【Z BLOG】三木 俊雄:「神々の対決とスマホ」

将棋はまったくの門外漢だが、最近話題のトッププロによる不正疑惑問題は興味深く眺めている。
公式にはアナウンスされていないが、もはやコンピューターが人間の将棋を凌駕しているのは明らかだ。
将棋の世界は今まで極々一部の天才、将棋の神に選ばれた者のみがプロとなり、言わばその「神々の対決」をファンが固唾を飲んで見守ってきた。
しかし今やその「神々」が誰でも持っている小さなスマホにも敵わない時代に入っている。
いや、それはそれとして、人間ドラマとしての将棋ならば今後も存在する余地はあるだろう。だからこそ、その人間によるコンピュータを利用したカンニングは許されないのだ。

しかし本当の問題はまた別のところにあるように思う。
それはルールを知り、実際にプレーする者のみが「将棋ファン」となり、それ以外の門外漢を取り込むことの極めて難しいこの世界の収入のほとんどが、新聞のタイトル戦の賞金に依存していることだ。
大手新聞には必ずある将棋欄、何と「赤旗」にも載っており「新人王戦」のスポンサーとなっている。
しかしウェブ全盛の現在、今やその存在意義さえ問われ始めている「新聞」
今や大手新聞社も経営的には重大な曲がり角に来ていると言える。
そんな中で多額の賞金を拠出するタイトル戦を開催し、新聞の紙面に棋譜を掲載することが、将棋ファンの新聞購読を新たに生み出し、あるいは維持することに今後も資するのであろうか、という問題。僕は門外漢なので将棋欄に目を通したことはないが、あれを理由に新聞を取っているという人はどれくらいいるのだろうか。
現在は各社横並びの状態ではあるが、今後もしその中の一社でもタイトル戦のスポンサーから降りれば、雪崩を打つように状況は一変するような気がする。

音楽と同様、将棋も別に無くても困らない娯楽の一つだ。その中でもルールを知り、プレーしなければ楽しめない将棋はかなり特殊な娯楽と言えるだろう。しかしその特殊性こそが熱心なファンを掴み続けているわけで、これはある部分ではジャズと共通する。
ただ、今後どうやってもコンピューターに勝ち目のないものに果たして人生のすべてを賭ける若者がこれからも出てくるものなのか、という疑問は残るだろう。
「娯楽としての」そして「職業としての」将棋という世界の今後を注目していきたい。