「おとまちが目指す未来の街づくりとは」 プロジェクトデザイナー古田秘馬さん対談
音楽の街づくり事業 おとまち
コンテクスト
持続可能な社会資産の創造へ
- 音を切り口とした街づくりの“のびしろ”
「おとまちが目指す未来の街づくりとは」
プロジェクトデザイナー古田秘馬さん対談







音楽を通してコミュニティを育むのがおとまち
リーダー佐藤さんと音を切り口にした街づくりの“のびしろ”について語りあってもらいました。
古田秘馬(以下・古田) 「おとまち」のコンセプトは「音楽を通してコミュニティをつくり、街を活性化する」こと、ですよね?
佐藤雅樹(以下・佐藤) はい。音楽にはその力があると考えているんですよ。たとえば路上ライブですばらしい演奏が聞こえてきたら思わず足をとめるパワーがある。そんな演奏をするためには練習をする必要があり、そこでも人と人がつながる機会が生まれる。いろんな角度で音楽は人と人をつなげる機会を与えくれます。音楽をツールとしたら街に人を集め、コミュニティを生むチャンスになる。それが街の活性化につながると信じ、2009年から全国のいろんな場所で市民音楽祭や文化施設との連携をさせていただいているわけです。
古田:コミュニティの輪を広げやすいのは音楽の強み、ですよね。僕も街づくりのプロジェクトをお手伝いをさせていただくことが多いのですが、やはり「コミュニティをいかに生み出すか」が成功のカギだと強く感じる。具体的にいうと街に〝居場所と出番〞をつくることだと思うんです。たとえば、学校や会社は自分の「居場所」も「出番」も見つけやすい。自分が所属する共同体の一員として役割を担っている意識があると当然、愛着も湧く。ところが、地域に目を向けると、途端そうした「居場所」や「出番」が見つけにくい。
佐藤:特に都市部では消防隊や町内会で街の清掃をする、という機会が減っていますしね。
古田:そうです。裏を返すとコミュニティが存続している地域は、街の中に「居場所」や「出番」があるからだともいえるんですよ。「自分がいなければこの社会が成り立たない」となれば、誰しも燃えますから(笑)。そして音楽というのは街の中で居場所と出番をつくる最強のツールだと思う。その代表は、祭り囃子です。
佐藤:篠笛や和太鼓ですね。祭りには欠かせない存在でもある。
古田 ええ。だから篠笛の演奏者は「ソーシャルステイタス」になるんです。同時に、佐藤さんがおっしゃったように本番までに練習を重ね、準備することでまた地域とのつながりが密になる。街の中に音楽があるということは、つまり居場所と出番を増やすことになり、そんな場のある地域を大事に育もうとする人を増やすことでもある。それこそ「音楽がコミュニティを育む」意義だと思うんです。
佐藤:おっしゃる通りですね。「おとまち」で市民ビッグバンドを育成するプログラムや参加型ジャムセッションをすると本当にすばらしい演奏者が大勢現れ、そんな方々の楽しそうな姿であふれます。学生時代までは、きっと軽音部や学園祭という場があった。しかし社会人になるとその場がないんでしょう。ウォンツを感じます。
古田:どの街にも祭りがあったように、そもそも街にはそんな音楽が、祭り囃子のような音楽の演者の居場所と出番があって当然だったんでしょう。「おとまち」は街に、そんな場を取り戻す作業ともいえるのかもしれませんね。
古田:音楽ではなく音にまでさかのぼってもありますよね。各地で聞こえる〝そこならではの音〞が。
佐藤:「港町で海から吹き込んでくる海風の音」や「山寺で響き渡る鐘の音」といったものですか?
古田:はい。ワインでいうテロワール。その土地々々で土が異なりワインの味が変わるように、気候風土や文化に最適化されたすばらしい味わいの「音」が、本来、日本全国の地域にはある。それが価値化されていないだけでね。
地域の音を求めるサウンドツーリズムなどがあってもいい

佐藤:実は以前別の部署にいるときに日本各地の自然音を採集し、環境音楽などの作成をしていたことがあるんです。奥入瀬渓流のせせらぎの音や野麦峠にそよぐ風音といった具合です。 それは確かにすばらしい。日本は何て豊かな音が聞こえる場なんだと感じました。
古田:それは観光資源になりうるものですよ。音は言語も関係無いからインバウンドにもなる。そもそも「1曲約3分」でパッケージ化された音楽は、もはやコモディティ化しています。食でたとえると冷凍食品。利便性は高く、栄養的な満足は得られるけど「感動」まで味わいづらい。だからいまは多くの人がオーガニックな食や農業体験を通した地産地消などにこそ価値を感じている。同じことが音、音楽でも起きるのでは?
佐藤:その話で思い出したのですが、私はコントラバスを下手の横好きで習っていますが、その先生が「奈良の室生寺。あのひなびた階段を歩く時にドビュッシーを聴くと、いいんだよ」という。だから実際iPodで聴きながら歩いてみたら、本当に涙があふれてきたんです(笑)。つまりその土地々々の風景とそこにある音、加えて音楽をかけあわすことで、さらに豊かな「音の価値」が生まれる可能性がある気はします。
古田:それいいじゃないですか!「室生寺の階段を歩きながらドビュッシーの演奏をライブでやる」でもいいし、「流氷の割れる音を聴きながら、DJがレコードをつないでいく」のもおもしろい。気候風土に地域差が激しい日本だからこそ成り立つ音の付加価値づくりができますよね。「おとまち」がそうした新たな音の場づくりのプラットフォームになるのも意義がありますよね。「この地域は夏に吹く大地の風の音がすばらしく、こんな音楽と合うよ」と音と気候と風土と歴史を、重層的に感じられる場づくりができたらクリエイターの刺激にもなるはず。
佐藤:そこも大事な視点だと思っているんです。「地域に価値化されていない音」同様に人材も埋もれている。たとえばまったく音楽を奏でる機会の無い元音大生や、元バンドマンが埋もれてしまっています。こうした方々に活動の居場所と出番を提供する。しかも、それが我が街の音づくり、地域の魅力づくりにつながるということは、何よりもモチベーションとなり幸せな体験になりますよね。地域に根ざした新たな音の文化が生まれ育つ。
古田:いわば地産地消ですよね。
地域にはまだまだ埋もれた音楽資源もあると思っています

古田:そういう意味でもコミュニティから価値をつくることが大切なんじゃないでしょうか。観光でいうと、かつては団体旅行が一般的だった。たとえば「佐渡ヶ島に行きたい人」を50人集め、バスで乗り込み、金山を見て、魚介を食べて、能も見る。ただ団体旅行だからコストは下がるけど、参加者の満足度も低くなりましたよね。「本当は金山を堪能したい」「とにかく料理を味わいたい」とニーズがバラバラの人が集まり、各自の満足を少しずつ満たすわけだから。
佐藤:ただ、これはいまの「おとまち」の活動もふくめ音楽全般に言えることですが、マネタイズの仕組みづくりが難しいんですよね。
古田:そういう意味でもコミュニティから価値をつくることが大切なんじゃないでしょうか。観光でいうと、かつては団体旅行が一般的だった。たとえば「佐渡ヶ島に行きたい人」を50人集め、バスで乗り込み、金山を見て、魚介を食べて、能も見る。ただ団体旅行だからコストは下がるけど、参加者の満足度も低くなりましたよね。「本当は金山を堪能したい」「とにかく料理を味わいたい」とニーズがバラバラの人が集まり、各自の満足を少しずつ満たすわけだから。
佐藤:そうですね。だからといって個人旅行では満足度は高まるけど、当然コストも高くなる。
古田:ええ。そんなジレンマを解消するのが「コミュニティ旅行」なんですよ。たとえば、私がプロデュースしている『丸の内朝大学』では和太鼓クラスがある。そこには朝から和太鼓を学ぶ30名ほどのビジネスパーソンがいる。ひとつの圧倒的な価値観でつながったコミュニティですよね。このコミュニティが佐渡旅行するなら「鼓童(佐渡の和太鼓グループ)に学ぼう!」だけでいい。魚介も金山も飛ばした団体旅行が成立するわけです。リーズナブルかつ満足度も高い。「音による街おこし」をマネタイズというか価値化するには、このコミュニティ消費の視点が大事になると思うんですよ。
佐藤:なるほど。街の音、音楽、演奏者、聴衆、価値化の手法……。あらゆる部分で、まだまだ「おとまち」ができることがありますね。