【Z BLOG】三木 俊雄:開拓派と受け入れ派 その1

お昼のTBSラジオ 「ジェーン・スー 生活は踊る」はもともと土曜日夕方の「相談は踊る」をやっていた彼女が、長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」の後を継ぐ形で抜擢された番組。
ジェーン・スー(作詞家、コラムニストのペンネームで日本人)さんは一人っ子で、現在も独身のいわゆるアラフォー女性。そのため、いわゆる「働くお一人様女性」の代弁者として高い人気を誇る。

番組の中にもこの「相談は踊る」のコーナーがあり、毎回いろいろな相談が寄せられる。
お昼のAMラジオということもあり、相談者は女性が多い。相談の内容もやはり妙齢女性の恋愛、結婚、出産、あるいは夫婦間のトラブルに関するものが多く、独身のスーさんと家庭持ちのパートナー(この番組ではアシスタントをこう呼ぶ)という違った立場の二人によって質問に答えていく。

僕がこの番組を聴いていてよく思うのは、「人間は自分の人生をどれくらいコントロール出来るのだろうか?」ということ。
つまり運命を「切り拓いていく」のか「受け入れていく」のか。

もう両方とも亡くなってしまったが、うちの両親は見合い結婚だった。二人の結婚が正確にいつだったかは知らないが、おそらく昭和30年頃だろう。当時はお見合い結婚が半数以上を占めてた。

お見合いには「釣書」という、自分のみならず家族の学歴、職業などのプロフィール、場合よっては家系図とかも書かれている身上書を交換する。
女性の社会進出のまだ少なかった時代、結婚は「永久就職」と言われていた。つまり今で言えば男性の釣書は企業のIRであり、女性のそれはESということになるだろう。

僕はお見合い結婚というものをしたことがないので分かったようなことは何も言えないが、見ず知らずの者同士が釣書の条件を擦りわせ、ほとんど恋愛期間のないまま結婚するのだとすれば、彼らは一体「運命開拓派」なのか、それとも「運命受け入れ派」なのか。

そして何より僕が不思議だったのは、そんな両親は果たして愛し合っていたのだろうか?ということ。
父は母のことを「オイ!」と呼んでいたし、あまり仲が良いようには見えなかった。とはいうものの子供は4人もいる。

父が亡くなる直前、母にそのことを聞いてみたことがある。

母は僕が9歳の頃、大病を患い一年近く入院していた。
その母の入院中に父が海外出張に出掛けることになった。
当時は飛行機に乗って海外に行くというのは一大事で、出発前に父が母の病室を訪れた。しかし出発の時間が迫るのに父はなかなか立ち上がろうとしない。「ホラもう、遅れちゃうから」と母が促すと立ち上ったが、背中を向けたまま立っている。「どうしたの?早く行かないと」と言うと父は背中を向けまま「愛してるよ」と言ったらしい。

その話を聞いて僕はイスから転げ落ちそうになった。
親父はああ見えてちゃんとやることはやっていたのだ。

(つづく)