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エフゲニ・ボジャノフ 氏(Evgeni Bozhanov) その瞬間、感じるままに演奏する。とてもシンプルです。 この記事は2015年6月8日に掲載しております。

1984年ブルガリアのルセ生まれ。リヒテル、カサグランデ、エリザベート等数々のコンクールで上位入賞を果たし、2010年、第4位に入賞したショパン国際ピアノコンクールで世界のピアノファンから一躍注目されるようになった、エフゲニ・ボジャノフ。独創的で強烈な個性を持つ演奏で人々の心を奪い、異彩を放つ才能として期待を集める気鋭のピアニストだ。そんな彼の音楽をつくったものは何なのか。お話を伺った。

Profile

pianist エフゲニ・ボジャノフ

pianist
エフゲニ・ボジャノフ
ブルガリア出身。2008年リヒテル国際ピアノコンクール最高位、10年エリザベート王妃国際ピアノコンクール第2位、同年ショパン国際ピアノコンクール第4位他、数多くの国際コンクールで入賞。11年ショパン・フェスティバル(ワルシャワ)に招待され、オープニング公演でショパン「ピアノ協奏曲第1番」を演奏、同時にリサイタルも行った。ベルリン・ドイツ響、イタリア・RAI国立響、フィレンツェ五月音楽祭管、スイス・イタリアーナ管等と共演。日本では、11年1月佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団定期演奏会のソリストとしてデビュー。同年10月、同指揮ベルリン・ドイツ交響楽団日本ツアーのソリストとして再来日し大きな反響を呼んだ。12年サントリーホールを含む全国6公演のリサイタルツアーを行う。15年4月、佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団10周年記念ツアーソリストとして、全国12公演を行う。同年5月、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに出演。
CD『フレデリック・ショパン』が「ドイツレコード評論賞」を受賞。「絶対的なコントロールと聴衆を催眠術にかけてしまうかのような魅力を持っている...音楽家が一生かけても表現しきれないニュアンスをたった一小節の中に表現する」(米ダラス・モーニング・ニュース紙)と称される鬼才の若手ピアニスト。
※上記は2015年6月8日に掲載した情報です

オペラ作品を弾くことが基礎を築いた

 2010年、ショパン生誕200年を記念して盛大に開催された、ショパン国際ピアノコンクール。このとき一際注目されたのが、当時26歳だったエフゲニ・ボジャノフの演奏だ。はっきりとした主張を持ち、型にはまらない濃厚なショパンの音楽が、人々を熱狂させた。聴く者の心を捉えるボジャノフの天才性は誰もが認めるものの、同時にあまりに個性的な音楽に、一部の聴衆や審査員は戸惑いを隠さなかった。
このコンクールで彼は第4位に入賞。ワルシャワはもちろん、インターネット配信で演奏を聴いていた世界中の人々から大きな支持を集めた。

ボジャノフがこれまでどのように音楽と向き合ってきたのか、その過程を聞くと、彼の独創性がいかにして育まれたのかが見えてくる。
「両親はまったく音楽関係ではなく、家にはピアノがありませんでした。初めて手にした楽器は子供用のアコーディオンで、ラジオで聴いたメロディを弾いて遊んでいました。本格的に音楽に興味を持つようになったのは、6歳の頃。きっかけは、祖母が連れて行ってくれたオペラです。その頃にピアノのレッスンも受け始めたのですが、なかなか合う先生がいなくて、次々違う方に習いました。
ただ、僕の音楽の基礎を作ったのは、レッスンで弾いた“チェルニーの練習曲”ではありません。当時、オペラの曲をピアノで弾くのがとても好きで、図書館でピアノ版の楽譜を見つけては家で弾いていました。なかでもヴェルディの作品がお気に入りでした。これこそが、僕にとってのソルフェージュや和声のレッスンでした。すばらしい音楽から自然とそうした基礎が身に付く、とても効果的な方法だったと思います」
12歳の頃、生まれ故郷でモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したのが、ピアニストへの道を意識した最初の出来事だった。
「初めて、ちゃんとしたコンサートホールでオーケストラと演奏しました。最高の演奏ができたわけではなかったけれど、またやってみたいと感じる、刺激的でエネルギーに満ちた経験でした。でも、これがきっかけでピアニストになろうと思ったというわけではありません。僕はいつも、自分の中にある欲求を満足させようと、その時にやりたいと思うことをやってきただけ。コンサートで弾いたり、コンクールに挑戦したり、オペラやバレエなど他の音楽を研究してみたり、その内容はさまざま。どれも自分にとって重要な経験として蓄積され、今の僕を作っていると思います」

彼のこうした姿勢は、多くの演奏家にとって大きなプレッシャーがあるコンクールという場面においても変わらなかったようだ。前述のショパン国際ピアノコンクールに参加していた3週間についても、こんなふうに振り返る。
「ワルシャワに着いた瞬間から、周りの何もかもがショパンという状況でしたので、自分の中で音楽が過剰にならないよう心がけていました。だから、練習以外の時間はできるだけ別の好きなことをして過ごしていましたね(笑)。そして、ステージに上がるときに全部を取り戻して、フレッシュな気持ちで演奏する。緊張感はありましたが、とても自然な気持ちで過ごしていました」

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エフゲニ・ボジャノフ へ “5”つの質問

※上記は2015年6月8日に掲載した情報です