<< インタビューTOP

ユリアンナ・アヴデーエワ さん(Yulianna Avdeeva) いまは目の前のひとつひとつのコンサートに集中し、このコンクールの優勝者としてふさわしい演奏をするべく全力を尽くす、それだけです。 この記事は2010年12月28日に掲載しております。

「まだ、ショパン・コンクールに優勝したという実感が湧かないんですよ。もちろん優勝したことは大きな喜びですし、幸せなことだと思いますが、いまは自分にとって、この優勝はいったいどんな意味を持つのかと考えているところです」

Profile

pianist ユリアンナ・アヴデーエワ

pianist
ユリアンナ・アヴデーエワ
1985年、モスクワ生まれ。幼い頃よりその芸術の才を育み、弱冠5歳より、突出した才能のある若手音楽家のためのグネーシン特別音楽学校にて、エレナ・イヴァノワのもとでピアノを学ぶ。2003年、スイスに留学しチューリッヒ芸術大学にてコンスタンティン・シチェルバコフに師事し、2006年から09年まで、シチェルバコフの助手を務めた。並行して、愛着ある故郷モスクワでも勉強を続け、グネーシン音楽院のウラディーミル・トロップのもとで学んだ。2008年、チューリッヒおよびモスクワの学校をトップレヴェルの成績で卒業。同年、W.G.ナボレが主催する名高いコモ湖国際ピアノ・アカデミーに入学し、著名なピアニストたちの貴重な薫陶を受けている。ユリアンナ・アヴデーエワのレパートリーは、J.S.バッハからベートーヴェン、シューベルト、ショパン、20世紀の作曲家に至るまで幅広く、ソリストとしての活動はもとより、室内楽にも情熱を注いでいる。古楽器を演奏することにも関心を寄せ、学生であった2007年にフォルテピアノでベートーヴェンの難曲《ピアノ・ソナタop.106「ハンマークラヴィーア」》を録音している。こうした活動をさらに広げ深めていくことがアヴデーエワの目標のひとつでもある。

ユリアンナ・アヴデーエワは既に世界中の舞台に登場している。これまで、ロンドンのバービカン・センター、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院の大ホール、パリのサル・コルトー、ウィーンのベーゼンドルファー・ホール、ワルシャワのフィルハーモニア、ブレーメンのグロッケ、チューリッヒのトーンハーレで演奏するほか、マントン音楽祭、ワルシャワの「ショパンと彼のヨーロッパ」音楽祭、アルトゥール・ルービンシュタイン音楽祭、サンクトペテルブルクのミュージカル・オリンパス音楽祭にも出演。イタリア、日本、ポーランドでリサイタルも開催している。
※上記は2010年12月28日に掲載した情報です

いまは目の前のひとつひとつのコンサートに集中し、このコンクールの優勝者としてふさわしい演奏をするべく全力を尽くす、それだけです。

 2010年10月3日から20日までワルシャワで開催された第16回ショパン国際ピアノ・コンクール(以下ショパン・コンクール)は、審査員と聴衆の両方が驚愕するほどの高いレヴェルとなり、最後までだれが優勝するのかまったくわからない状況だった。
20日深夜に発表された優勝者の名前は、ユリアンナ・アヴデーエワ、ロシア(25歳)。1965年の第7回コンクールでマルタ・アルゲリッチが優勝してから45年ぶりの女性の優勝者が誕生したことになる。
通常は第6位入賞者から順に発表され、最後に第1位の名前が呼ばれ、その人はカメラのフラッシュの放列とテレビや新聞、雑誌などのマスコミに囲まれ、もみくちゃにされるのだが、今回アヴデーエワは関係者に囲まれてあっというまに姿を消し、祝福の言葉をかけることもできなかった。
冒頭の彼女の言葉はこう続く。
「名前が呼ばれた途端、私はあまりにも予期せぬ出来事だったため、考える余裕も反応する余裕もなかったのです。たくさんの関係者に連れられて奥に入ったのですが、そこでも人、人、人で、質問攻めに遭いました。もちろん、その後は多くのかたが注目してくれ、すばらしいコンサートの機会をいただき、感謝しています。でも、いまだじっくりと考える時間がなく、本当の意味での実感が湧いてこないのです。私の外側の世界は確かにコンクール後に大きな変化を遂げました。でも、私自身は変わりません。いまは目の前のひとつひとつのコンサートに集中し、このコンクールの優勝者としてふさわしい演奏をするべく全力を尽くす、それだけです」

コンクールでは黒のパンツスーツに白のブラウス姿。終始クールな表情でショパンの音楽に集中し、予選から本選にいたるまでヤマハCFXを存分に響かせ、安定した演奏を披露した。今回は国際舞台で活躍する多くのピアニストが審査員席にずらりと並んだが、彼らはコンクール終了後、アヴデーエワの落ち着いたステージマナーと最後まで自分の演奏を貫き通したことを口々に賞賛していた。「ショパン・コンクールは約3週間ですが、その前から長い時間をかけて準備をしていましたので、私にとってはかなり長期間にわたってショパンの音楽と対峙していたことになります。

ただし、昔からこのコンクールを受けたいと考えていたわけではありません。2、3年前には考えてもいませんでした。それがさまざまな状況から受けることになり今回の参加となったわけですが、ショパンの音楽は子どものころから大好きでしたので集中して練習しました。コンクールのステージはその最終段階であり、ひとつのゴールでもあります」

 アヴデーエワのいうゴールとは、音楽家にとってコンクールがゴールという意味では決してなく、今回の練習の成果の表れという意味。長い間ショパンを勉強し、それを聴衆の前で演奏する、それは「音楽で絵を描くようなもの」だと語る。
「その音の絵をみなさんに見ていただくのが私にとってのステージ。ですから、私はこんなにも偉大なコンクールでありながら、闘いの場とは考えず、コンサートをするという気持ちで演奏に臨みました。ワルシャワのフィルハーモニー・ホールは偉大な音楽家たちが演奏してきたところ。すばらしい演奏が生まれた場所でもあります。そこで私が演奏する、その幸せをかみしめながら、ただひたすらいい演奏をしようと心がけました」
コンクール時はクールな美貌に緊張感と集中力が加わり、終演後の楽屋でもその凛とした表情は崩さなかったが、いまインタビューに応えるアヴデーエワは時折にこやかな笑みを浮かべ、リラックスした雰囲気。「私は多面的な性格なのよ」とサラリという。
「子どものころの音楽とのかかわりはあまり覚えていないけど、いつも好奇心のかたまりで、いろんなことに興味がありました。幼いころから多面的な性格は変わらないですね。ひとつ強烈な印象として覚えているのは、6歳の初ステージ。チャイコフスキーの《子どものアルバム》から2曲を演奏したの。とても短い時間だったけど、そのときに聴いてくださるかたと音楽を通して交流ができたことにすごく感動を覚えた。ああ、人とコミュニケーションをとるのに、こういう方法があるんだとわかったわけ。そのおもしろさ、楽しさが忘れられなくて、いまでもステージに立つたびに心が高揚します。ステージが大好きなんですよ」

ショパンの作品との出合いは9歳のとき。ロシアの偉大なピアニスト、ウラディーミル・ホロヴィッツが演奏するピアノ・ソナタ第2番のカセットテープをプレゼントされ、作品と演奏のすばらしさに魅了された。
「特別な世界がそこには広がっていました。そのときからピアノ・ソナタ第2番は私にとって大切な作品、特別な存在となりました。いまでもこのソナタを演奏するときは、必ず子どものときに感じたその忘れがたいフィーリングが蘇ってきます」
ショパン・コンクールには特別賞がいくつか設けられている。ショパンが生涯愛した、祖国の民族舞曲を取り入れたことで知られる「マズルカ賞」と「ポロネーズ賞」。これはコンクール期間中、もっともすぐれたマズルカとポロネーズを演奏した人に贈られる。さらに「コンチェルト賞」と「ソナタ賞」がある。
この「ソナタ賞」は、1975年の優勝者、クリスティアン・ツィメルマンがショパンのもっとも偉大な作品のひとつとして知られるピアノ・ソナタの演奏に対して賞がないことに気づき、ツィメルマンが優勝した次の回から彼の提案によって生まれた特別賞である。今回は第3次予選でピアノ・ソナタ第2番を弾いたアヴデーエワに贈られた。
「大好きなソナタで賞がいただけるなんて、なんという喜びでしょう。私にとってこのソナタは意義ある作品で、長年の愛奏曲。演奏を受け入れていただき、とてもうれしいです」

彼女は「多面的で好奇心旺盛な性格」ゆえ、レパートリーも枠にはめたくないという。あらゆる作品を視野に入れ、じっくりと広めていきたいそうだ。
子ども時代はロシアでエレーナ・イヴァノワに師事し、13年間基礎をしっかり学んだ。この先生のレッスンを聴講した日本の先生が内容に感動し、先生とアヴデーエワを日本に招いて公開レッスンを行い、コンサートも開いた。それゆえ、9年前と8年前の2回来日を経験している。その後、名教授として知られるウラディーミル・トロップに師事。そして7年前チューリヒ音楽大学に移り、モスクワ音楽院の歴史に名を残す名ピアニスト、ゲンリヒ・ネイガウスの門下であるレフ・ナウモフに師事した、コンスタンティン・シチェルバコフに学ぶようになる。
「モスクワのグネーシン音楽大学の付属高校を卒業してからチューリヒに留学しました。でも、当初はモスクワでの勉強も続け、しばらくは両方の土地で勉強していたんです。シチェルバコフ先生はロシアのかたですので、チューリヒに移ったからといって、特に勉強法が変わったということはありません。ただし、ドイツ語を学ぶことができるようになり、J.S.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなど、ドイツ語圏の作曲家の作品をより多く勉強することができるようになりました。ドイツ語は偉大な作曲家たちの母国語ですから、とても興味深い。作曲家ゆかりの地も訪れ、彼らがインスピレーションを受けた場所に行くことにより、私の好奇心はいやがうえにも高まりました(笑)」

もうひとつ、アヴデーエワがチューリヒで得た大きなことは、作曲家が作品を書いた時代に使ったといわれる古い楽器に触れることができたこと。歴史的なピアノとの出合いは、その後の作品の解釈に大きな影響を与えた。
「リスト以前のピアノを演奏する機会に恵まれ、新しい世界が広がりました。この楽器を用いて作曲家たちはどんなことを意図して作品を書いたのか、どういう状況だったのかと、さまざまなことに考えを巡らしていくと、想像力が喚起され、興味は尽きません」
そうした好奇心は、ショパン・コンクールにおけるナショナル・エディション版を用いた演奏にも表れている。ナショナル・エディションはポーランドの国家事業としてショパンの作品をすべて洗い直し、すぐれた原典版を制作したもので、40年以上にわたりヤン・エキエルが編纂責任者を務める。2005年のショパン・コンクールから使用推奨楽譜に指定されている。
「現在は、さまざまな楽譜が手に入ります。50年前では信じられないほどの多くの種類の楽譜を見ることができます。もちろん私も昔からショパンはパデレフスキ版をはじめ、さまざまな版で勉強してきました。でも、ナショナル・エディションを見たときに、まったく新しい世界に触れた思いがしたのです。子どものころからバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作品を勉強するうちに、オリジナル楽譜の大切さに気づくようになりました。そしてショパンではナショナル・エディションが作曲家の意図に非常に忠実な版だとわかったのです。これはショパン自身や彼の直接の弟子の書き込みなどが見られ、おもしろい発見がいくつもあります。これこそがショパンが伝えたかったことだと、私は何度も胸を躍らせました。唯一の遺産ではないかと。それを忠実に再現することが私たち演奏家の使命であり、解釈の基本となるものです」

アヴデーエワはショパン・コンクールではナショナル・エディション版に忠実に、ショパンが意図した世界を見事に再現し、自信に満ちた説得力のある演奏を行った。
「たとえば《幻想ポロネーズ》を例にとると、これまで耳に慣れ親しんだ音とは違った音が出てきます。アーティキュレーション、スラー、レガート、スタッカートなど、多くのところが違っています。テンポもそうです。随所に不協和音のような音が聴こえます。ちょっと聴くとまちがって弾いているのではないかと思われますが、実はこれこそがショパンが書いた音なのです」
アヴデーエワは版の話になると身を乗り出し、一気に雄弁になる。大きな目が輝きを増し、表情が明るく好奇心に満ちあふれる。「幻想ポロネーズ」は今回の第3次予選の課題曲に選ばれ、20名が演奏した。
「この作品の不協和音に聴こえる箇所ですが、私はショパンが何かと闘っている、反抗しているように思えてならないのです。私にとってショパンは革命家のイメージ。わざとそういう音を入れたのではないかとさえ思ってしまいます。ショパンはハーモニーやテンポ、リズムなどすべての面で新しい世界を創造し、常に前を見つめ、革命を起こしたのです。今回、ショパン・コンクールを受けるにあたり、長い期間にわたってショパンと対峙するなかで、私のなかでショパンが生きた人間として存在するようになりました。いつも頭のなかでショパンが鳴り響いていました。作品に入り込んでいけばいくほどショパンが生きてくる。その思いをステージにぶつけました」
見事、第1位の栄誉に輝いたユリアンナ・アヴデーエワ。今回の来日ではN響との共演とリサイタルが組まれたが、来春1月には他の入賞者とともに再び来日、ショパン・コンクールのガラコンサートに出演する。ぜひ、ナマの演奏でその美しい響きを体感したい。

Textby 伊熊よし子

ユリアンナ アヴデーエワ へ “5”つの質問

※上記は2010年12月28日に掲載した情報です