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塩谷 哲 氏(Shionoya Satoru) この人と演りたい、一緒に何かを創りたい。そんな直感と動物的な衝動を自分は信じています。 この記事は2010年7月20日に掲載しております。

ラテン音楽で一世を風靡したオルケスタ・デ・ラ・ルスのキーボーディストとして活躍、また近年は佐藤竹善とのデュオSalt&Sugerの活動も話題に。最近はピアノ・トリオでのアルバム・リリースやサッカー・ワールド・カップで世界が沸く南アフリカでのライブも成功させ、常にアクティブなピアノを発信し続ける塩谷さんにそのルーツと原動力についてうかがいました。

Profile

pianist 塩谷 哲

pianist
塩谷 哲
東京芸術大学音楽学部作曲科中退。オルケスタ・デ・ラ・ルスのピアニストとして活動(93年国連平和賞受賞、95年米グラミー賞にノミネート)を経てソロ活動を開始、現在まで11枚のオリジナルアルバムを発表する。自己のグループ『SALT BAND』『塩谷哲トリオ』、『塩谷哲グループ』『Four of a Kind』をはじめ、佐藤竹善=SING LIKE TALKINGとのデュオ・ユニット『SALT&SUGAR』、世界的ジャズピアニスト小曽根真との共演など、幅広い独自の活動を展開する。 また、主にヴォーカリストとのデュオを聴かせる自身のイベント「Saltish Night」を96年より毎年末に開催する一方、Bunkamuraオーチャードホールにてベートーヴェン「第九」等の名作を再構築するシリーズ「COOL CLASSICS」('99-'02)、同ホールにてNYをテーマとしたコンサート「Sketch of New York」('07)、愛・地球博にてビッグバンドを率いたステージの演出('05)、小曽根氏とのモーツァルト/ピアノ協奏曲などのクラシック演奏('06-)、NHK「名曲アルバム」へのオーケストラ・アレンジの提供('08)、ジャズピアノ6連弾('05-)、と活動内容は多岐に渡る。 更に、海外活動も多くオルケスタ・デ・ラ・ルス時代にツアーした北米・中南米・カリブ海・ヨーロッパ公演に加え、自己のグループでもドイツ、フランス、イタリア、レバノン、ギリシャ、ヨルダン、タイ、マレーシア、インドネシア、韓国で演奏している。 09年津軽三味線の上妻宏光とのユニット『AGA-SHIO』を結成。11月アルバム「AGA-SHIO」をリリース。2010年1~3月まで全国10本のコンサートツアーの後、5月下旬より一ヶ月のヨーロッパ&アフリカツアー(ドイツ・チェコ・イタリア・フランス・エジプト・スペイン・コンゴ民主共和国・南アフリカ)を行い大反響となる。 その他の活動として、ソロピアノ・ライブをはじめ、金子飛鳥(Vn)、大儀見元(Per)、TOKU(vo,flg)、といったミュージシャンとのコラボレーションの他、J-popフィールドでのプロデュースが挙げられる。これまでに作品を提供したアーティストには、吉田美奈子、露崎春女、岩崎宏美、aminらが、編曲では、絢香、平井堅、矢井田瞳、今井美樹、Misia、柴田淳らがいる。ライヴ・コンサートでは、前述のアーティストに加え、SING LIKE TALKING、パキート・デリベラ、渡辺貞夫、坂田明、古澤巌、中川英二郎、松たか子、コブクロほか様々なジャンルの音楽家と共演している。
「塩谷 哲」オフィシャルウェブサイト
※上記は2010年7月20日に掲載した情報です

子供の頃の家族ドライブ。BGMはいつもオスカー・ピーターソン。

幼いころから音楽にはずっと接していました。父親の趣味がウクレレ、ジャズ大好き人間でしたから。姉が通っていたこともあり、僕もヤマハ音楽教室でエレクトーンを習っていました。ご存じのように、ここはグループ・レッスンだったんでアンサンブルの面白さみたいなものを覚えましたね。

ピアノを触るようになったのはもっとずっと後で、確か小学校の高学年くらいかな?父親がオスカー・ピーターソンの大ファン、家族ドライブでどこかに行く時のBGMは必ずピーターソンでした。当時はカセットテープ(笑)、何時間も何時間も繰り返し聴いていましたよ。なーんか、わくわくするんですよ。それでいて音楽は深いしね・・・。

ずっとエレクトーンピアノの両方を弾いていましたが、進んだ中学校がとても合唱が盛んで、音楽の先生が熱心だったんですよ。自分はその伴奏をやることになって、このあたりからかな、ピアノに傾倒していったのは。

合唱部でピアノの醍醐味を知る、
影響を受けたのは音楽の先生と沼尻竜典さん。

合唱を通して、アンサンブルにおけるピアノの役割みたいなものも学んだと思います。ピアノばかりが目立っちゃいけないし、底辺で支えると言う役割もあって、曲全体のテンポ・スピード感もコントロールしなきゃいけない。合唱を煽ったり、引き立たせなくてもいけない。おそらくピアノを学んできた人の多くはソロから始めていると思うんですね。でも僕は人と一緒にやるところから始めちゃってるから、ピアノに抱いているイメージが違うのかもしれません。

例えば、コンチェルトでソリストがピアノを弾いてオーケストラがある。僕の持ってるピアノのイメージはむしろオーケストラ側。最初からピアノだけを習ってソリストを目指して練習してきた人とはちょっとスタートが違っていますね。

中学の3年間はとにかく合唱の世界にどっぷり・・・。作曲家自身が時々授業に来てくれたり、先生の情熱や合唱に取り組む姿勢が半端じゃないから影響されたことは測り知れません。人と協力して音楽を創っていく、その面白さをたくさん学びました。

僕の通っていた中学はごくごく普通の公立だったのですが、2つ上の先輩に沼尻竜典さん(*)がいらしたんですよ!とにかくピアノは上手いし、合唱曲を自分で作っちゃうような人で、才能のオーラをびしばし発していて、「尊敬」の一言!彼のようにピアノが弾けるようになりたいと思いました。とても影響を受けましたね。彼はその後、高校から桐朋に進み、大学では作曲科から指揮科へ転科されています。当時から楽曲の構造を知った上でピアノを弾かれるのでとても説得力がありました。

(*)ブザンソン国際指揮者コンクールなどで優勝した日本を代表する指揮者

人との出逢い、めぐりあわせが今の自分を創ってくれた。

そうは言っても自分にとって音楽はあくまでも「趣味」の領域だったから、将来のことを考え始めたのは高校2年の冬くらいに受験と進路を決めるあたりだったかな・・・。東京芸大を目指すことにしました。それにね、なんとこれまた、一年下に大西順子(注1)が入学してきた!(笑)もうすごいでしょ?普通の公立高校ですよ。めぐりあわせですよね?

芸大の作曲家に焦点を当て、ちゃんとアカデミックな理論も身につけなきゃと猛勉強しました。ところが実際に合格できて入学してからは何を創ったらいいのかわからない・・・。(苦笑)そうこうしていたら、たまたま高校の2年上の先輩が国立音大の作曲科にいて、トランペットの五十嵐一生(注2)のバンドでドラムを叩いてたんです。彼に色々教えてもらううちに和声の面白さなんかがわかるようになってきた、それでそのままそのバンドに入っちゃった!大学では所謂「現代音楽」と称される作曲をやりながら、一方では国立音大のジャズ研に入り浸っていました。同じ時期にバイオリンの金子飛鳥とも知り合います。すべてめぐりあわせ、人との出逢いです。

(注1)世界的ジャズ・ピアニスト (注2)ジャズ・トランペッター五十嵐一生氏のこと

初めてライブハウスで演奏したギャラは100円。

ライブハウスでも活動をするようになり、最初の頃はお客さんも2-3人。10人いればいい方でした。でも人前で演奏することが楽しくて、自分のやっていることがすぐその場で反応が見えるわけですからこれはとても大切。たとえお客さんが2-3人でもね。チャージバック式ですから、ギャラは100円。(笑)これがだんだん増えていって500円になったときはホントうれしかったなぁ・・・。そして1000円になったときは「おぉー御札だ!!!」(爆笑)

人との出逢いでオルケスタ・デ・ラ・ルスへ

そんな現場を重ねていくうちに、大儀見元と言うパーカッショニストに出逢いました。彼のグルーヴ、リズムのすべてが自分に響いたんです。この人と少しでも一緒にやれたら・・・。そう思いました。当時、すでにオルケスタ・デ・ラ・ルスというバンドはあったんですが、たまたまピアニストが辞めて誰かいないかと探しているところだった。それで誘ってもらえ、メンバーになりました。

サルサもラテンも何も知らなかったけれど、大儀見元と一緒に何かやりたかった、それだけでした。サルサはとてもシンプルなハーモニー、大学で勉強していた現代音楽とのギャップはそりゃあすごい!でもハマっちゃった。(笑)

僕は「クラシックが好き、ジャズが好き、だから追及しました」なんてのじゃなくて、たまたまそこにある音楽が自分に響いたか、感じたか、それだけなんです。そしてその時その時に必ずキーパーソンがいるんですよ。小曽根真さんもそうです。自分は運がいいのだと思っています。そんなキーパーソンに影響を受けて、共演することでどんどん自分の音楽の世界も広がっていきますから。この人とやりたい、一緒に何かを創りたい、そんな直感、動物的な衝動を僕は信じています。

ただし、自分がそう思っても関係は成り立たないから、相手も「塩谷 哲」に何か感じてもらえるよう常に研ぎ澄ましていなくてはなりません。相手が大物だとか新人だとか、有名だとか無名だとか関係ない。そう意味で、ミュージシャン「塩谷 哲」はとても素直な人間ですよ。(笑)

ピアニストとしての自分

そうは言っても「ピアニストとして自分はどうなのよ?!」と自問自答。アルバム11枚目にしてやっとソロ・ピアノに取り組む踏ん切りと言うか、覚悟みたいなものが出来ました。数年前からソロのコンサートは結構やってきているのですが、ようやくピアノと自分が一つになってきたかなぁと言う感じです。とは言え、結局自分の表現したいピアニズムを伝えたかったら、自分の創った曲でないとだめかな?と。コンポーザーとしての自分のスタイルも強く出したアルバムになりました。

今、僕の娘が10歳になります。ピアノを習っているんですが、いつか僕が創った曲を弾いてくれたらうれしいな。親ばかですかね?(笑)

これから先、いくつになっても新しいことに挑戦していきたいと思っています。今まで色々な人と出会って、新しい発見と展開が始まっているから、きっとこれからもそうなっていくんじゃないかな。どうなるかわからない、結果が予測できない、それでもやってみないとわからないから、常にフレッシュな自分でありたいと思っています。

塩谷 哲 へ “5”つの質問

※上記は2010年7月20日に掲載した情報です