三木 俊雄

【Z BLOG】三木 俊雄:音読と音楽

僕の教えている大学では、卒業にあたって論文か制作を選択できる。ほとんどの学生が制作を選択する。

学生の卒業制作に添付されたレジュメに以下のようなものがあったので抜粋してみる。

「最初のレッスンでは、クロマチックスケールを下から上まで吹いたり、メジャースケールの中で1-3 2-4 3-5 4-6というように3度の跳躍を2度ずつ上げていくものや、1-3 4-2 3-5 6-4 と同じ3度の形を下からと上からを交互に吹くという内容だった。
私はそこで二つの衝撃をうけた。一つは、大学でこんな基礎をやるのか!アドリブのとり方は教えてくれないのか。二つ目の衝撃は、私がこれをスムースにできないことだった。
今まではクラシックの曲やエチュードをさらってきた。こんなものより難しいことはたくさんやった。それなのにできない。
(中略)
今までは楽譜に書かれていた音名を信号として取り入れ、演奏してきた。音を組み立てて楽器を演奏するといったことをジャズ云々の前に改革する必要があった。
高校以前にやってきたことは音楽ではなく書いてあることをただただよむ「音読」であった。」

これは結構よくあること。
そしてそうならないようにエチュードの他にスケールを12キーで吹けるように、という課題は当然クラシックや吹奏楽でもやっている。もちろんこれはスケールの汎用性と互換性を身につけるためのもの。
しかしそれも例えば「円周率」を覚えるようにやってしまったり、というのを少なからず目にする。
その結果、極端な話「ドレミファソラシドは吹けますが、レミファソラシドレは吹けません」というようなことが起こる。
これは当の本人にとっても相当ショックなことのようだ。

技術的にも理論的にも音楽的にも極めて単純な物にもかかわらず、「今自分がどこにいるのか分からない」というような感覚になるようだ。
どんな歩き慣れた真っ直ぐの道であっても、そこを目を瞑って歩くとなると足がすくんで最初の一歩さえ中々出せない、ということは多くの吹奏楽出身者がジャズを始めるに当たって経験することだ。

読譜能力、とりわけ初見能力は譜面という外部からの視覚的命令を論理的なプロセスを飛び越して伝達させる神経回路を作ることだ。そして吹奏楽出身者の学生はこの回路の構築に長年を費やしてきた。
しかし今度はその「命令」を自らの内部に作らなければならない。そしてそれこそが音楽の核心に触れる醍醐味の一つだ。
その新たな回路の再構築ための時間として大学生活の4年間は決して長いものでは無いだろう。

【Z BLOG】三木 俊雄:「やりがい搾取」と「勝手我慢」 その2

「ブラック」な労働環境における「やりがい搾取」の問題。

(前回:「やりがい搾取」と「勝手我慢」 その1)

では音楽の世界はどうだろう?
僕も「好きな音楽をお仕事にしていいですね」と、よく言われる。
いや、本当にそう思う。
音楽に限らず、あらゆる芸術、芸能はこの「やりがい搾取」「愛情搾取」によって成り立っていると言えるだろう。

いや、違う。
そもそも「搾取」という言葉は労働に対して使われるものだ。

「労働」とは自分以外の誰かのために働くこと。
先の漫画家のアシスタントについても、単なる「背景画家」としての労働を「夢を叶える足掛かり」にすり替えてしまったために起こる問題だろう。

では、音楽は「労働」なのか?

テレビのCMの音楽をスタジオで録音する、これは「労働」だ。
最盛期に比べ今はめっきりその数は少なくなったが、いわゆるスタジオミュージシャンなどがこれにあたる。しかしこの仕事において「搾取されている」と感じるミュージシャンは少ないだろう。それくらいスタジオの仕事に求められる職能と専門性は高く、またそれに見合う対価が用意されている。

では一方、例えば自作の楽曲を披露するジャズのライブなどはどうだろう?
誰もそれをやれと命令していなければ頼んでもいない、特別必要というわけでもない。皆勝手にやっている。つまり、そういう意味で「やりがい搾取」の反対は「勝手我慢」だ。

「ホワイト」な労働環境を作るべきなのは、それが社会の仕組みとして必要としている分野だからだ。
音楽や漫画、演劇やお笑い、ダンスや舞踊、お茶やお花、etc…
これらはすべて「社会の仕組みとして」は無くても良いもの。
つまり誰かの求めに応じているのではないので、皆んなが一律に働いた分だけ支払われる、という世界ではない。
それでもやりたいという「ちょっとヘンな人」だけがやればいいのだ。
「ブラック」はケシカランが、かといって「ホワイト」になってしまったらその分野そのものが無くなってしまうだろう。

音楽家は音楽を作っているのであって、社会の仕組みを作っているのではない。それに文句がある者は、仕組みを作る側に回れば良いのだ。
それも一つの才覚であり、それを持たない者は今ある仕組みの中で何とかやって行けばいい。
マイルスは自伝でこう語っている。
「俺のやるべきことはいかに白人の会社を儲けさせるかだ」そして「コロンビア・レコードは俺にその扉を開けてくれた。俺はその扉に飛び込み、決して振り返らなかった」

そして今やそんな扉も、おそらくどこにも用意されていないだろう。
皆それぞれ、自分の扉を自分で用意し、開けていかなければならない。

【Z BLOG】三木 俊雄:「やりがい搾取」と「勝手我慢」 その1

年末年始に一昨年ヒットしたテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の再放送をまとめてやっていた。
日頃感じる疑問に、あたかも自分が政治家の選挙演説をしているような妄想癖のある主人公、みくり。
彼女が異を唱え、訴えていたのは「好きで、やりがいを感じているのだから対価を求めるべきではない」という「やりがい搾取」そして「愛しているのだからそれくらい厭わずに出来るはず」という「愛情搾取」

よく、保育士や幼稚園の先生が「毎日子供と遊ぶお仕事でいいですね」と言われると本当に頭にくる、という話を聞く。
「こっちは遊んでんじゃねーんだよ!」と。
確かにこれは「銀行って3時に仕事が終わっていいですね」に近いものがある。しかも保育士、幼稚園教諭の給与は銀行などに比べすこぶる安く、それだけで生活を賄うには無理なため実家から通うのを前提に採用される場合も多いとのこと。
「こんなお給料じゃ一人暮らしは無理ですよ」「でも子供好きなんでしょ?やりがいのある仕事ですよ」

確かにこれは「やりがい搾取」と言われても仕方ないレベルだ。
子を持つ女性の社会進出には子育て支援の拡充は必須。保育士や幼稚園教諭にプロフェッショナルとしての高いレベルを求めるのなら高い報酬があって然るべきであり、そのための社会の仕組みが必要だ。

その一方で、漫画家のアシスタントの「ブラック」な労働環境に関する話題もよく目にする。
毎週の連載という短期間での制作のため、作家本人以外のアシスタントが必要。しかし少年誌という元々、子供向けに作られたコンテンツとビジネスモデルのために一本当たりの単価が安く、余程のヒットにならない限り誰も儲からないという。
そのため現場には残業や時間外労働という概念がそもそもない、徒弟制度にも似た世界。こんな条件ではとても生活など成り立たない。

その中で成功した漫画家の佐藤秀峰さんはブログの中でこう書いている。

出版社を含めみんなお金がないから安く働いている、働かせているというのが、今の漫画界の実情ではないでしょうか。作画スタッフに「残業代を支払え」「給料を上げろ」と言われて、支払える余力のある漫画家がまず少ない。「人並みの暮らしがしたい」「作画スタッフの給料を上げたいから、原稿料を上げろ」と言われて、原稿料を引き上げられる出版社がない。本の価格を現在の3倍くらいにすれば、全員に人並みのお金が行き渡りますが、3倍の価格で本を買いたい読者がいない。そうです、これが斜陽産業です。もしも、自分の子供が「漫画家になりたい」と言ったら、こうアドバイスします。

「やめとけ」

https://note.mu/shuho_sato/n/n9d6ac4932dd3

何ともやりきれない話である。

(続く)

【Z BLOG】三木 俊雄:Never too late

去年の春から教え始めた、僕と同い年の生徒がいる。
サックスは40代半ばで始め、いわゆる「大人の音楽教室」に通っていたという。
しかし何を思ったのか、長年勤めた地元九州の銀行を早期退職し、持ち家を処分し夫婦で上京。こっちで働いているお嬢さんと同居しながら専門学校で管楽器のリペアを学んでいる。

とはいっても、音楽的な素養は無く、サックスもドレミファソラシドがいくつかのキーで吹け、簡単な譜面が読める程度。彼は僕に習うのが夢でした的なことを言うけれど、「これは大変だなぁ…」というのが正直なところ。

しかし、彼は実に根気よく課題に取り組み、クロマティック・スケール、メロディー、ベースライン、ガイドトーンおよびその連結をこなし、いよいよクロマティックのアプローチノートの連結まで来た。すると彼は顔を真っ赤にし、「そ、そうか!先生がクロマティックやれっちゅーとったんは、このためやったんか!」と興奮気味。

聞けばやはり音楽教室ではメロディーとそのフェイク、書きソロを練習して完成、次の曲に。こうやって行っても結局アドリブが出来るようにならないな、という話を教室の仲間ともよくすると言う。
「やっていればそのうち出来るようになる」という話をよく聞くが、「そのうち」は果たしていつやって来るのか。

しかし考えてみれば40過ぎてサックスを始めて、「さあ、まずはクロマティック・スケールを」と言うのはモチベーションの観点からいささか難しいかとも思う。憧れのサックスであのメロディーを吹いてみたい、という最初の動機は大切だ。

その一方、譜面に書かれていない音をいかにも自由自在に吹いているように見えるジャズのアドリブというのは、多くの中年男性にとってのロマンだ、というのも非常に理解出来る。しかし当然ながらそこに行き着くまでにはロマンとはかけ離れた長く地道なプロセスがあることを知ることになる。彼はまさに今、そこを歩み始めた。

彼は僕と同い年であるがサラリーマンを勤め上げ、子供を成人させているという意味では僕の先輩であり、また師である。

彼の選んだ第ニの人生を応援したい。

【Z BLOG】三木 俊雄:「カミ」と「シモ」

この世界に入ってもう随分になるというのに、未だに覚えていないのが舞台の「上手(かみて)」と「下手(しもて)」

普段僕がよく演奏しているような小さなジャズクラブやライブハウスなどでは気にすることもないが、大きなコンサートホールでは舞台監督がいて「出捌け(ではけ。 ステージの登場と退場)はリズムセクションは下手から、ホーンセクションは上手からお願いします」という指示が出たりする。
えーと、どっちだっけ? 客席からステージに向かって右?いや、左?
そもそも客席から?それとも客席に向かって?

英語ではステージ用語として、パフォーマー目線でステージから客席に向かってLeft あるいは Right というので、これはとてもわかりやすい。

では日本語としての上下(かみしも)はどうだっただろう。
地名などでよく見るのは、かつての日本の中央であった京都を上(かみ)とし、東京を下(しも)としているようだ。確かに関西のことを「上方」という。例えば下北沢と上北沢というのも東西の関係にあり、下北沢の方が東。
では京都以西では上下の東西は逆転するのだろうか?
大阪の阪急線に「下新庄」と「上新庄」という駅があり、確かに京都より、つまり東に位置するのが「上新庄」だ。
つまり中央の視点をどこに持ってくるかによって上下が逆転するのであれば、ステージを東西に見立てた位置関係と考えるのはあまり合理的ではないと言える。
実際、舞台の上手、下手の由来は諸説あり、はっきりとはしていないらしい。

長年どうしたものかと思っていたが、聞くところによれば、これは「ピアニシモ」という語呂合わせで覚えればいいらしい。
つまりステージ上のピアノが置いてある方が「シモ」ピアノが中央に位置している場合もピアニストはステージに向かって左から登場する。
ピアノはその構造上、屋根(蓋のこと)が開く方向が決まっているため、常に鍵盤は下手を向いており、ピアノ自体も下手に設置される。
なのでピアノのある方が下手、すなわち「ピアニシモ」というわけだ。

こりゃ便利だ、世の中は偉い人がいるものだと感心することしきりだが、そもそもの今頃何を言っているのだ、という話ではある。

【Z BLOG】三木 俊雄:「謹賀新年」

新年明けましておめでとうございます。

今年でこのブログも5年目を迎えます。
去年は銀座ヤマハホール、浜松ジャズウィークにてエリック・アレキサンダーとの2テナーのコンサート、そしてテナーの限定モデル、YTS-82ZASP の発売などヤマハ関係のイベントが多くありました。
関係者の方々、有難うございました。

しかしこの年になると思うのですが、一年経つのが本当に速い。
たまにテレビをつけてみれば、出ているのは知らない人ばかりで、ほとんどが年下。
普通に生活を送りながらの浦島太郎状態。

仕事帰りに渋谷駅の前を通ると、凄い勢いで夜中の工事をやっています。
聞くところによると渋谷駅の再開発事業の完成は2027年とのこと。実にあと10年もこの工事をやっているわけです。
しかし思い起こせば、僕が東京に出てきた時、六本木の交差点はずっと工事中でした。そして、まるで未来永劫続くのではないかと思えた山手通りの工事もいつの間にか終わっていました。
新宿のバスターミナルも出来たし、東京駅の改修工事も終わりましたね。
一方でとっくに終わっているはずの築地の移転も、すったもんだの末いよいよ決まったようです。
そしてもう再来年は東京オリンピック。
このように考えると、10年なんてあっという間に経ってしまうのかもしれません。

これから一年の中で一番寒い時期を迎えるのですが、もう日は長くなっており、やがて新入生の季節に。そしてうだるような暑さの中でビールを飲み、じきに温かいものが恋しくなる。
生まれてもう何十年も、それこそ電波時計並みの正確さで繰り返されてきたはずなのに「日が短くなりましたね」と驚く。

どうか、皆様にとって健やかで、実り多い一年になりますようお祈り申し上げます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

【Z BLOG】三木 俊雄:「悩みの相談室」

学生のレッスンは時折、「悩みの相談室」になることがある。

考えてみれば彼らは二十歳前後の精神的にもアップダウンが激しい年頃。僕も彼らの頃はそうだった。そしてそういった時期は今から考えれば随分長く続いた。
特に落ち込んでいる時はこれが永遠に続くかのように思ってしまうもの。これらを繰り返すことによって、精神のアップダウンには周期があること、そしてそれが過ぎ去るのを待つことの大切さを経験的に学ぶのには相当の時間を要した。

また人間関係も上手くいかないことが多かった。
「自分がされて嫌なことを人にしてはならない」という社会の共通認識において「自分が嫌でないものでもそれを嫌がる人がいる」ということを理解するのはそれほど簡単なことではない。
共感力が弱く、人の痛みを理解しにくい者は「自分にとっての正しさ」だけを拠り所としてしまう。
そしてその「正しさ」を盾に、ある者は他者との諍いを恐れず戦いながら自分の居場所を獲得していく。
こういう人は音楽の世界にもたくさんいるけれど、何も昨日今日に始まったことではなく、おそらく小さい頃からこんな感じでトラブルの絶えない「生きにくい」状況だったのだと思う。
特に幼少期はひとつ間違えれば酷いいじめにあったり、その結果不登校や引き篭もりになったりもする場合もあるだろう。逆に言えば音楽の世界はそういう者でも能力次第でやっていける救いの場でもあるわけだ。

一方、そういった強さを持たない者は「鈍感さ」に救われることが多い。
トラブルの原因は「空気が読めない」からであり、当然本人には悪気は無いのだが周りの人々にとっては迷惑この上ない。しかしこの「空気が読めない」鈍感さが本人を守っていることも多々あるのだ。

これらは本人の努力で解決するのだろうか?
もちろんいろいろな工夫の余地はあり、それなりの効果は期待できるが、根本的な解決はしないだろう。
僕自身は今でも各方面で問題を起こしてはいるのだが、ある程度は工夫し、ある部分では諦め、そして多くの人に助けられて何とかなっている。

昔は「出来ないのは努力が足りないだけ、現に出来てる奴がいるんだから」と思っていたけれど、最近は皆それぞれの特性があり、それが最大限活かされる道を歩めば良いと思う。道は決して一本ではないのだ。
そして、そういった道の中で、おそらく最も重要なのは、然るべきタイミングで出会うべき人と出会う、ということ。自分の小ささを思い知らされ、謙虚な気持ちの大切さ、そして勇気と励ましを与え進むべき道に導いてくれる人との出会い。その出会いを見逃してはならない。

学生にはそんな話をしている。

【Z BLOG】三木 俊雄:YTS-82ZASP その2

前回に引き続き、11/15に発売された82z ASPについて。

前回の記事
YTS-82ZASP その1

おそらく一番目を惹くのはこの色だろう。よく「特殊な金属なのですか?」と聞かれることがあるが、単に着色されたラッカーで従来のゴールドラッカーと音色その他は変わらない。
非常にユニークな、特に照明が当たるととても綺麗な色ではあるが、僕の個人的な意見としてはその見た目にあまり引っ張られてないでほしい、と思う。
この製品に施されたものはキーレイアウト、部品の形状やその設置方法の変更といった注意深く見比べればわかるものから、内部の溶接痕の除去や部品の軽量化など外からでは分からないものまである。しかし販売サイドとしてはもっとわかりやすい「限定感」を、という要請もあったようだ。
もともとこの「アンバーラッカー」はアメリカ向け輸出仕様としてあったものなので、ならばそれをこのモデルに採用しようということになった。

価格については正直言ってちょっとビックリしている。特別高価な材料などは使っていない。しかし、このモデルは支柱の立て方からオクターブ・キーのレイアウトまで違うので、一から別のラインで組み立てられる。つまり通常より一手間も二手間もかかっているという事だろう

もちろんこのモデルも海外でのモニター調査を行なった。僕の友達のプレーヤーも何人か参加したが、評判は非常に良い。「あれ、いつ出るんだ?」とよく聞かれる。

いよいよ製品化され、販売スケジュールにそって楽器店向けの新製品発表会がある。
サックス以外にも新製品はそれぞれのプレーヤーが従来品と新製品を吹き比べるというデモンストレーションをするのだが、「他の楽器にくらべて明らかに違いがわかって、正直言ってビックリしました」という声を多数頂いた。

随分前に高級オーディオの中古品店を冷やかしで覗いたことがある。
いわゆるハイエンド・ピュアオーディオといわれるものがたいそうな値段だというのは知っていたが、そこに陳列されていた中古品のスピーカーケーブルが僕の持っているオーディオセット一式よりずっと高いのにはビックリした。
「マニアの方にはこの違いが分かるんでしょうね…」と店員さんに言うと、かなりムッとした表情で「いえ、どなたが聴かれてもハッキリとわかります!」と言った。
僕がその違いを聴き分けことができるかどうかはさて置き、店員さんの言わんとする気持ちはよく分かる。
この楽器を吹けば、従来品との違いは必ず感じられるはずだと、僕も思う。

この開発インタビューもかなり踏み込んだ内容となっています。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=745284568997090&id=484419495083600

【Z BLOG】三木 俊雄:YTS-82ZASP その1

いよいよ82Zの限定モデル、YTS-82ZASP が発売となった。
ASPとは”Atelier Special”の意であり、このモデルは銀座にあるヤマハ・アトリエ東京5階の工房でリペアマンの中澤春行さんと約7年に及ぶ82Zに加えた試行錯誤がベースとなっている。
いつもお世話になっている中澤さんは、こんな感じの方。

https://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/5720/

よく「これは三木モデルということですね」と言われるが、それを言うならこれは「中澤モデル」だ。
しかしいずれにせよ、原則ヤマハはアーティストのシグネチャーモデルは作っていない。
しかし世界的大企業であるヤマハが一介のジャズミュージシャンの意見を取り入れ、売り上げがアルト中心の動きが多い中、テナーにここまで踏み込んで生産、販売に漕ぎ着けたのは、社内でも驚きとのこと。まさに山が動いた、という感じだ。その点は非常に感謝している。

この中澤さんと僕がアイディアを出し合って82Zに施した改造はこちらを読んでいただきたい。

https://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/5795/

https://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/5821/

https://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/5844/

僕の改造ヤマハを吹いたプレーヤーは皆一様に驚いていたが、結局「でもこれ、売ってないんだよね…」
マーク・ターナーも「なぜこれを売らないだ?みんなが求めているのはコレだよ!」と言っていた。

しかしそこはやはり大企業のヤマハ。「はいそうですね」と簡単にはいかない。これらの改造にはかなり僕の個人的な好みや、手の大きさなど身体的な条件によるものがあるため、その後海外を含む大掛かりなモニター試験を経て2013年のモデルチェンジに約4割ほどが反映された。
そして今回は限定モデルということで概ね8割ほど踏み込んで反映され、また僕の楽器には施すことのできなかった重要な変更もいくつかある。

(続く)

【Z BLOG】三木 俊雄:Jeff Coffin

彼とは数年前にもワークショップの通訳を務め久しぶりの再会。
日本人の奥さんを持ち、その時はプライベートな来日だったが、今回はダダリオ(D’Addrio)のマウスピースとリードのプロモーションを兼ねての来日で前回書いた目黒ブルースアレイ・ジャパンでのZ Express Big Bandのゲスト、そして翌日の三宿にある国立音楽院でのワークショップ&セッションでご一緒した。

ちょうど3年前の今頃、Gordon GoodwinのBig Phat Bandなどで活躍するアルト奏者Kevin Garrenがアルトのマウスピースのプロモーションで来日した。その時の記事はこちら。

https://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/6033/
https://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/6069/

世界最大のリード・メーカーであるリコ(Rico)がダダリオの傘下に入り、コンピュータ制御による100%マシンメイドという画期的なマウスピースを発表したのだったが、やはりサックスの世界はアルトが中心であり、テナーはまだ時間がかかるとの話だったが、今回ようやくテナーのマウスピースが発表されたのだ。

そしてこのテナーのマウスピースの開発設計に携わったのがジェフ。
彼が長年使用していたグレゴリー(Freddie Gregory)のマウスピースを元に作られた。

ジェフはテネシー州ナッシュビルを拠点に活動するサックス奏者。
ナッシュビルといえば我々にとってはカントリー&ウェスタンのイメージが強いが、音楽産業の経済規模としてはニューヨークに次ぐアメリカ第2位の規模を誇り「ミュージック・シティー」のニックネームを持つ。
近年はジャズ、フュージョン系のミュージシャンも多く移り住みシーンは非常に活性化しているという。

明るく大らかで、非常に知的な人物。教え方も実に上手いし、こういう人の通訳はとてもやりやすい。
アメリカでは確固たる地位を築いている彼だが、日本でももっと知られてほしいテナープレーヤーだ。