【Z BLOG】三木 俊雄:最近のジャズ

僕は1996年から約11年間「オープン・セサミ」という衛星放送ラジオ番組のホストを務めていた。
ジャズクラブでの生演奏を紹介するのだが、その合間にミュージシャンのインタビューが入る。
僕がそこで必ずしていたのは「いま注目している若手は誰か?」という質問。
それに対しある年代以上の、いわゆるベテランといわれるミュージシャンの答えはみな「最近の音楽は聴いていない」というものだった。
理由は「面白くない」あるいは「その元になったオリジナルを知っているから」というもの。
そしてそれらは「最後まで聴いていられない」。
僕は内心「あぁ、こうやってミュージシャンは年を取っていくのか」と思ったものだ。
そして自分は出来ればそうなりたくないものだとも。



しかしやがて月日は流れ、今度はいつの間にか自分自身が情報のアップデートを怠っていることに気づく。
もちろんジャズサックスの若手という狭い範囲では色々アンテナを広げていたし、それなりによく知っている方だとは思う。
ジャズシーン全体ではどうだろう、当然ピンと来る音楽はよく聴くがそうでないものは聴かない。
昔はその選別にある程度の、いや言ってみれば絶大な自信を持っており、自分の好きな音楽なりプレーヤーを手繰って行けば必ず新しくピンと来る音楽に出会えた。



しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、世の中には実に色々な音楽があるもの。
そして最近はコレのどこがイイのかサッパリわからない音楽がある。まるで違う言語を聞いているような。
もちろん元々縁のないものだと思えばそれはそれでいいだろう。
世界は必ずしも一つではなく、生涯出会うことも交わることもないそれは存在する。
問題は、僕がこれこそはと感じたミュージシャンから手繰って辿り着いた音楽が全くピンと来なかった場合。これがこの所とても多い。
誰かを聴き、そしてその誰かが持っていて僕の持っていないもの、あるいはその誰かが聴いていて僕が聴いていないものに出会う。
僕の音楽の地平を拡げてくれたのは常にそういう体験だった。
しかし今、そういったミュージシャンが与えてくれる未知なる世界に戸惑い、失望し、退屈を感じる自分がいる。
まさに「最後まで聴いていられない」のだ。



ある調査によれば人間は35歳を過ぎると新しい音楽を聴かなくなる、らしい。
僕の場合はもう少し遅く45くらいからだっただろうか。もちろんリスナーであれば何の問題も無い。しかしこちらは作る側。
とは言え、市場を調査し売れるモノを作るという立場でも無い。
ある年代の者はその年代の音楽を聴き続けることによって初めて到達することのできる境地なり深みもあるだろう。
またそのように各年代の音楽が層として重なり、時折交わりながらも概ね並行して進んでいくことによって音楽の多様性が保たれている、と言えるかもしれない。



しかし、いつの間にかそこにパックリと開いた「言語の断絶」とも言える亀裂の淵を覗くとき、何とも言えないゾッとするものを感じるのはきっと僕だけではないと思うのだが。