【Z BLOG】菅野 浩:「中学生のころ」

皆さんこんにちは、サックス&クロマチックハーモニカ奏者の菅野浩です。

今回は、8/11(土) 山中湖中学校「Blue Lake Beat」の定期演奏会へのゲスト出演や、8/24(金)文化放送「ガキパラ」へ出演した際、中学生の頃を思い出す事が多かったので、振り返ってまとめてみようと思います。

小学5年生の頃、チェッカーズがデビュー。しかし運動が好きだった僕は、楽器を始めるでもなく外で遊びまくっていた。

中学に進学すると、部活動に興味を持ち最初はバスケ部に入りたいと思っていた。でも当時は身体の成長期の何かで、これ以上運動すると足のかかとにヒビが入ると医者に言われ運動を禁止されていた。そこで同じ小学校からきた仲の良い友達Kくんにどの部に入るか尋ねたところ、「吹奏楽部でサックスやりたい」との事。「ん?サックスて何?」の僕の問いに「チェッカーズの尚之の楽器だよ~」と教わり、あ、それなら俺も!てことでそのKくんと吹奏楽部へ入部。
Kくんと僕は共にサックスを希望したがKくんは身体が大きかったので残念ながらチューバへ回され、サックスパートは別の小学校からきた女子Oさんと僕の二人に決まった。身体が小さかった僕はアルトサックスに。Oさんは身体が僕より大きかったので、テナーサックスへ、後にファゴットなどに回されしまいには部を去ってしまった。。(吹奏楽部あるある。Oさんどうしてるかなぁ。。)
最初に手にしたサックスはYAS-32だった。

中学2年に進級し、お前ナベサダを知らないのか!と同級生のトランペットのTくんに指摘され、渡辺貞夫さんやMALTAさん、Tスクエアなどを聴き始め、ついにジャズを聴き漁るように
なった。今思えばうっかり中二病を発症してしまったという感じか。図書館で借りることのできたベニー・グッドマンやハリー・ジェームス、チャーリー・パーカーなどの名盤や新進気鋭のドナルド・ハリソン&テレンス・ブランチャードなどのアルバムを愛聴していた。ミュージックエイトから発売されていたチェッカーズの吹奏楽アレンジをやる時には俄然ヤル気を出していた。
小学生の頃は先輩後輩とゆう概念が無く私服で誰とでも遊んで過ごしていたが、中学に入るとネクタイ付きの制服に身を包み、いきなり上級生を先輩と呼び敬語を使わなければならなかった。中学2年になると僕のことを先輩と呼ぶ後輩ができてしまう。この時期ってのは先輩と後輩の間に挟まれ、まさに社会の縮図を体感する初めての時期ではないだろうか。そんな時、ジャズに出会ってしまった。

中学3年になると、ジャズ熱も更に増し、夏にはなんと先述のトランペットTくんの親戚がマウントフジジャズフェスティバル’88の全ステージのチケットと宿を取ってくれるとのこと。なんてこった!全部タダですよ!とにかくそのTくんの親戚に感謝しつつ、何もわからないまま中3男子二人だけで観に行くことに。時はバブル絶頂期。酒の味を知らない中3男子二人。ロイ・ハーグローブ(tp)氏初来日。ボビー・ワトソン(as)の循環呼吸に惚れる。昨今のロックフェス同様の盛り上がり方をしていたのは当時はこのジャズフェスくらいではなかろうか。
オトナの遊び場でした。

先日、山中湖中学校のビッグバンド「Blue Lake Beat」の定期演奏会でゲスト出演させていただいたその会場はなんとマウントフジジャズフェスティバルが開催されていた場所!
今では「山中湖交流プラザ きらら」とゆう野外ライブができるイベントスペースになっていました。
中学生がビッグバンドであの場所で演奏する。そこに僕がゲストで出演する。
こんなこと想像もつきませんでした。
なんだか感慨深いですね。



晴れていれば背後には富士山が見えるはず。

話は戻ってチェッカーズ。
武田真治さんがパーソナリティの文化放送「ガキパラ」への出演は、先日8/24で2回目でしたが、初めて出演した時は真治さんもチェッカーズがきっかけでサックスを始めたとのことで意気投合。何かチェッカーズの曲を吹いてみてと言われたのに何も応えられずに悔しい思いを。。先日の出演時にはそのリベンジとしてネタを仕込んで臨みました。
今回も何か曲をとふられたので「ギザギザハートの子守唄」のイントロを吹きだすと途中から真治さんも一緒に吹いてきた!嬉し~!
ひっそりと感動しておりました(^^)

思いがけず初心に帰る機会に恵まれた今年の夏。10代の頃の「好き」はずっと心に残るもんですね。
山中湖中学校の生徒たちの目に僕はどのように映ったのだろう。別の場所で会うことあったら教えてね。
あと、僕が突然チェッカーズの曲を吹きだしても、温かい目で見守ってください(^^)

では皆さん、残暑にはお気をつけて。