おとまち 音楽の街づくり事業

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おとまち 音楽の街づくり事業

プロジェクト

課題解決に向けた取り組み

  • テーマ:街の歴史を未来へつなぐ音楽祭とは

春日大社×春日野音楽祭実行委員会×おとまち

春日大社×春日野音楽祭実行委員会×おとまち Photo by sencame

Project Report 街づくりの記録01
〜春日野音楽祭の立ち上げ〜

2017.05.29

千古の文化を踏まえ、
音楽による新たな奉祝行事を考える

Report by おとまち/吉田

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな(伊勢大輔)

これは平安時代後期に宮中で読まれた句です。
平城京から京都に都が移った以降、奈良は日本で「最古の古都」として、日本文化の根源的な姿を今に伝えています。
その奈良で、新たな街づくりの一環として立ち上がった「春日野音楽祭」について、まずは立ち上げの経緯をご紹介します

目次
  • 春日野音楽祭 立ち上げから開催まで
  • 日本文化の原点をたどる①
    〜春日大社 宮司インタビュー〜
  • 春日野音楽祭と街づくりへの想い①
    〜初代実行委員長インタビュー〜
  • 春日野音楽祭 おとまちの役割

春日大社境内「飛火野(とびひの)」 春日大社境内「飛火野(とびひの)」。御蓋山(みかさやま)を仰ぐ古代祭祀の地だったとされる。
平安時代には若菜摘みや花見など遊びの名所として宮中からの人でにぎわった。

(提供 春日大社)

春日大社と奈良の文化

皆さんはなぜ、奈良公園にあれだけたくさんの野生の鹿がいるかご存知でしょうか?神護景雲2年(西暦768年)、茨城県の鹿島から神様が白い鹿に乗って奈良に降り立たれ、春日大社は創建されたと言い伝えられています。それ以来、奈良の鹿は、神の使い【神鹿】として大切に護られてきたそうです。

来年で創建1250年を迎える春日大社は、もともとは平城京の守り神であり、国家安泰を願う神社として創建されました。都が京都に移ってからも、宮中(現在の皇居)で執り行われていたお祭りがいくつも春日大社に移されており、現在に至るまで非常に宮中とつながりの深い神社です。

奈良時代、海を渡って大陸の文化がたくさん流入してきました。奈良は「シルクロードの終着点」といえる場所であり、今なお様々な海外文化の原型といえるものが地域に残されています。
神鹿もそうですが、奈良にはものごとの本来の姿を大切に護っていくという、日本人の根底となる思想が千年もの年月を超えて培われている場所だと感じます。

春日大社本殿まえ林檎の庭からのぞむ中門 春日大社本殿まえ林檎の庭からのぞむ中門。
20年に一度、御殿を新たにする「式年造替(しきねんぞうたい)」が1,200年以上続けられている。

第1回春日野音楽祭立ち上げから開催まで
〜市民参加の新たな奉祝行事を創る〜

宮中との関わりもあり、年間を通じて非常にたくさんのお祭りを行なっている春日大社ですが、その中でももっとも盛大なものが、20年に一度、社殿や御神宝を新たにする「式年造替(しきねんぞうたい)」です。

実際のご造替に関わる神事は、神職の方や宮大工の方々などプロフェッショナルの手で行われますが、その完成を祝う奉祝行事を市民参加の形で実施することが検討されました。

追ってご紹介しますが、春日大社は歌舞音曲(かぶおんぎょく)といった芸能にも非常に縁の深い神社です。【音楽で式年造替を祝う】というおおもととなるアイデアについて、おとまちにご相談いただく形で今回のプロジェクトはスタートしました。

春日野音楽祭実行委員会の皆さま 春日野音楽祭実行委員会の皆さま。日ごろから奈良の街づくりに尽力されている方々が中心となり、
新たな奉祝行事として「春日野音楽祭」に取り組んでいる。

プレイベント開催

春日野音楽祭実行委員会は式年造替の本番から2年半まえの2014年4月に立ち上げられました。委員の皆さんは、現在も奈良に根付く燈花会(とうかえ)という灯のイベントや、平城京天平祭という歴史イベントなどの立ち上げに関われてきた、奈良の街づくり経験者が中心です。

「市民参加型で」「街中をステージに」「奉納演奏を行う」といった核となるコンセプトを固めて、準備は進められて行きました。

2015年10月には、翌年の第1回春日野音楽祭に向けた「春日野音楽祭プレイベント」を開催。100名を超える市民ボランティアと400名以上の演奏参加者とともに、奈良で市民音楽祭を開催する実践的トライアルを行いました。

春日野音楽祭プレイベントは2015年10月18日に開催。10ヶ所のまちなかステージでは、
公募による70組250名の演奏者が奈良の町を音楽で彩り、
フィナーレ「奉納大合奏」では150名以上の演奏参加者とともに会場を音楽でひとつにした。

第1回春日野音楽祭開催へ

明けて2016年。11月6日に「第六十次式年造替」の本殿遷座祭(ほんでんせんざさい:仮の御殿にいらっしゃる神様が美しくなった御本殿にお還りになる行事)が執り行われる前祝いとして、9月17日と18日の2日間にわたり「第1回春日野音楽祭」を開催しました。

プレイベントでも実施した公募による市民ステージと、メイン会場における大合奏企画を柱に、より奈良らしい音楽祭として位置づけるための様々な企画が盛り込まれました。

そのひとつは春日大社境内にあって広大な芝生が広がる「飛火野」でのスペシャルステージ。奈良を愛するアーティストの一人、さだまさしさんによる野外コンサートが開催されました。

もうひとつは、春日大社御本殿まえにある「林檎の庭」での特別奉納演奏です。「シルクロードの終着点」を表現するために、アメリカからウィリアム・アッカーマン氏を招聘し、押尾コータローさん、三橋貴風さん、トッド・ボストンさんとともに日米の音楽交流となる演奏が行われました。

奉納大合奏企画 2016年9月17日と18日の2日間開催で、まちなかステージには150組500名が奉納演奏を実施。
オープニングとフィナーレで実施したふたつの奉納大合奏企画を合わせて
1,000名を超える参加者が御蓋山(みかさやま)に演奏を奉納した。

奉納鍵盤ハーモニカ大合奏 左:雨の中開催された子供たちによる「奉納鍵盤ハーモニカ大合奏」
右:音楽祭を締めくくるフィナーレ「奉納大合奏・大合唱」

春日大社本殿前「林檎の庭」 春日大社本殿前「林檎の庭」で行われた世界的ギタリスト ウィリアム・アッカーマンさんらによる特別奉納演奏。西洋人がこの場所で奉納演奏を行うのは、春日大社創建以来初とのこと。(Photo by sencame)

すべての参加者の皆さんとともに作り上げたこの音楽祭は、今回限りの奉祝行事としてではなく、奈良の新たな文化として未来につながっていく。そんな期待感とともに第1回春日野音楽祭は締めくくられました。

日本文化の原点をたどる①

春日大社
宮司 花山院 弘匡さん

1,000年まえも今も
人間の本質は変わらない。
人間の営みは過去も現在も未来も
すべてつながっているのです。

花山院(かさんのいん)家第33代当主 花山院(かさんのいん)家第33代当主。奈良県立奈良高校などで地理担当の教師を経て、2008年より現職。
花山院家は、藤原道長の孫で関白師実の次男家忠を祖に11世紀に創立。
五摂家に次ぐ九清華家のひとつで旧候爵家。

春日大社は奈良時代にできた、関白に関わるお社です。つまり藤原氏の氏神様で聖武天皇の皇后である光明皇后から大正天皇皇后に至るまでほとんどの皇后が藤原氏ですので、皇后のご実家の氏神さまにあたります。飛鳥時代から天皇のご祖先の天照大神様を祀るのが伊勢神宮。そして奈良時代からの皇后のご祖先の天児屋根命様(あめのこやねのみこと)を祀るのが春日大社ということになります。

その意味で、春日大社の御本殿は、伊勢神宮と同様に国家国民のことをお祈りする神様で、個人のお願いを聞く場所ではありませんでした。ただ、平安時代の終わりに、若宮が創建され、ここでは国家国民のことも、個人のお願いも聞いてくれるお社として大人気となりました。若宮のまえにある神楽殿は日本最古と言われていますが、当時は「神楽の音止まず」と言われるほど、朝から晩まで市中の人々が神楽をお願いしに来られたそうです。

この若宮社の神様に、芸能を奉納するお祭りが、毎年12月17日に斎行される「春日若宮おん祭」です。これは春日祭に次ぐ大きなお祭で、900年近くにわたり最高の祭祀と芸能が受け継がれ、国指定重要無形民俗文化財となっています。おん祭は17日の午前0時に始まり24時に終わるお祭りで、神様が若宮社の御殿から御旅所(おたびしょ)まで、ご旅行をされます。これは日本の神様が遷られる古代最高の形で、平安時代中期までの伊勢神宮の遷座の形が残っている国内唯一のものです。

遷幸の儀(せんこうのぎ) 春日若宮おん祭について 12月17日深夜0時にはじまる「遷幸の儀(せんこうのぎ)」
の後に御旅所にて行われる「暁祭(あかつきさい)」の様子。
日中執り行われる御旅所祭では、8時間かけて様々な舞や音楽が奉納される。

私はよくいうのですが、人間というのは1,000年まえも今も一緒なんです。好みの異性がいれば好きになって楽しいし、子供が産まれたら元気に大きくなってほしいと願う。病の親には早く治って長生きしてほしい。自分も豊かな生活を続けたいと願うものです。人間の思い、つまり優しい心や悲しい気持ちは1,000年まえも今も何も変わらない、まったく一緒なのです。ある意味、人間の営みというのは、過去のことも現在のことも未来のこともすべてつながっていると思います。このつながりの中で、人々が人生を過ごしています。だから、昔の人は違うように思いがちですが、人間にとって大切なものというか、本質というのは、実は何にも変わらない。神様へ祈る親の気持ちも子の気持ちも、本質は変わらない。1,000年間、神様への数多の祈りが、この場所の土地に記憶として残っているのです。

神道は日本固有の宗教で、その場所に意味があります。春日大社が、御蓋山(みかさやま)を神山としているようにその土地が特別な場所であり、ここにある意味があるのです。

お祭りは、神様に色々なものを捧げ、お喜びいただき、御加護をいただくことです。なかでも音楽というのは、人間の幸せの表現です。神様のもとに人々が集い、その素晴らしい音楽を神様に捧げて、共に聴いて楽しむ。そして、幸せを共感しあって、土地の記憶として残される。そうして次第に地域の文化が豊かになっていく。これは「春日若宮おん祭」も「春日野音楽祭」もまったく一緒のことなのです。

春日野音楽祭と街づくりへの想い①

初代実行委員長 乾 昌弘さん

音楽の見えない力を実感しました。
継続することで新しい奈良の魅力
になっていくと思います。

奈良市観光協会会長 奈良市観光協会会長、奈良商工会議所副会頭なども務め、30年にわたり奈良の街づくりに貢献してきた乾さん。
「奈良の中で観光に関係ない業種ってほとんどないと思うんです。
だから、奈良は観光にもっと特化していったらいいんじゃないでしょうか。」

奈良はご存じのとおり、歴史文化遺産がものすごく数多くありますが、それに頼りきっていて新しいものを生み出すっていう気運が少なかった気がします。それが、この10数年の間に新しいイベントが次々と出てきましてね。結果的に新しいものと今までの古い歴史文化遺産と、いいスパイラルで上昇しつつあるんです。これからますます面白い、楽しい奈良になっていくと思いますよ。

春日野音楽祭の立ち上げにあたっては、この行事を通じて、奈良中が音楽であふれて、演奏する側も聞く側も楽しんでもらえるようになったらいいなという想いで関わって来ました。おとまちさんをはじめ、様々な方のご協力があってなんとかやり遂げられましたが、正直なところ、奈良でこの音楽祭がちゃんと成立するのか、不安のほうが大きかったです。

終わってから気づいたのですが、「春日の神様に音楽を奉納しよう」という趣旨は非常に意義が大きいものだったなと。実際に演奏まえにみんなが御蓋山に向かって拝礼してから演奏始めるというのは、やっぱり奈良らしい。非常にいい感じでした。

式年造替の奉祝行事ということでは、音楽じゃない選択肢もあったと思いますが、終わってみて、音楽祭で良かったって、すごく思います。音楽の力というのはなかなか想像できないもんですが、すごいパワーがあるんですね。ステージで演奏がはじまると、観光に来られた外国人の方もその場で踊ったり、一緒に盛り上がってくれるんですよ。音楽って世界共通のものだと、そういう意味でも見えない力というものを実感しました。

通りがかりの観光客や世代を超えた様々な方が音楽を通じ合う瞬間が生まれた 音楽祭当日、通りがかりの観光客や世代を超えた様々な方が音楽を通じ合う瞬間が生まれた。

わたしは奈良の街づくりに関わって30年になりますが、奈良の人の考え方もこの30年でちょっとずつ変わってきてるのかなって思います。たとえば、燈花会という、ろうそくを奈良公園に並べて、灯りを楽しんでいただく夏のイベントがあるんですが、もう来年で20年になります。いまでは奈良の一大イベントになっていますが、それまでの奈良の夏の観光といったら、夏枯れと言って、まったくお客さんがいなかった。でも、燈花会は10日間で百数十万人が来るイベントになっています。立ち上げ当初はハードルがたくさんありました。奈良公園で火をつけるとはなっちゅうこっちゃねんと(笑)。

でも、続けることによって街の人の意識は変わってきたんです。いろんなイベントを通じて思うのは、とにかく継続することが大事やなと。きっとこの春日野音楽祭も続けていくことで、奈良にはなくてはならない音楽祭になれる要素は十分あると思います。

春日野音楽祭もステージをどんどん増やして、出演者の方には全国から来ていただき、春日野音楽祭に出たい!と思っていただけるような音楽祭にしたいですね。見に来ていただける方も、春日野音楽祭を目当てに来ていただきつつ、奥深い奈良の歴史や文化、楽しさを知っていただく。ひいては、それが奈良の観光や経済活性につながる。そんな音楽祭になったらなと思います。

春日野音楽祭におけるヤマハおとまちの役割

春日野音楽祭は、第60次式年造替の奉祝行事としてスタートしました。具体的な企画立案にあたり、まず「市民参加型で」「街中をステージに」「奉納演奏を行う」という核となるコンセプトを実行委員会の皆さんと共有しました。

奈良の皆さんから、【日本の音楽の根源が祈りである】ということや、【音楽が人々の幸せの表現である】といった日本文化の根源的なお話をうかがう中で、この音楽祭は「おん祭」をはじめとした春日大社と芸能とのゆかりの深さを現代風に伝えることが重要だと考えました。そうした経緯でまとめたこの音楽祭の核となる「音楽を奉納する」というコンセプトは、これがただのお祭騒ぎではなく、奈良らしい音楽祭となるための重要な要素であると考えました。

20年に一度の式年造替を祝い、自ら演奏を「奉納する」という市民音楽祭は全国的に見ても非常に貴重な体験になりますので、奈良の街を舞台に演奏をしたいという方々は各地から楽器を持って集まってくれるだろうと確信していました。

音楽祭の準備にあたり、まちなかステージの企画や運営の仕組み作りや、参加型奉納大合奏の企画・制作、プロのアーティストを招聘した特別奉納演奏の企画・制作・運営を行い、奈良でしかできない特別な音楽祭を地域の皆さんと一緒につくっていくことができました。

運営実務については、実行委員の皆さんにとって初めて実施する市民音楽祭ということもあり、まちなかステージの出演者募集や選考についての流れ、事前準備や広報発信といった業務を事務局の皆さんと一緒に検討して進めてきました。

どの企画においてもそうですが、地域の人たちの想いに共感してひとつになることと、よそ者ならではの視点を思い切って提案すること、それを音楽というツールを使うことでバランスを取っていくことが、おとまちが関わる意義なのだと考えています。

実行委員会会議風景。委員会の皆さんからは、おとまちに対して「同じ実行委員として奈良の街づくりのための音楽祭という考え方を提供してくれた」「奈良の魅力を客観的な立場から引き出してくれた」という評価をいただいた。

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