三木 俊雄

【Z BLOG】三木 俊雄:職業としてのジャズミュージシャン

僕の教えている大学の高校生向けの学校案内、いわゆるオープンキャンパスでは参加者のアンケートを取る。おそらくどこの大学でも似たようなものであるだろうが、その中の質問に将来の希望進路、職種を尋ねるものがある。

僕が教え始めた15年ほど前は「ジャズミュージシャン」あるいは漠然と「プロミュージシャン」というのが多かったが、やがて「スタジオミュージシャン」「J-Popのツアーサポート」と書く参加者が多くなってきた。
またつい先日もクラシックのサックス専攻の学生が「スタジオミュージシャンになるためにはどうすれば良いのでしょうか」と質問してきた。

さすが最近の若者は現実的で堅実な将来設計をしているものだなと思ったのだが、さて本当にそうだろうか?

ジャズというと食べて行けない音楽の代名詞のように思われてきたが、周りを見渡してみれば、広い意味でのジャズミュージシャンは音楽の職業として最も長期的に食べて行けてるのではないだろうか。どうもそんな気がする。

個人的には何もJ-Popや歌謡曲のバックをやりたくて楽器を始めた訳ではなく、また周りの仲間の多くもそうだった。しかし当然ながらジャズだけで生計を立てていくのは難しく、いろいろな仕事を実際にやってみて、それまで外から見ていたのでは分からなかった面白さ、奥深さを感じ、そちらに軸足を置いて活動している、というプレーヤーは多い。

そもそも昔からあらゆる商業音楽の現場を担ってきたのはジャズミュージシャンだった。今でも多くのスタジオミュージシャン、JPopプロデューサーはそのキャリアをジャズミュージシャンとしてスタートさせている方々が非常に多い。
それはおそらく彼らが書かれている音楽と書かれていない音楽の両方を演奏し、また作ることできるからだろう。これは一つの特殊技能であり、最近ではそれを養成する学校も多い。
その意味で音楽の職業としてのジャズミュージシャンという選択と、そのためのスキルを身につけるのはかなり現実的で合理的と言える。

「あたし、アイドルになりたいの」
「ゆ、許さん!」
「俺はロックバンドでメジャーデビューするぜ」
「何をバカなことを。現実を見ろ!」
「僕はジャズミュージシャンになろうと思うんだけど」
「そうか、頑張ってバークリーのスカラーシップを取れ」

親子でこんなやりとりがなされるようになってくるような気がする。

【Z BLOG】三木 俊雄:ストイックなケチ

まだ二十代だった頃、大変お世話になった先輩ミュージシャンがいた。
プレーはもちろん素晴らしいのだが、とにかく女性にモテた。確かに同性の僕から見ても実にカッコイイと思った。
彼は独身で、当時随分長く付き合っている女性がいたので、何かの話の流れで「結婚はしないのですか?」と聞いたことがあった。

「結婚?無いな。自分の人生は自分のために使いたいだろ?」

ミュージシャンの多くはこの「自分の人生は自分のために使いたい」という考えをその根底に持っているように思う。
これは人生における自己の理想を追求し、そのための向上心と純粋さを保ち続ける、というアーティスティックでストイックな面とともに、利己的で人に何かを与える、あるいは分かち合うことのできないケチな面を併せ持つ。
まさにミュージシャンにはこの様な人間が多い。そしておそらく僕もその一人だと思う。

おそらくミュージシャンに限らず、こう言う類の人は多くいる。ちょっと極端なのになると、テレビでたまに見る「人里離れた僻地での自給自足」もそんな感じがするし、広い意味では「ミニマリスト」や「断捨離」「電気を使わない生活」などもそうだろう。つまり個人の主義主張としては理解し共感できるものの、皆んながそれをやり出したら世の中は成り立たなくってしまう、というもの。
したがってそれが許されるのはごく限られた人達であり、まさにそれゆえ「アーティスティックでストイックなライフスタイル」というわけだ。
当然周りからの風当たりは強くなる。そしてそれは概ね善意によるものだ。

僕も独身が長かったので、その頃はいろいろなアドバイスを頂いた。
結婚をした人は「結婚はいいぞ」と言っていたし、離婚をして独身に戻った人は「焦らない方がいい」。
結婚したらしたで子供を持つ人は「なるべく早く子供を作れ」また「一人っ子はかわいそうだ。二人以上がいいぞ」と言う。そしてそのどれもがそれぞれ一定の説得力を持っていた。
つまり皆さん自分の選んだ、あるいは置かれた状況に幸せを感じているようだ。これはとてもいいことだと思う。ただその形態は一つではない。

なので、たとえ自分の経験から導き出されたものであっても、こういう話はあまりしないように心掛けている。ごく一部の親しい人を除いては。

【Z BLOG】三木 俊雄:フジロック・フェスティバル2017

今年もフジロックに行ってきました。
去年に引き続き、メインステージである「グリーン」のトリ。今年は最終日でビョークの後。
そして今年は僕のバンド、「フロントページ・オーケストラ」単体でのステージもあった。「カフェ・ド・パリ」で、こちらもトリ。

今年のフジロックは去年とは打って変わって生憎の雨模様。「カフェ・ド・パリ」は会場の一番奥にあり、エントランスからは歩いて1時間以上かかる。そこを雨合羽に長靴ではるばる聴きにきてくれたお客さん。

僕らの前は戸川純さんのバンドでツインドラム。ステージの袖から覗いて見たが、耳を破りお腹に響く重低音、「あぁ、確かにこれがロックコンサートというものだ」という強烈なもの。ステージ際まで観客はすし詰めで皆、頭を強く振っている。

この後でやるのか… と一抹の不安もよぎるが、それも一つの楽しみでもある。
このアウェー感に満ちた状況で僕達が普段やっている通りの音楽がどのように受け入れられるのか、日頃ジャズには縁が薄い人たちを60分帰らせないことが出来るのか。

この後のグリーンステージで演奏する「G&G ミラー・オーケストラ」の音楽監督である外山和彦さんによれば、フジロック統括プロデューサーの日高正博氏もその辺は気に掛けていて、PAと照明スタッフに、ジャズという見に来るのではなく聴きに来る人のための音であり照明を、という指示を出してくれていたとのこと。
もちろん、それらがあのタイトな転換スケジュールで完全に満足な状態を作れるとは最初から思っていなかったが、そこは長年やってきたバンド。メンバーそれぞれの中に「鳴るべき音」が鳴っている。

そしてふたを開ければ皆さん真剣に聴いており、かなり静かめのレパートリーの多いセットにも関わらずアンコールも。
今回の反省点としてはアンコールの曲を事前に用意していなかったこと。鳴り止まない拍手の前で譜面を探す、という姿はあまり良いものではない。

フジロックといえばロッカーにとっては夢のステージ。しかしあの天候の中で数万人が熱狂している様を見ると「一体これは何なんだ…」という感じもする。
普段数十人のお客さんの前で演奏することを生業としている身にとっては驚くべき現実だ。しかし、それを実現する仕組みを作るための、ものすごい情熱と努力している様を間近で見て来た。

ひょんなご縁でフジロックに出演することになったが、普段接点のないリスナーにとっても非常に新鮮だったとのこと。多分またやります。

【Z BLOG】三木 俊雄:サンキュー ベリーマッチ

雑誌のインタビューや対談、ワークショップの通訳などで英語を使う機会がわりとある。
と言ってもTOEFLとかTOEIC あるいは英検といった資格やスコアは全く持っていない。
中高大と英語はどちらかと言えば苦手な方で、バークリーに行った時もそれは心配の種だった。

バークリーは今でこそTOEFLスコア何点以上、という審査基準があるらしいが、僕の頃は全然ゆるくて英語を母国語とする人の推薦状があれば良かった。たまたまバークリーに行こうと僕を誘った友人のガールフレンドがYWCAで英語を教えるアメリカ人だったので彼女に書いてもらった。全くもってインチキだ。

当然、アンサンブルオーディションも授業も最初は何を言っているのか全くわからなかった。もちろん話すこともできない。
インターナショナルスチューデント向けにESL(English as Second Language)という英語のクラスが無料で取れたが、生徒は日本人ばかりでスイス人が一人だけいた。彼の名はシャチョーと言い、その名を聞いた日本人留学生はどっと笑い、彼は翌週から来なくなってしまった。
僕も行かなくなった。

そんな時、バークリーの先輩、ギターの道下和彦さんの学内リサイタルを観に行った。彼とは地元大阪で少しだけ接点があったのだが、バークリーの中でも非常に注目されていたトッププレーヤーだった。
会場は超満員で物凄い演奏が始まった。
そして一曲目が終わった時に彼はマイクを取りMCを。
「サンキュー ベリーベリーマッチ フォー カミング トゥナイト、ザットワズ ベリーベリー ナイスコンポジション オブ マイン。ハウ ディジュー ライキット?」
場内はやんやの喝采。
「ネクストチューン イズ アナザー ベリーベリー ナイス コンポジション オブ マイン。アイ ホープ ユーライキット。」
会場は大爆笑。オーディエンスの心を完全に掴んでいる。素晴らしい熱気と雰囲気に包まれたリサイタルはもちろん大成功。

英語と言えば正しい発音、「ペラペラ」と形容される流暢な言い回しだとかを気にする人が多い。かくいう僕も、”Well,You know?…”とか言って何とかやり過ごそうとしていたのだが、彼はそんな所をワシワシと踏み越えコミュニケーションを成立させていた。
「意思の疎通」という言語の本質的な目的を見事なまでに達成しているのを間近で見て、清々しい思いがした。そして英語なんて伝わればいいのだ、と思うとちょっと気が楽になった。

【Z BLOG】三木 俊雄:いつも脅されている。

学生を教えているとき、「あ、いま脅してるな」
と思うことがよくある。
「そんなんじゃ仕事なんてないぞ」とか「それじゃいつまで経っても上手くならないな」とか。

最近の研究ではこの「脅し」のようなネガティヴなモチベーションは、ポジティブなものに比べてその成果が劣るという。子育てなんかでも「早く寝ないとお化けが出るよ〜」と言うのより、「夢の中で遊びの続きをしようね」が良いらしい。
またツイッターなどのSNSでは「社会は厳しいぞと脅す大人の言うことは聞かなくていい」といったいわゆる意識高めの意見を目にする。

子育てに関しては何となくそんな気もする。無限の未来とその可能性を秘めた子供はもっと無条件に祝福されるべきだ、とは思う。
ではもう少しの上の、それこそ社会に出るにあたっての教育ではどうだろう。

なぜ自分がそういう「脅し」っぽいことをしてしまうのかというと、自分がそうされてきたからだ。いや、より正確に言えば、自分自身がそう感じてきたからだ。
高校や大学の受験も、新たな学生生活への憧れや期待よりも「落ちたらどうしよう」という恐怖の方が勝っていたように思うし、楽器の練習も上達の楽しみより練習しない罪悪感が上回っていた時期が長かった。
そしてこのような「もしダメだったら」そして「そうならないように」というネガティヴなモチベーションは今なお強く持っている。

今までは何とかやって来られたけど、だからこの先も大丈夫だという保証はどこにもない。これはあらゆるフリーランサーに共通した認識だろう。
仕事なんていつパッタリと無くなったって不思議ではないし、実際そういう人もたくさん見てきた。たとえ今うまくいっているのも、たまたま運が良かっただけかもしれない。
そしてそれゆえ「そんなんじゃ仕事なんてないぞ」「それじゃいつまで経っても上手くならないな」という声が常に耳元に聞こえるのだ。
つまりフリーランスという仕事の形態そのものが常に自分を「脅して」いる、あるいは自分は脅されていると感じる。

趣味でやっていくのならいい。しかし音大に入り、もしプロの音楽家を目指しているのであれば、自分は常に「脅される」という現実を受け入れる覚悟が必要だ。そしてこのような状況でも「ま、何とかなるでしょ」と人生を楽観的にとらえることは一つの能力であり、そしてこれは音楽の才能の有無よりずっと大きいことなのだ。

そういう人間にとって「社会は厳しいぞと脅す大人の言うことは聞かなくていいい」という意見は正しい。そしてそうでないのなら、「聞かなくていい」という大人の言うことは聞かなくていい。

【Z BLOG】三木 俊雄:今年も「フジロック・フェスティバル」に出演します。

去年はフロントページ・オーケストラのホーンセクションがフジロック20周年記念プロジェクト”G&G Orchestra”に起用されたのですが、今年はそれに加えてフロントページ・オーケストラ単体としてのステージにも出演します。

正直言って去年まで「フジロック」というのは名前は知ってる程度で、富士山の麓でやってるものだと思ってました。
いろんな人に話を聞くと、それはそれは凄いフェスティバルで、世界的ロックスターが出演する巨大なステージから国内の新人ミュージシャンのための小さなものまで14もあり、それぞれ出演するのは大変な事なのだと。「どれに出るの?」と聞かれ「グリーンステージというやつ」と答えると「マジかよ⁉︎」とよく怒鳴られました。
去年は土曜日のトリで「BECK」の後。
僕はてっきりジェフ・ベックのことかと思っていたけど…
今年は最終日の日曜のトリで「ビョーク」の後。さすがに彼女は知ってる!

去年、終わった後にプロデューサーの日高さんから「三木さんの普段やってる雰囲気とは随分違うと思うけど、来年はフロントページ単体でどうかな、やるとすればどんな風にやりたいですか?」
僕の音楽は大音量で数万人の人々を熱狂させるものではないので、
「この大音量と重低音はロックフェス独特のものだと思うんですけど、出来れば夕方近くになって、ちょっと耳を休ませて、耳を傾けて聴いてもらって、夜の盛り上がりに備えるような、静かな音楽をやりたいです。」と伝えた。

20年間を経て、音楽以外にも家族連れ、子供のためにもいろいろな仕掛けと配慮がされているこの「フジロック」。
緑の中、行き交う人がぶつからないように一方通行の木道が敷かれ、その一番奥にある「Cafe de Paris」
陽も傾いてくる夕方の5時半にフロントページ・オーケストラが出演します。
そして夜10:00から5万人収容「グリーンステージ」のG&G Orchestra で締めくくります。

フジロック・フェスティバル 7/30(日)
新潟県苗場スキー場でお会いしましょう!
FUJI ROCK FESTIVAL

【Z BLOG】三木 俊雄:開拓派と受け入れ派 その3

前回の続きです。
(開拓派と受け入れ派 その1)
(開拓派と受け入れ派 その2)

お笑いコンビ、「爆笑問題」の太田光は相方の田中裕二を評して「こいつは今まで、ただの一度も自分で何かを決めてやったことのない奴だ」と言っていた。それを聞いて「あぁ、やっぱりそういう人もいるんだ」と少しホッとした気分になったものだ。

情けない話ではあるが、今までの人生、自分で何かを決断したという経験がほとんどない。田中さんを引き合いに出すのも申し訳ないが、やはり僕には運命を切り拓いていくような才能やバイタリティーは無く、ただ何となくそれを、良く言えば受け入れ、悪く言えば流されて来た。つまりその意味で僕はかなり「運命受け入れ派」だと思う。

このように、すべてにおいて行き当たりばったりではあるが、その代わりと言っては何だけど、その運命をなるべく無駄にしないように努めてきたとは思う。

大学では楽器ばかり吹いていたので勉強は全くしなかったけど、通わせてくれた親に心配をかけたくなかったのでソコソコの成績は取るようにした。当時の文系学部はそういったことが可能だった。
それによって親からの一定の信用を取りつけることができ、最初の2年間限定で留学の費用を出してもらった。

そして日本に帰ったら多分「バークリーで何を勉強してきたんだ?」と聞かれるだろうから、向こうではいわゆるバークリーシステム的なものを勉強した。
また「アメリカに行ってたんだから英語くらいしゃべれるだろう」と思われるだろうから、それもある程度は何とかしようと思った。

この世界に入ってからも人の頼み事をよく聞いたし、まったくお金にならない譜面なども随分書いた。
仕事は自分で取ってきたことはほとんどないが、そのかわり来た仕事を断ったこともほぼ無い。

ヤマハの楽器は最初うまく馴染めず、結局そのコンサートでは最初の一曲しか吹かなかったけど、それを機に思いつく限りの改造をヤマハの技術者と試した。それが出来たのも、たまたま当時アトリエの近くに住んでいたからだ。
「サックスといえばアルト」という感じだった大企業ヤマハの社内的な空気も彼らの技術と根気、そして小さな実証の積み重ねにより少しづつ動いていった。
今ではあの時この楽器と出会えて良かったと心から思う。

よく学生と話をしていても「今これをやらなかったら後できっと後悔すると思うんです」と言うのを聞くけど、そういう風に考える人は「あのときこれをやらなければ良かったのに」と後悔することはないのだろうか。そもそも後悔とは後で振り返り悔やむことであって、それを予想するものではないのではないか?

何かを選択するということは必ず何かを選択しないということ。その選択しなかった何かのことを考えても仕方がないのではないかと「運命受け入れ派」としては思ってしまう。
なぜならそこまで自分は自分の人生をコントロール出来るとは思っていないからだ、というのはまぁ、負け惜しみ半分の言い訳であるが。

【Z BLOG】三木 俊雄:開拓派と受け入れ派 その2

前回の続きです。
(開拓派と受け入れ派 その1)

ラジオ 「ジェーン・スー 生活は踊る」の「相談は踊る」のコーナーに寄せられる相談の中でよく耳にするのは、「あの時あれをやっていれば、と今になって後悔しています」あるいは「今これをやらないと後で後悔するのではないでしょうか」というもの。

自分の性別、国籍、身体的特徴、あるいは時代、つまり生まれた環境や属性といったものは自分ではどうすることもできない。逆に言えばそれらを「後悔」することもない。
しかし特に女性にとって結婚や出産といったものが相手あっての話であるにせよ、いつかはタイムリミットが来てしまうので何らかの決断が必要になるだろう。

では進学や仕事といったものはどうか。これらはかなり自分の能動的な選択によるものだが、しかしその選択をしなかったら、別の選択をしていたらどうだったろうか?

「ミュージシャンになっていなかったら何になっていましたか?」と聞かれることがたまにあるけど、これは全くわからない。
「大学に行って良かったですか?」「バークリーに行って良かったですか?」
これもよくわからない。

もともと小さな頃からミュージシャンになるのを夢見ていたわけではないし、かといって特別なりたい何かがあったわけではない。
音楽をしていなかったら当然ほかの何かをしているわけだし、大学に行かなくても、バークリーに行かなくてもやはりそうだろう。もちろん何をしていたかは想像もできない。
自分の経験しなかった何かについては何も知らないし、語ることもできない。

大学はたまたま歩いて行ける家の近所を受けた。同じ大学のより偏差値の低い学部は落ちたので多分受かったのはマグレだろう。
その大学を卒業するとき、家業を継ぐという同級生に、親から「1年間好きなことをやってこい」と言われバークリーに行ってみようと思うけど一緒に行かないかと誘われた。
当時のバークリーは今では考えられないくらい学費も安く、そのうえ奨学金に応募したら半額くらい出た。そのころ日本はバブル期、しかもそれがこの先もずっと続くと考えられていて、いま就職しなくてもまぁ何とかなるだろうというムードだった。
今から考えてみると、かなり見通しの甘い、いわゆる「モラトリアム」だったと言ってもいいだろう。

日本に帰ってきてから、まさかビッグバンドのアレンジなどをやるようになるとは思っていなかったし、僕の20年以上続いているフロントページ・オーケストラもきっかけはレコード会社の企画で、僕が言い出して始めたわけではない。その時の企画は立ち消えになりCDも出なかった。

こういった人生の岐路に限らず、例えば「どうしてヤマハのテナーを吹いているのか?」というのもよく聞かれる。

これも実は僕が理想の楽器を探し回ったあげく見つけたわけではない。たまたまトロンボーンの中川英二郎君がヤマハ主催のコンサートに誘ってくれた時、出来ればそのコンサートではヤマハの楽器を使ってくれないかということで、当時の備品を借りたのがきっかけだった。

(つづく)

【Z BLOG】三木 俊雄:開拓派と受け入れ派 その1

お昼のTBSラジオ 「ジェーン・スー 生活は踊る」はもともと土曜日夕方の「相談は踊る」をやっていた彼女が、長寿番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」の後を継ぐ形で抜擢された番組。
ジェーン・スー(作詞家、コラムニストのペンネームで日本人)さんは一人っ子で、現在も独身のいわゆるアラフォー女性。そのため、いわゆる「働くお一人様女性」の代弁者として高い人気を誇る。

番組の中にもこの「相談は踊る」のコーナーがあり、毎回いろいろな相談が寄せられる。
お昼のAMラジオということもあり、相談者は女性が多い。相談の内容もやはり妙齢女性の恋愛、結婚、出産、あるいは夫婦間のトラブルに関するものが多く、独身のスーさんと家庭持ちのパートナー(この番組ではアシスタントをこう呼ぶ)という違った立場の二人によって質問に答えていく。

僕がこの番組を聴いていてよく思うのは、「人間は自分の人生をどれくらいコントロール出来るのだろうか?」ということ。
つまり運命を「切り拓いていく」のか「受け入れていく」のか。

もう両方とも亡くなってしまったが、うちの両親は見合い結婚だった。二人の結婚が正確にいつだったかは知らないが、おそらく昭和30年頃だろう。当時はお見合い結婚が半数以上を占めてた。

お見合いには「釣書」という、自分のみならず家族の学歴、職業などのプロフィール、場合よっては家系図とかも書かれている身上書を交換する。
女性の社会進出のまだ少なかった時代、結婚は「永久就職」と言われていた。つまり今で言えば男性の釣書は企業のIRであり、女性のそれはESということになるだろう。

僕はお見合い結婚というものをしたことがないので分かったようなことは何も言えないが、見ず知らずの者同士が釣書の条件を擦りわせ、ほとんど恋愛期間のないまま結婚するのだとすれば、彼らは一体「運命開拓派」なのか、それとも「運命受け入れ派」なのか。

そして何より僕が不思議だったのは、そんな両親は果たして愛し合っていたのだろうか?ということ。
父は母のことを「オイ!」と呼んでいたし、あまり仲が良いようには見えなかった。とはいうものの子供は4人もいる。

父が亡くなる直前、母にそのことを聞いてみたことがある。

母は僕が9歳の頃、大病を患い一年近く入院していた。
その母の入院中に父が海外出張に出掛けることになった。
当時は飛行機に乗って海外に行くというのは一大事で、出発前に父が母の病室を訪れた。しかし出発の時間が迫るのに父はなかなか立ち上がろうとしない。「ホラもう、遅れちゃうから」と母が促すと立ち上ったが、背中を向けたまま立っている。「どうしたの?早く行かないと」と言うと父は背中を向けまま「愛してるよ」と言ったらしい。

その話を聞いて僕はイスから転げ落ちそうになった。
親父はああ見えてちゃんとやることはやっていたのだ。

(つづく)

【Z BLOG】三木 俊雄:マーク・ターナー その3

前回の続きです。
(マーク・ターナー その1)
(マーク・ターナー その2)

ロビーでコーヒーを飲んで一息いれながら、マークがサックスの専門誌をパラパラとめくる。

“Wow! Look at this!”

今月号の表紙はバークリー時代の仲間、ドニー・マッカースリンで、僕との対談が載っている。
ドニーはサングラスをかけ、レザージャケットを着ている。彼は今やグラミー賞受賞者であり、この表紙の写真はエージェント経由で送られてきたもの。ちゃんとスタイリストが付いている感じだ。学生時代から彼を知っている僕達から見れば「おい、こんなドニー見たことないよな(笑)」というのが正直なところ。

僕達が青春期を送った80年代まではジーパンにTシャツに長髪に髭、というヒッピースタイルがひとつの典型例だったが、ウィントン・マーサリスの出現によって”Dress your best” すなわちできるだけキチンとした格好をミュージシャンはするべきだ、という風潮に移行した。彼の影響下のミュージシャンは髪を切り、髭を剃り、あるいはトリムし、スーツを着、ネクタイを締めた。

しかし例によって時代はその反動としての風潮と流行を繰り返す。
最近はまたラフな服装に戻りつつあるが、いつの時代においても黒人は白人に比べ、よりキチンとした身なりする傾向がある。

「アメリカは今でもそうなんだ。たとえばキチンとした身なりでない黒人がホテルのロビーにいたら必ず “May I help you?” と声をかけられる。”ここはお前の来るところじゃない” という意味だよ。」

なるほど、いわゆる”Politically incorrect”というやつか。

「子供の頃から親にはいつも言われていたんだ。白人の倍、身なりに気を使って初めて一人前の扱いを受けるのよってね」

ひとしきり楽器を試した後、歩いてコットンクラブへ。
まだお店は開いていないが、すでに1組ドアの外で並んでいる。

「見てみろよ、凄いじゃないか?開店前から並んでるよ!」
「え、何かの間違いじゃないのか?」
「いや、間違いない」
「やっぱり日本に住むべきだな(笑)」

ドアはまだ鍵が掛かっていたが、中を覗いてみると従業員らしき人が見えたのでノックしてみる。しかしこちらには気が付かない様子。

「何だ、これも”Politically incorrect”ってやつか?おかしいな、今日はちゃんとジャケットを着ているだけどな(笑)」

この日の演奏が素晴らしかったのは言うまでもない。
ありがとうマーク。また会えるのを楽しみにしています。