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田村 響 氏(Tamura Hibiki) 2011年3月 東京文化会館、今の自分に出来る最高の演奏を目指したい。 この記事は2011年2月3日に掲載しております。

弱冠20歳で2007年のロン・ティボー国際コンクールを制したピアニストはカラオケが大好きで、ミス・チル、スピッツ、B'zを熱唱するとか。「最近、運転免許をとったのでお酒の量も減りました」と笑顔で応える爽やかな現代の一人の若者がここにいました。

Profile

pianist 田村 響

pianist
田村 響
ピアニスト田村響は、2007年10月パリで開催された世界的なコンクールのひとつであるロン・ティボー国際コンクールにおいて弱冠20歳で第1位に輝き一躍世界に注目されるに至った。合わせて、ショパン、フォーレ、ラフマニノフ(協奏曲)、新曲課題の最優秀演奏者に贈られる各賞を受賞。 以来、ザルツブルグ・モーツァルテウムで勉学を続けながら、国際的な演奏活動を開始している。2008年の主な活動として、ザルツブルクのモーツァルテウムでの演奏会、カンヌ管弦楽団との共演、日本フィル、大阪フィル、関西フィル、名古屋フィルとの共演、デュッセルドルフ、ボルドー、カイロ、上海、台北でのリサイタル、東京、大阪を含む日本各地でのリサイタルがあった。また夏には、フランス、ドイツ、スイスでの音楽祭にも招かれた。
2009年2月には、ビシュコフ指揮ケルン放送交響楽団の定期演奏会デビューと日本ツアー、その他、日本フィル定期、京響定期への出演、都響、九響、山形響との共演などがある。
1986年愛知県安城市生まれ。3歳よりピアノを始める。
愛知県立明和高校音楽科を卒業後、18歳でザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学に留学。これまでに、深谷直仁、清水皇樹、クラウディオ・ソアレス、クリストフ・リースケの各氏に師事。

2002年、エトリンゲン青少年国際ピアノ・コンクールB部門第2位及びハイドン賞、第26回ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、第18回園田高弘賞ピアノ・コンクールにて園田高弘賞第1位を受賞。

以来、国内の主要オーケストラから招かれる一方、数多くのリサイタルを開催、その活動は、フランス、オランダ、ドイツ、スイス、ロシア、ブラジルなどにも及んだ。

2004年デビューCDをリリース、2008年8月には「ロン・ティボー国際コンクール優勝記念」と称した2枚目のCDをリリースした。 受賞暦としては、2003年度<アリオン賞>受賞。第14回大幸財団丹羽奨励生。(財)江副育英会奨学生。2006年第16回出光音楽賞受賞 2008年文化庁長官表彰・国際芸術部門受賞などがある。
※上記は2011年2月3日に掲載した情報です

幼いころからピアノ漬けの毎日

 きちんとピアノを始めたのは5-6歳くらいだったと記憶しています。母がピアノをやっていたので3歳とかそのくらいからピアノと戯れていました。僕には兄が二人いるのですが、その兄達も音楽関係なんです。一番上は新日フィルでバイオリンを弾いていますし、二番目の兄は調律師でした。彼はヤマハに7年勤めていましたが、昨年独立してコンピューターやら何やら色々やっているようです。
幼いころからピアノ漬けの毎日でした。夏休みは毎年のようにコンクールの準備に追われますから、友達と遊んだ記憶がほとんどないのです。中学生くらいまでは兄に絶対服従!(笑)普通は母親が怖くて練習に励むものですが、自分の場合は兄の存在が絶対でした。学校から帰ってきて、友達と遊びに行くのも兄の許可が必要・・・。丁度、反抗期だった兄の矛先が僕に向いていたのかも?(苦笑)

留学してからは毎日が驚きの連続

 高校に入学してすぐ、6月にはもう学校をやめたくてやめたくて仕方ありませんでした。日本にいるのが嫌だったんです。こんなことをしている場合じゃないぞ!って。学校の勉強はいつでもできるけれど、僕は今、この瞬間に「世界」を肌で感じることを体験したかったのです。その若さ、年齢でしか、感じられないことってあると思うんです。でも、学年主任の先生やら色々な人達から「高校の卒業証書だけは持っておいたほうがいいよ」と説得されて・・・・。
その後、オーストリア・ザルツブルグに留学してからは、毎日が新しい発見と驚きの連続でした。本当にうれしかった!失敗もたくさんありますよ。留学して初日、お店の営業時間なんか知りませんから、薄暗いスーパーに入って色々な物を手に抱えていたら、人がたくさん飛んできた!泥棒と間違えられたんですね。トイレの表示やらドアの押す・引く、そんな普通のささやかなことに戸惑い、一つ一つ覚えながら生活していきました。

世界中を旅してみたくて

 そして、ヨーロッパは陸続きですから、機会を見つけては色々なところを旅して周りました。夏のプラハやギリシャのサルトリーニ島はとにかく印象的で感動しましたし、その後、ニューヨークや南米ブラジルにも行きました。ニューヨークはすべてがエネルギッシュで相当刺激も受けましたね。そう言えば、ハンガリーの一人旅では失敗も・・・。ジブシー音楽を聴きたくて、そんな店に入ったのですが、ほろ酔いでイイ気分になり、そこで知り合った女性二人と意気投合(?)し、彼女達から誘われて、バーを3軒ハシゴしました。支払いはすべて僕。後でガイドブックを調べたら、危険地帯なので近づかないようにと書かれているところばかりでした。(苦笑)色々あるものです。
まだまだ行ったことのない国や地域は沢山あるので、これからもどんどんでかけて出かけていきたい。楽しみです!

ピアノと自分の関係

 ピアノ一本でやっていくんだ!と気負ったことはありません。もちろん与えられた環境で自分の選んだことは、その時その時を一生懸命にやっています。自分で自分を追い込んでしまうとつらいから、あくまでも自然の流れでそうなった、ここまで来た、と思うようにしています。
ロン・ティボー(*)で優勝してから、コンサートの機会をいただけるようになり、自分自身の行動や時間の使い方を随分考えるようになりました。これからどうしていくかは、まだ考えているところです。あまり自分からガツガツやっていくタイプではないので、様々な人との出会いや流れを見ながら機を待っているとでも言えばよいのでしょうか。

(*)世界有数のコンクール「ロン・ティボー国際コンクール」のこと。

ピアノをやっていて良かったと思う瞬間ですか?うーん・・・。やっぱり自分で満足できる演奏をした時だと思いますが、まだまだ勉強しなくてはならないし、成長しなくてはなりませんから、そんなこと考えてる場合じゃないでしょう。(笑)先のことはわからない、常に一つ一つのコンサートに集中して、納得できる演奏をしていくこと、そうこうしながら、「ここまで来てるね」と自分に問いかけできたらいいんじゃないでしょうか。
今年(2011年)3月に東京文化会館でリサイタルを行います。自分にとって一つの節目のコンサートになると思っています。これは結果でもないし、分岐点でもありませんが、今の自分、ありのままの演奏を聴いていただきたい。もちろん今の自分に出来る最高の演奏を目指します。何より自分に感動したい!
いらしていただいたお客様が「田村響はこれからどんな可能性があるんだろう」と想像して欲しい、そうして先に繋がっていきたいですね。

田村 響 へ “5”つの質問

※上記は2011年2月3日に掲載した情報です