2016年 8月 の投稿一覧

【Z BLOG】吉田 佐和子:クラリネットアンサンブルの編曲

今まで特に意識したわけではないのですが、自分の曲を同族楽器のサンブル用に編曲することがありませんでした。

しかし、久しぶりにクラリネットアンサンブルがやりたくなり、ライブをすることに。

それなら自作曲をやろう!と思い、手をつけてみました。

フルート・オーボエ・クラリネット+ピアノといった編成用に編曲した譜面はいくるかあるので、そこから音を起こしていったのですが、サウンドを厚めにしたくなる自分を抑えながら、一番聴かせたいサビの部分までお客さんの心が離れないように、バランスを考えて音を組んでいきました。

『バランスを考えて』というのは色んな事に共通で言えることなんだなぁ〜なんて思いつつ。。。

譜面を作る作業の中で、その苦労を身を以て感じましたね。。

ちなみに、クラリネットアンサンブルの譜面というのは沢山出版されているのですが、その多くがアンサンブルコンクール用に作られているものが多いです。

『緩ー急ー緩』で構成されている5分程度の曲や、テクニック的に難しいものは沢山あるんですが、聴いていて感動するような作品はなかなか数が少ないのが現状です。

今回編曲したのは5曲ほどですが、コンサートに気軽に取り入れる事ができる作品としてこれからもクラリネットアンサンブル用に編曲を続けていきたいと思います。

クラリネットを演奏される皆さんには、是非一度吹いていただけたら嬉しいです。

楽譜販売も考えていますので、またそちらも準備が整いましたらお知らせしたいと思います。

【Z BLOG】三木 俊雄:「まあ、そう言わんと」

おそらく言った本人にそれほどの意図はないかも知れないが、それが忘れられない言葉になることがある。

バークリーに留学していたとき、僕は全くもってパッとしない学生だった。幸い心配していた言葉の問題は何とかなっていたが、肝心の音楽は「上手くいっている」とは言えない状態だった。プレーのレベルも到底追いつけそうにないほど上手い学生はたくさんいたし、譜面は書くのも読むのも苦手だった。
せっかくバークリーに来たからには日本ではできないことを勉強しようと思っていたので、アレンジなどライティングの授業を多めに取っていた。そのため宿題も多く、楽器の練習のための時間も十分に取れなかった。

ただ、いわゆる貧乏苦学生であったが、当時のボストン界隈のジャズクラブは今では考えられないほどライブチャージが安く、素晴らしいライブを観る機会には恵まれた。

その夜はボストンで長らく活動しているトランペッター、タイガー大越さんのライブを観に行った。
タイガーさんと言えば地元紙ボストングローブの選ぶ”Boston’s Best” でパット・メセニーを抑えて堂々の1位に輝いていたスターだ。
演奏は言うまでもなく素晴らしいものだった。僕と同じ日本人が海を越え、ここでこうやって信じられないような演奏をしている。
僕はその道のりの想像し、気が遠くなるような思いがした。

「君、バークリーの学生さん?学校はどう?」
ライブが終わってタイガーさんの方から気さくに声を掛けてくれた。
僕は今、自分が置かれている状況を肩を落としながら話し、こう付け加えた。
「来月、ボブ・ミンツァーと一緒に演られますよね。彼は僕のアイドルなんですけど、サックスはもちろん、クラリネットも上手いし、ビッグバンドのアレンジも凄いですよね。今はオーケストラのシンフォニーを書いているとも聞きました。
僕もサックスとアレンジを勉強しているんですけど、ボブ・ミンツァーなんかを見ているともう、あまりにも気が遠くなりそうで…」

タイガーさんは優しい笑みを浮かべてこう言った。
「まあ、そう言わんと」

「まあ、そう言わんと」
なんと身も蓋もない、拍子抜けするような言葉だろうか。

しかしその言葉はすぐにジワジワと効いてきた。
タイガーさんだって弱音を吐きたいときもあったはずだ。実際吐いたかも知れない。でも結局今ここでこうして演奏している。ボブ・ミンツァーにしてもそうだろう。
どんな遠い道のりもとにかく歩かないことには始まらない。そしてこの人たちは歩いてきたのだ。
その上で出てきた言葉は「頑張れ」でも「負けるな」でもない、「まあ、そう言わんと」

弱音や愚痴はともすれば人を呪う言葉になりやすく、それはいつか自分に返ってくる。
今でも自分に対してトホホ、となることはしょっちゅうある。
でもそんなとき自分の気持ちを軽くしてくれるのがタイガーさんのこの言葉。

「まあ、そう言わんと」

【Z BLOG】フジイ ヒロキ:「ライトアップニッポン in 大槌」

8月11日になりますが、岩手県大槌町で行なわれた「ライトアップニッポン」(http://lightupnippon.jp/)というイベントに参加して来ました。このイベントは被災地10数ヶ所を繋ぎ、同時に花火を打ち上げるイベントなのですが(今年は熊本でも行なわれたそうです)、これに伴い、大槌では音楽イベントも開催されました。

僕は自分のライブやCD制作(http://hirokifujii.com/cd)を通じて、「大槌に音楽ホールを!」というコンセプトで頑張っている「槌音プロジェクト」(http://tsuchioto.com/)の応援をさせて貰っているのですが、これはその活動の一環です。

今回は初の試みとして、千葉や埼玉で僕のビッグバンドクラスを受講して下さっている生徒さんに有志で参加していただき、地元の大槌高校吹奏楽部や(震災、過疎化の影響で、すでに7人しかいないのですが)、大槌出身の若手トランペッター、臺(だい)隆裕君率いるTSUCHIOTO(http://tsuchioto.wix.com/tsuchioto)らと、僕の作曲した『You’ll Never Walk Alone』を演奏させていただきました。

http://hirokifujii.com/youll-never-walk-alone-project 

本番翌日には、槌音プロジェクト代表で、臺隆裕君のお父さんでもある臺隆明さんに、大槌の町を周っていただき、震災当時の事や現状を語っていただきました。生徒さんはみんな大槌を訪れるのが初めてで、現地の方のリアルな説明にショックを受け、いろいろ考えさせられるきっかけとなったようです。

生徒さんもおっしゃっていましたが、震災がなければ大槌町という名前すら知らなかったし、ましてや訪れる事もなかったでしょう。

震災はとても不幸な出来事でしたが、このイベントを通して、プロアマ、年齢、東北在住か関東在住かに関係なく、「音楽」を通じてひとつに繋がる事が出来たのではないかと思っています。

とはいえ、町の中心部はほぼ更地で、人が戻って来るか分からないのが現状です。音楽を通じて活気ある町に出来るよう、これからも支援を続けていこうと思います。


※僕のCD(http://hirokifujii.com/cd)ジャケットになった景色をバックに、生徒さんと記念撮影

【Z BLOG】古屋 ひろこ:香港に行ってきました♡

人生で二度目となる香港に、東京アクティブNEETsで演奏しに行ってきました!

着いたその日にもうライブがあったのですが、会場にはペンライトを持った現地の熱いファンの方々がたくさん待っていてくれました。とても感動しました。
ライブはそりゃもう物凄い盛り上がりで、私も滝のように汗をかいて全力で演奏して踊って楽しませていただきました。好きな音楽に国境はないのだなぁ、と海外で演奏する度に思います。

そしてCDを販売したCP03ではそれはもう物凄い人で、我々のCDもイベント終了を待たずして完売いたしました。ほとんどみんな話すのは英語だからとても分かりやすかった。

そして香港は何と言っても街がカラフルで、夜景が綺麗、そして食べ物が美味しい…!!!
香港料理と青島ビールの組み合わせはそりゃあもう最高でした。いつまでも食べていたかった…
それから香港の人々はとても優しい。特に男性ったらみんなワタシのことお姫様のように扱ってくれて嬉しかったなぁ。目尻下がりっぱなしのデレッデレで二日間半を過ごしました。とても短い間だったけれど、大好きな香港、6年ぶりくらいかなぁ、に行けて嬉しかったです。次はもっと観光もしたいし、来年もまた行きます。ありがとう、香港!!!

最後に我らがリーダーの撮影した夜景の写真をどうぞ。ステキだわ~!百万ドル!!!

では、また。

古屋ひろこ

【Z BLOG】吉田 佐和子:余白ある生活を送る

今年に入ってから、自分の中で様々な価値観が変わってきました。

そんな 私の心境の変化を表すように、大切にしたい言葉が生まれてきました。

それは『自由』と『上質』という言葉。

その言葉が時間の経過とともに変化して『余白』という言葉を大切にしたいと思うようになりました。

ふとZブログを読み返していたのですが、昨年の11月にこんな記事を書いていますね。

▶︎余白を味わう暮らしhttp://jp.yamaha.com/sp/blog/z_express/6939/

この時とはまた違った心境なのですが、最近意識して『余白』を作ろうとしています。

それは、仕事のスケジュール、自分が良いと思う服、自分がデザインするものなど、あらゆることにそのスタイルが浸透していくということです。

例えば、このあいだ読んでいたこの本は、余白感が絶妙で凄く美しい本なのですが、こういうものを目にする機会を増やすことも大事。

文字のフォントや太さ、一行あたりの文字数なども凄くこだわってあるのが伝わってきて、自分の中のデザイン感覚が研ぎ澄まされていくように感じます。

最近『デザインする』ということに凄く興味があり、自分の創りたい世界をどうデザインして、世の中に伝えていくのか?というところは、もっと工夫出来る部分があるように感じています。

自分の伝えたい音楽までの導線を、もっと優しく、丁寧に創りたいなと。

自己のサイトや紙媒体のものなど、自ら発信しているもの総てが導線と言えるでしょう。
その導線にもっとこだわれば、その先に在る音楽に辿り着く人が増えると思うんです。

また、余白のある音楽についても考えてみました。
そして、余白のある音楽とは、おそらく聴いている人に、何か意識して考えさせる部分をつくるものなのではないか、という仮定に辿りつきました。

つまり、分かりやすい=楽しい、嬉しい、悲しい、だけではなく、ただ「凄い」だけではなく。。
音楽を通して何かを考える余裕が自然と生み出される音楽を余白のある音楽というのではないかと。

この『余白』を意識した生活が何を生み出すのかはまだ未知数ですが、しばらく意識して生活してみようと思います。

【Z BLOG】朝里 勝久:「ダイエットと楽器演奏」

大学時代から着実に増え続けた体重。1、2回頑張って痩せた事もありますが、結局リバウンドの繰り返し。気付けば、とうとうこんなところまで来たのか…という数値に。そして今年頭に腰を痛めたのですが、これも増加した体重のせいなのでは。演奏に支障が出るのはまずい。という事で一念発起。

今まで失敗した原因を探った結果、

・無理し過ぎない(続けられることをやる)
・明確な目標と気合
・協力者

これらが大事だと分析。という事で、

・ご飯大盛り卒業(涙)一般的にではなく個人的に体重が減り、でも好きな食べ物を普通に食べる。僕の場合は、肉や魚、豆腐、ブロッコリーなどでした。
・いつまでにどのくらい減らすのかを決める
・食事は基本協力してもらう

加えて、そんなに嫌いじゃない筋トレなど運動もやり始めました。週1くらい。それ以上は続くわけないので….。で、半年後の途中経過!

見た目ではそこまで分からないかもしれませんが、今のところ17キロ減!前に比べて炭水化物の量はやはり減らすことになりましたが(前が食べ過ぎ)、よく言われる目眩やイライラするなどの症状は僕は大丈夫でした。「痩せたら楽器演奏に影響があるのでは」と聞かれることがあります。たしかに影響はありますが、悪影響は今のところ無いです。個人的には、使う道具と自分のバランスをしっかり取れれば良いかと。マウスピースのサイズは変えました。息は、吐く時は意識的に少し頑張らなくてはいけなくなりましたが、吸うのはむしろ楽になりました。肺にかかる圧力の関係でしょうか。

さて、ここまで偉そうに書いてしまうとそれはそれでプレッシャーです…。近い将来、文頭の「1、2回」が「2、3回」にならないように気を付けます。

【Z BLOG】三木 俊雄:音楽大学の行方

日本には音楽大学、あるいは音楽学部のある大学が41校あるらしい。
それぞれの学生数がどれくらいかはわからないが、毎年かなりの数の卒業生を送り出していることになる。

当然これらの卒業生がすべてプロの音楽家になっていたら、今頃世の中はミュージシャンで溢れかえっているだろう。
音大を卒業してプロの音楽家になる確率は法学部を卒業して司法試験に合格するより少ないのではないだろうか。

よく「音楽大学は1人の成功者を生み出すために99人を犠牲にする」ビジネスモデルだと言われる。随分ヒドイ言い方ではあるが、ではプロになれなかった99人はどうするのか?という問題が当然ながら持ち上がってくる。
しかしその一方で、いや、そもそも音楽大学はプロの音楽家を養成する機関であるのか、という疑問もある。

音楽大学といえば男女比においてそのほとんどが女子であり、実際女子大もある。そして学科としてはピアノ科がその大半を占める。
つまり音楽大学とは家にグランドピアノを持つ比較的裕福な家庭の子女のための「花嫁学校」の上位に位置するものであり、言ってみれば「お茶とお花を少々」というのの少し実用的なものとして音楽大学卒業はお見合いという婚活市場において高く売れたのだ。
実際、いわゆる団塊の世代を中心に医者、弁護士といった社会的エリートの奥様は音大卒、というのが多く見られた。

というのも今や昔の話。

お見合いというシステムも過去のものとなり、音大卒の婚活における市場価値は決して高いものではなくなった。男女比もピアノ科の比率もかつてほどではない。
音楽大学の役割は「花嫁学校」から本来の「音楽学校」に立ち戻ることになった。

しかし従来の音大が提供していたのはクラシックという成熟しきった分野。その中で4年間バッハやベートーヴェンを勉強し、卒業後初めてありついた仕事が結婚式の演奏。しかしリクエストされた曲のわずか8小節のコードネームに手も足も出なかった、ということが起こってくる。
これが音大にジャズ科、ポップス科が出来た経緯の一つだ。

もちろん少子化の進む昨今、「プロ養成」からさらなる「お嬢様芸」まで各音大がそれぞれの道を模索している。
中には多くの「女子短大」がたどったと同じく撤退戦を強いられるものもあるだろう。

音楽という資格をともなわない職能を育成する音楽大学において現在は一つの過渡期といえると思うのだが、これはひいては多くの一般大学の今後にもやがて当てはまる問題だろう。
もちろん、大学は単なる職業訓練校ではない。しかし「学問を通じた幅広い人格形成」という大学の役割とその意義は今後の社会において確実に変わっていくだろう。

【Z BLOG】古屋 ひろこ:大使ってどうやったらなれるんですか?

こんにちは。本日は将来の夢なんぞを少し。
私はもう齢31歳になりましてそこそこいい大人ではありますが、まだまだ将来の夢はたくさんあるわけです。まず人並みにお嫁さんにもお母さんにもなりたいわけで、ステキなお庭のついたおうちにステキな旦那様と暮らして朝は毎日行ってきますのチュ…、、、っていやすんませんそんなことはどうでもいいですね。
えーと、そう、将来なりたいものの一つに”観光大使”があります。ワタクシ生まれも育ちも山梨県なわけですが、山梨県には本当に美味しいものがたくさんある!桃に葡萄にお米に水に、空気と水は言わずもがな美味しいんですねこれが。また海はないけれど海への憧れは強く、マグロの消費量は全国第2位だとかで(昔テレビで見ました)、そして忘れてはいけない富士山も静岡県にまたいで半分あるし、八ヶ岳や南アルプス、数々の美しい自然に溢れているわけです。山梨県には空港も新幹線もありませんがホラ近々リニアモーターカーも通りそう!スゴイ!
そんな素晴らしい山梨を私の音楽活動を通してアピールしたい!それには大使になるしかない!誰か!推薦とかホラ!誰かー!‥‥‥‥‥‥‥‥っとほぼ他力本願で生きている私ではありますが、なんと私がリーダーを務めるTHE OMATSURIESが、この度山梨県フェアなるものでの演奏の機会をいただきました。場所は千葉県は津田沼でしたけど。笑
会場になりました津田沼AEONは山梨県フェア当日は桃、葡萄にほうとう、リニアモーターカーなど山梨県のものがわんさか溢れておりました。嬉しかったなぁ。
そして当日のこと、リハーサルを終えた私はスタッフさんに
『いやぁ私将来観光大使になりたいでs』
と言いましたが、最後のですのすを言う前に、食い気味に
『昨日いらしてた山梨県観光大使の方ものすごく可愛かったですよ!!!』
と言われてしまいました。

‥‥いやね、あたしだってね、何も可愛い路線でいこうなんて思ってませんよ。人間ね、いろんなキャラクターがいるわけですから、ほら、あれだ、高田純次さんみたいな大人を目指していきたいわけですよ。高田純次さんみたいなユニークな観光大使!面白そう!私はなる、観光大使に…!

あ、どうでもいいです?

失礼しました。さて肝心のライブは、津田沼AEONの店長もノリノリで三回ステージ全部見にいらしてくださったり、千葉県内外からたくさんのお客様がいらして、また足を止めてノリノリで聞いてくださいました。山梨県のゆるキャラ、武田菱丸君との共演も果たしましたよ。

夢である山梨県観光大使に一歩近づいた、ような気がした一日でした。誰かー!推薦とかホラー!‥笑

お世話になった皆様、ありがとうございました!
山梨県はとってもワンダフルだからもっと全国に広まりますように!!!

では、また。

古屋ひろこ

【Z BLOG】朝里 勝久:「Christian Lindberg」

スウェーデン生まれの世界的トロンボーンソリスト、指揮者、作曲家。
http://www.tarrodi.se/cl/ 
http://www.proarte.co.jp/overseas/2011OverseasArtist/post-27.php

私が15歳で個人レッスンに通いだした頃、先生に彼の演奏が入ったカセットをお借りして、帰りの電車でウォークマンで聴いた時の衝撃。それから20年以上もの間、ずっと驚きと感動を与え続けてくれている、私にとって一生憧れの音楽家であり、芸術家。

聴き始めた当初はその“トロンボーンのパガニーニ”と称される程の超絶技巧がとにかく大好きで、熊蜂の飛行やチャルダッシュなどの「早い・高い・派手な」曲がお気に入り。トロンボーンではそれまで想像すらしていなかった超高速パッセージ、超高音。なんでこんな事出来るんだろうと不思議に思いつつ、頑張って真似しようとしていました。ですが、パッと聴いた感じ派手さも無く、あまりよくワカラナイという理由で聴いていなかった曲もたくさんありました。

しばらく経ったある時、飛ばして聴いていなかったある曲をふと聴く機会があり、その圧倒的な「歌」に心が震え涙が止まらなくなりました。この時までよくレッスン等でも「歌う」と言われる事が正直理解出来ずにいたのですが、この時初めてこういう事なのかと感じられた気がしました。「トロンボーン」の事を更に好きになったのは彼の演奏のおかげなのですが、「音楽」の事を好きになったのも彼のおかげだったのかなと今思います。

写真は高校時代。リサイタルを聴いた帰りに楽屋口付近で彼を発見!震える手と声でなんとか写真を一緒に撮って貰いました。私の左手の硬直具合がすごい。その写真に数年後サインを貰いに再び突撃。

トロンボーンのソリストとしての地位を確立しただけでなく、今現在は指揮者として、また作曲家として幅広い活躍をされています。

2011年に東日本大震災の復興支援コンサートがあった時は、大ホールの前から2列目でかぶりついて聴いていましたが、今年もトロンボーン奏者としての来日が決まっていまして、今回のリサイタルでは私に音楽の事を好きになるきっかけを与えてくれたその曲も演奏される予定で、今から楽しみでなりません。チケットを見てニヤニヤしています…。

【Z BLOG】三木 俊雄:「風呂場のまぐれ」

クリント・イーストウッド監督によるチャーリー・パーカーの伝記映画「バード」で、真夜中にバードがディジーのアパートを訪れドアを叩くシーンがある。
「いいアイディアを思いついたんだ」
ディジーの奥さんは「絶対に入れちゃダメ」「今何時だと思ってる?明日にしてくれ」とディジー。「明日になったら忘れてしまう」と懇願するバード。そして遂にサックスを取り出しドアの前で吹き出し、それをドア越しに五線紙にメモするディジー。

これはいささか誇張された伝説的エピソードだろうが、ふと思いついたメロディーやアイディアを書き留めずに忘れてしまった、という経験は誰しもあるだろう。
その時は非常に鮮明に覚えているので多分家に帰ってからでも、明日になってからでも大丈夫だと思うのだが、実際覚えていたことはまず無い。

昔は五線紙を肌身離さず持ち歩いているとか、今だったらボイスレコーダーをポケットに入れているとかいうのが何か「いかにも」な感じで好きになれなかったが、iPhoneを持つようになって実際この方法がいかに有効であるかを実感するようになった。
もちろん一晩寝て忘れてしまうようなアイディアはもともとその程度だとか、ショーターの「ネフェルティティ」は次の朝までわざと譜面に書き起こさなかった、という話もあるが、僕の場合そんな事を言っていてはいつまで経っても曲は書けない。

シンガーソングライターの山下達郎さんはインタビューで「曲は作ろうと思ってピアノの前に座って作る。風呂場で思いついたとか、そういうのは一切ない」というような事を言っていた。彼ほどの人でも自らを現実的な職人として正直に答えているんだなぁ、と思っていたが考えてみれば「書こうと思って書ける」つまりアウトプットをコントロール出来るというのはプロとして実に羨ましい才能だ。

僕はと言えば、その「風呂場」で起こった、「まぐれ」に多くを頼っている。
しかもそのふと口を突いて出てきたメロディーなりアイディアというのはほぼ100%「どこかで聞いた」ものである。いや、であるはずだ。
運良くアイディアを逃すことなく、ようやくピアノの前に座って曲を書き進めるうちに段々それが心配になってきたりもする。
棚に並んだ大量のCDの背表紙を眺めながらいろいろ心当たりを探ってみるが、大抵見当たらない。
曲が出来て随分しばらくして全然関係ないところで「あ、これか!」ということがある。
また、「実はこの曲の元ネタはコレなんだ」と告白しても、どこが似ているのかわからないと言われたり、逆に僕は全然そう思わないけどコレに似ている、と言われたりすることもある。

何かを聴いてそれがうっすら頭に残り、何かの拍子で出てくる。しかしそれは四六時中、それこそ寝ても覚めても「その」事を考えているからだ。
頭の中に一度貯蔵され、幸運にも再びその顔を現したアイディア、この言わば長期記憶から生まれた短期記憶は僕にとって今後出会うことのないかもしれないチャンス。これを逃さないように記録する、というのは今聞いた電話番号を忘れないうちに書き留めるというのと少しばかり違う。その時忘れてしまった電話番号を再び思い出すことはない。