナー
20-50代からなる“音楽エンターテインメント社会人集団“、はたミュー。「音楽に参加する楽しさを広げ、音楽の担い手を世界にふやす」をミッションに活動、全ての市民音楽家のコミュニティー・プラットフォームとなることを夢見る。自身は都内の広告会社で勤務しながら、「音楽」・「群馬」を二大テーマに各種プロジェクトを展開、群馬県人会理事も務める。執筆参加に、『地域を変えるデザイン』(英治出版/2011)WEBサイト(http://www.worklifemusic.org

"市民の誇り"であり、やがては"まちの財産"となる。「パリの精神」を育み、未来へと語り継ぐ音楽祭

年に一度、6月21日のパリに出現する、「音楽が全ての人のもの」になる一日。それが、Fête de la Musique(邦題:「音楽の日」)です。前篇を受けた本稿では、かの地で30年余りの歳月を経たFête de la Musique が、パリの市民社会で担う役割と意味を、現地リポートとともに紐解いてみたいと思います。
音楽とともにある一日。その積み重ねが、社会にもたらしたこと
6月21日=夏至の日の、パリ。初夏の街をぶらぶらと巡った行程をたどり、改めて、強く蘇ってくる感覚がありました。それは、「この日は外で音楽を楽しむ日」という暗黙の空気が、一日じゅう、街じゅうに流れていたこと。中でも驚いたのは、音楽好きにとってだけではなく、特段興味がない人にとっても、ごく当たり前に生活の一部になっている様子だったことです。

「フランス人と音楽の距離は、とても近いと思う。節約好きの彼らはお金を払ってまでカラオケには行かないけれど、音楽がどこからか流れると、誰でもどこでも(会議中はさすがにあり得ないとしても)踊ったり、歌ったりし始めるよ」とは、前篇にも登場した、パリ在住10年以上の友人の談。
実際に多くのパリっ子は、子ども時代からFête de la Musique を経験して育ち、大人になります。街に生音がある環境に慣れ親しんでいること。それこそが、今日のフランス人と音楽との距離感をつくっているようにも思えます。

友人の言葉を証明するように、街では、象徴的なシーンにいくつも出合いました。例えば、メトロ(地下鉄)に乗って移動中、大きなギターケースを抱えたおじさんが乗り込んで来たと思えば、おもむろに楽器を取り出し、突如車内で豪快な弾き語りが始まったり。はたまた、とある住宅街の一角では、道を隔てた両脇の歩道右側にトランペット、左側にサックスがスタンバイ。道路を対面ステージに、二人だけの極上セッションが繰り広げられていたり。

どちらもレアな出来事のようですが、ここはフランス。市民にとっては日常の延長線上なのでしょう。誰もが自然にそれを受け入れ、体を揺らす人や喝采する人もあれば、全く意に介さない人もあり、皆いたって自由にしている。演者は周囲がどうあれ、演奏することをいとわない。もちろん、ギター弾きはメトロの許可など取っていないでしょうし、金管の二人も周辺住民を気にして神経をすり減す様子はまるで無く、ともにのびのびと演奏しています。
自己責任の文化に裏打ちされた、表現する自由、楽しむことの自由
この日のパリには、実に様々な関わり方、楽しみ方がありました。さらに言えば、この"フランス流"の楽しみ方の中には、外が明るいので22時を過ぎても遊び回る子ども達や、普段は取り締まられる路上飲酒をここぞとばかり満喫する姿等、少々ヒヤっとするようなエピソードまでもが、含まれているわけです。

改めて、全ての経験を回想しつつ想いを馳せること。それは、パリの人々が謳歌していた自由の裏側にあった、「自律」と「自己責任」の文化についてです。 誰もが自由に振舞うことを許容できる社会と、そこには必ず責任がともなうことを知っている市民。こうして、30年前に国家が掲げた旗を、市民一人ひとりのプライドと自覚意識で守り、育て、そして次世代に受け継いできた歴史こそが、フランスのFête de la Musique の「本質」であると感じました。

一日の終盤、日没の遅いパリの空がようやく夕闇に覆われ始めた頃。繁華街のストリートで、イルミネーションやショーウィンドーにも負けず、街に彩りを添えていたブラスバンド隊の打楽器奏者エリックは、満面の笑顔で、こんなことを話してくれました。

「もう10年になる。10年間、毎年かならずこの場所で、このメンバーで街に立ち続けているんだ。プロミュージシャンもいれば、僕も含めた他のほとんどのメンバーは皆、他に仕事をもっている。見た通り、高齢のメンバーもいるよ。けれど、毎年のこの日を目標に、この日があるから、がんばって来られた気がするのさ。だから仲間とやる音楽は、やめられないね」
日本における「音楽の祭日」のいまと、これから
Fête de la Musique は、1985年にヨーロッパ諸国とパートナー憲章を結んだことをきっかけに海外に発展、その後20数年を経て、現在では世界中の100カ国、400以上の都市でも開催されています。その中にはもちろん、わが国日本も含まれています。この文の締めくくりとして、日本版Fête de la Musique である「音楽の祭日」の東京事務局コーディネーター・野原幸広さんに、お話を聞きました。

「国内開催は、大阪を中心とした関西圏と、大田区を中心とした東京23区内で行ってきて、今年で10年目を迎えます(取材時/2013年時点)。実は日本での開催日は、6月21日だけではありません。というのも、この時期と言えばちょうど梅雨の真っ最中。雨天中止のリスクが常につきまといます。そこで、国内で広げて行く工夫として、『音楽の祭日月間』のような形で前後の約1ヶ月を使い開催している点が、本国のFête de la Musique との大きな違いです。
東京の例では、市民の皆さんからなる運営委員がアイデア出しをしたり、地元を開催地としてプロデューサーになってくれたりと、活躍してくれています。約10年やって、ようやく根付いてきたという感覚がありますね。毎年欠かさず出演してくれる人や、出演者の誘いで新たに出てくれる人。お店やバーから、『うちの店使ってくれない?』と引き合いをいただくこともあります。つながりがつながりを呼び、関係者も年々増えてきました。
将来的には、東京23区の隅々で、まんべんなく音楽が鳴っているという状況をつくりたい。会場も、外に開かれた空間をもっと活用していきたいです。さらには、各地の音楽祭等と連携して、全国にも広げて行けたらと思いますね」


日本でもいつか、「音楽の日」が全ての人のものとなり、日常を慈しむ気持ちで、世界の人と夏の始まりをお祝いする。そんな日が、迎えられたらいいですね。
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