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ボブ・ジェームス 氏(Bob James) この歳になってようやく、ピアノと音楽が私の人生そのものだと言えるようになった。 この記事は2009年4月13日に掲載しております。

この春、いよいよFOURPLAY 日本ツアーがスター。それに先駆けて日本人アーティストとの共演で来日されたボブ・ジェームス氏に、ツアーにかける期待と情熱、そして今後の抱負をうかがいました。

Profile

pianist ボブ・ジェームス

pianist
ボブ・ジェームス
キーボード奏者のボブ・ジェイムスは、1939年12月25日、ミズーリ州マーシャル生まれ。ミシガン大学在学中に、インターカレッジ・ジャズ祭のコンペティションで優勝を飾り、クインシー・ジョーンズの推薦で初アルバムを発表。’62年にミシガン大学で作曲学修士号を取得して卒業すると、メイナード・ファーガソン楽団でプロ入り。’63年から’68年までサラ・ヴォーンの伴奏と編曲を務めた後、クインシー・ジョーンズ、ディオンヌ・ワーウィック、ロバータ・フラックらに編曲を提供。それらの成果が認められ、’73年にクリード・テイラーのCTIレコードと専属契約する。グローヴァー・ワシントンJr.の作品に収録された「イージー・リヴィング」の編曲と演奏で、’73年にグラミー賞(器楽編曲賞)にノミネート。さらに翌’74年には自身のアルバム『はげ山の一夜』(ビクターエンタテインメント)で再び同器楽編曲賞にノミネート。ジャズ・フュージョン界の代表的なピアニスト、編曲者として定評を確立した。’70年代後半には、自主レーベル“Tappan Zee”を創設して自己名義のアルバム制作を進める一方、アール・クルーやデヴィッド・サンボーンとの共演作でグラミーを受賞。ソロ活動の一方、’91年からネザン・イーストやハーヴィー・メイソンらと“フォープレイ”でも活躍。カーク・ウェイラムに続いてデイヴ・マクマレイら後身の育成にも尽力してきた。さらに’02年には、D.J.ロブ・スウィフトとの出会いをバネに、新機軸の『モーニング、ヌーン&ナイト』(ワーナー・ミュージック・ジャパン)を発表。その翌’03年に、スウィフトとマクマレイと共に日本公演し、桁外れに若やいだサウンドでファンの喝采を浴びた。最近は、松居慶子との親交を深めた次に、シャンハイの学生グループを呼び込み『エンジェルズ・オブ・シャンハイ』を制作するなど、着々とアジアとの距離を縮めている。娘さんのヒラリー・ジェイムスもシンガーとして活躍中。個人名義の最新作は、『アーバン・フラミンゴ』(この2枚ビデオアーツ・ミュージックから)。
「Bob James」Official Website(英語版)
※上記は2009年4月13日に掲載した情報です。

―― 今回は、日本のトップ・サクソフォン・プレイヤー、本田雅人との共演のための来日で、彼が去年発表したアルバム『アクロス・ザ・グルーヴ』にも参加していますが、日本人アーティストとの共演はいかがですか。

かなり挑戦しがいがあるよ。マサトの音楽は私のものとはずいぶん違うし、優れた作・編曲家でもある彼の曲を演奏するには、かなりの集中力が要求されるんだ。そのためには、自分の精神状態を彼の意図する方向に持って行く必要もあるしね。でも、私はそういった雰囲気をつかむために挑戦するのを楽しんでいるんだ。私は日本語が話せないし、マサトはあまり英語を話さないから、コミュニケーションは主に音楽を通じて行っていて、技術的な細かい部分だけ、ベース・プレイヤーのグレッグ・リーに通訳をしてもらっているけれどね。インターネットを通じたコミュニケーションによって国と国との隔たりがどんどん小さくなるにつれて、私は東西の様々な文化が交流することの大切さを実感するようになった。お互いのことをもっと深く理解し合う必要が出てきたからだけれど、音楽は世界共通の言語だから、相互理解の促進に大きな役割を果たすと思うんだ。その意味でも、マサトが私をレコーディングに誘ってくれてとても感謝しているし、日本で彼と共演して、彼と私のスタイルの対照的な部分と共通する部分を見てもらえたのも嬉しかったね。

―― 長年にわたって数多くの来日公演を行ってきたあなた自身も、文化交流に大きく貢献しているアーティストのひとりだと思いますが。

そうかもしれないね。でも、日本人のアーティストとのコラボレーションの機会がもっとあれば良かったなと思っているんだ。さっきも同じことをマサトに話したけれど、少し前まで、日本のプロモーターはアメリカ人だけのグループで演奏させたがっていたからね。とはいえ、そういう状況も近年になって変化してきた。さっきも言ったように、世界がどんどん小さくなって、お互いにより大きな影響を与え合うようになったおかげで、私もマサトのプロジェクトに参加できるようになったんだ。私の最近のプロジェクトが、中国の伝統音楽とジャズを融合する実験だったように(注:アルバム『エンジェル・オブ・シャンハイ』のこと)、私も東西の文化の出会いにますます興味を持っているし、あのプロジェクトは私自身にとっても素晴らしい勉強の機会になった。大いに触発されるものがあったからね。

―― アジアのアーティストとのコラボレーションがきっかけで、あなた自身の音楽的な発想も変化しましたか。

もちろんさ。自分のスタイルが大きく変わったわけじゃないけれど、アジアのミュージシャンと共演することで、音楽に対する私たちとは違う考え方について多くのことを学んだし、これからも学び続けたいと思っているからね。これは音楽に限ったことじゃないけれど、アジアのアーティストたちは、瞑想するような感覚で芸術を捉えている部分が大きいと思う。それから、規律というものもかなり重視されているようだね。私がそういった部分から学べるものはたくさんあるだろうし、そのお返しに、私たちアメリカ人ならではの音楽的発想というものを伝えることもできると思うんだ。アメリカ人ならではの発想というのは、音楽に対して自由な感覚で臨むということで、それは私たちが音楽を作っていく上で、とても大切な要素になっている。アジアのミュージシャンたちと共演してみていちばん感じるのは、彼らに自由にインプロヴァイズしてもらうのがけっこう難しいというところだから、私はその部分で力になれると思うんだ。リスクを厭わず、新しいものを追求するところに、インプロヴィゼーションの醍醐味があるわけだからね。

―― あなたがメインで活動を続けているフォープレイも、ある意味で規律が求められる音楽だと思うのですが。

それはそうだ。メンバーのハーヴィー・メイスン(dr)が、あるピアニストにフォープレイの譜面を見せたら、私たちの音楽はシンプルに聞こえるけれど、いざ譜面を見て演奏しようとすると、一筋縄ではいかないと言ったらしいからね。私はそれを、褒め言葉だと受け取っているんだ。私たちはたしかに、フォープレイの音楽を知性に訴えるものじゃなく、聴きやすい、ロマンティックなものにしたいと思っているけれど、専門的に細かく分析してみれば、転調の仕方やコード進行などの音楽的な部分では、より高度なものを目指しているのがわかるはずだからね。フォープレイの音楽は長年にわたって、いわゆるスムーズ・ジャズの語法で捉えられることが多かったし、真面目な音楽じゃないと切って捨てるジャズ評論家もいた。でも、そういう評論家はだいたい、私たちの音楽をきちんと聴いていないと思う。たしかに、私たちはビ・バップをやっているわけじゃないけれど、高度な音楽をやりたいと思っているという意味では、他のジャズ・ミュージシャンたちと変わらないんだ。

―― あなたは長年にわたって数多くの来日公演を行ってきましたが、初めて来日した頃と比べて、日本の印象はどう変わりましたか。

私が初めて来日したのは1977年のことで、今でもその時のことは良い思い出になっているけれど、日本の印象はそれ以来、あまり大きく変わってはいないよ。アメリカでは当時と比べると全てが大きく変わってしまったし、日本ももちろん、多少変化した部分はあるけれど、少なくとも私が日本に来る時に感じる、ワクワクするような気分は昔と変わらない。それに、日本に来ると安心感が得られるんだよね。さっきの話じゃないけれど、規律やマナーがきちんと守られているし、お互いに敬意を払っている。アメリカだと、親切な人もいるけれど、時にはものすごく不愉快な態度を取る人間がいたり、財布を盗もうとするヤツがいたりして(笑)、何が起こるか予想がつかないんだ。その点、先が読める安心感というのは、日本文化の素晴らしい特徴のひとつだと思う。日本の友達の中には、西洋文化が浸透して伝統的な価値観が失われつつあると言う人もいて、それはそれで事実なんだろうし、世界中の国々が変化しているのは間違いないけれど、私の日本観は30年前からほとんど変わっていない。この国も文化も大好きだよ。

―― フォープレイとしての今後の活動予定を教えていただけますか。

フォープレイは去年ヘッズアップから『エナジー』というアルバムを出したばかりで、年末か来年の初め頃に次の作品のレコーディングをするかもしれない。幸い、私たち4人全員が個々の活動で成功していて、それがフォープレイとして集まった時のエネルギーにもなっているけれど、実を言うとその反面、フォープレイでの活動が常にスケジュール合わせとの格闘になっているのも確かで、4人がリフレッシュした状態でフォープレイの活動に臨む時間を作り出すのが困難な状況が続いているんだ。今はラリー・カールトン(g)が自身のソロ・プロジェクトに力を注いでいることもあって、フォープレイのためにスケジュールを合わせるのがよりいっそう難しくなっているけれど、それも理解した上で活動を続ける努力が必要だと思っているよ。

ボブ・ジェームスへ “5”つの質問

※上記は2009年4月13日に掲載した情報です。