ピアニスト:黒田亜樹  - 水谷川優子 チェロリサイタルシリーズVol.9 Bach im Bach バッハ ~響きの鏡像~ この記事は2016年6月3日に掲載しております。

日本人離れしたスケールの大きさと、艶やかな音色で紡ぎ出される豊かな歌が魅力のチェリスト水谷川優子。海外での活動が多かったが、2011年に拠点をドイツから日本に移し、国内でも数多くのコンサートに意欲的に出演している。

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バッハ作品は生涯付き合っていくもの

 豊かなオリジナリティと、個性的な選曲で注目を集めている「水谷川優子チェロリサイタルシリーズ」が9回目となる。今回は「バッハ~響きの鏡像」と題し、バッハ作品と現代作曲家の作品を組み合わせた。ステージをバッハの無伴奏チェロ組曲第3番を全曲で始めるという挑戦的とも言えるあり方が、いかにも水谷川らしい。そしてバッハの「シャコンヌ」。原曲は「ヴァイオリンのための無伴奏パルティ―タ第2番」の5曲目で、単独でも演奏される有名曲だ。
「オープニングにはチェロのオリジナル作品を持ってきたかったのです。そこで華やかさのあるハ長調でリサイタルの雰囲気に入っていただこうと考えました。遅れてこられたお客様には6曲全部が終わるまでロビーでお待ちいただくことになってしまいますが、曲の合間にはほとんど休みを入れずに演奏します。前の曲の響きが残っているうちに次に曲へ、という流れを大切にしたいのです」
 演奏会で取り上げるか否かとは別に、バッハ作品はずっと身近にあるのだという。
「バッハ作品は、一生を通して関わり続け、弾き続けていくものだと思っています。実は『君は良い作品だと、それに溺れてしまうから』となかなか弾かせてもらえず、レッスンで許可が出たのは16歳でした。カザルスが演奏するバッハ作品の録音を聴いて育ったせいか、私にはロマンティックに歌い上げる傾向があったようで『歌うのは得意だから、バッハはやらなくていい』ということだったようです。その言葉によって、かえって『チェロで歌う』ことが私のテーマとなりました」
 その後、古楽奏法やアプローチも学び、バッハ研究は今も続けている。
「神を信じなくとも、バッハを信じない音楽家はいない、と言われます。チェリストに限っても、大家と言われる人たちは自分のバッハをずっと追求してきました。私はようやく、自分の語法としてのバッハが何とか見えてきたかな、というところ。これから先も自分のバッハを探し続けていくのだと思います」

ピアノの助けがないとチェロは半人前

 バッハ作品をテーマにした、杉山洋一への委嘱作品も聴きものだ。
「杉山さんとは幼なじみで、彼が作曲家になってからは少しずつ作品を書いていただいています。バッハのコラールによる変奏曲で、無伴奏で、とお願いしました。図らずも、ペストによる苦難から立ち上がった、牧師ニコライの曲を原曲とするコラールを選んでくれました。東日本や熊本の災害や被災した方たちにも思いを馳せたいと思います」
プログラム後半のペルトとシュニトケは、バッハを学んだと公言している作曲家だ。ここからのステージは黒田亜樹のピアノとの共演となる。
「共産主義体制下の旧ソ連にありながら、2人もその社会や思想からはみ出した人たちでもあります。ソ連が崩壊するなど激動の時代を生きた人たちには、私はなぜか自分を投影できるんです。今回は、黒田さんの豊かな感性の中で、自由に演奏したいと思っています。彼女とは共通の師匠や友人がいたのですが、共演は2010年が初めてでした。私と音楽の語法が同じなので、今回もぜひにとお願いしたんですよ」
 共演者の個性によって、取り上げる作品が違ってくるのだという。
「ピアニストが決まってから曲を決めたいと思っています。なぜなら、ピアノとの作品では、チェロは半人前だから。ピアニストの助けがなければ何もできないからです」
 今回使用するピアノはヤマハCFXだが、水谷川は他のピアノとの違いも明確にとらえているようだ。
「CFXは、硬質で透明感のある音から、柔らかな肌触りの質感の音まで、表現力が多彩で幅広い。シュニトケ作品で私が欲しいと思っている鋭敏で俊敏なイメージも、きちんと出してくれることと思います。CFXと私の愛器『チェロ雄くん』とのコラボも楽しみ。今までずっと、自分の絶叫ばかりをご披露してきましたが、聴いてくださる方々への問いかけという形で、会場の皆さんと音楽を共有したいと思っています」

 デビューのころはプロフィールに入れていたが、その後、敢えて外してきた祖父・近衛秀麿への思いも変わってきたという。彼は、日本の音楽界の礎を築いた、指揮者で作曲家だった。
「祖父の名前を利用しているような気がしていて、載せるのを止めました。しかし昨年、祖父のドキュメンタリー番組に出演する機会があり、改めて彼の確かな実績を知って、後世へ伝えたいと思うようになりました。リサイタルシリーズ10回目の企画とは別に、祖父をテーマにしたコンサートを企画中です」
 アウトリーチなど社会貢献の意識も高い水谷川の視野は、さらに広がっている。社会における音楽の意義を問い続ける、意識の高い音楽家として、活躍の場も広げていくに違いない。

Text by 堀江 昭朗

 水谷川優子さんとは不思議なご縁でつながっています。イタリアでミケランジェリの高弟ブルーノ・メッツェーナ先生と出会い、そのすばらしさに感激して先生のもとで研鑽を積みたいと思ったのがわたしのイタリア暮らしの切っ掛けです。同じ頃、水谷川さんはフルニエの寵愛を受けたアルトゥーロ・ボヌッチ先生と、ローマのサンタチェチリアで学んでいたのです。
 当時メッツェーナ先生とボヌッチ先生は、メッツェーナ先生の長男、ヴァイオリンニストのフランコを加えた三人で「メッツェーナ・ボヌッチ三重奏団」を組み、国内外で精力的に演奏活動に励んでいらっしゃいました。お二人は互いにとても尊敬しあっていて、音楽的にも強く影響を受けていらしたのだと思います。埋もれていた名曲を掘り起こし、現代作品を積極的に紹介する姿勢も二人に共通していて、マルトゥッチやカステル・ヌォーヴォ=テデスコの三重奏曲の素晴らしい録音はわすれられません。2002年にボヌッチ先生が事故で急逝されて、当時メッツェーナ先生がどれだけ消沈していらしたか、思い出すだけで本当に胸がいたみます。
 そういう訳で「チェロのユーコ」さんのお名前は、ずいぶん前からメッツェーナ先生のレッスンで何度となく耳にしていて、「チェロのユーコ」さんも「ピアノのアキ」のことはボヌッチ先生から聞いていたそうですが、なかなかご一緒する機会に恵まれませんでした。
 ですから、待望の優子さんとブラームスやドボルジャークの三重奏を演奏したときには、おどろきと感動で胸が一杯になりました。気がつくと同じ言葉で話している!一小節ごとに、メッツェーナ先生に教えていただいた音楽が、楽譜から甦ってくるのです。このような体験は誰とでも出来るものではありません。時間をかけて身体の芯まで染み込んだ何か、それを共有しているからこそ可能になるのです。ですから、演奏が終って、優子さんから「ブルーノの音が聴こえる」と言われたときは、本当にうれしかったですね。こうやって音楽は、一つの世代がまた次の世代へと大切に受け継がれてきたことがわかります。
 同時に、音楽の伝統はただ頑なに守られてきたのではなく、常に新しい文化と出会い、可能性を無限に広げつづけてきたことも忘れてはならないでしょう。わたしたちがイタリアで培った言葉を、是非CFXで弾きたいと思うのもそのためです。こうして次へとつながる伝統の裾野を築いてゆけることに、胸を弾ませているのです。

※上記は2016年6月3日に掲載した情報です。