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工藤 セシリア さん(Cecilia KUDO) ドビュッシーは楽譜を見るととても音楽的で、和音や繊細な色彩感に魅了されます。 この記事は2014年6月20日に掲載しております。

パリ在住のピアニスト、工藤セシリアがドビュッシーをメインに据えたリサイタルを行い、オール・ドビュッシーの録音をリリースする。彼女のフランス作品に寄せる思いとは…。

Profile

pianist 工藤 セシリア

pianist
工藤 セシリア
フランスのリルに生まれる。本名は工藤セシリア祐意。セシリアはクリスチャンネーム。祐意は“ゆい”という響きに魅かれてご両親によって命名された。4歳よりピアノを始め、1999年パリ国立地方音楽院に入学。J.シン、J.M.コテ、B.リグット、J.ルヴィエ、B.ベルマン、A.コンタルスキー、S.ペルティカローリ、A.ナセトキン、鷲見加寿子、L.ベルリンスカヤの各氏の元で研鑽を積む。幼少の頃よりフランス国内にて多くのコンクールに参加、全て第1位を獲得している。8歳のとき、フランスと日本で初めてコンサートに出演。最近では東京や札幌、横浜、浜松などでソロや室内楽の公演を行っている。海外ではフランス国内が最も多くビル・ダブレー城でのリサイタルをはじめ、「サンテミリオン音楽祭」への参加や、シンガポールやロシア、韓国では父重典の伴奏ピアニストとしてツアーに参加している。2009年にはラジオ・フランスの番組「若い演奏者たち」で、マティルド・キャルデリーニ(神戸国際フルートコンクール第1位)と共演。この模様はフランス全土に放送された。今年7月にはソミー・ミュージックダイレクトより初のCDアルバムがリリー スされる予定である。小学校からフランス在住、現在はパリ・エコール・ノルマル音楽院、ベルリンスカヤのクラスに在籍。~~コンクール受賞歴~~

1994年 Concours de Piano Claude Kahn
(クロードカーン・コンクール最高位)
1995年 Concours de Musique Darius MILHAUD
(ダリウス・ミヨー・コンクール最高位)
1995年 Concours Flame (categorie A)(フラム・コンクール最高位)
1995年&1996年 Concours de Piano Steinway-Paris pour les Jeunes Talents
(スタインウェイ・コンクール最高位)
1996~1997年 Concours Musical de France Concours International de Piano
(フランス音楽コンクール第1位)
1999年&2003年 Concours de Piano de Saint-Nom-la-Breteche
(サン・ノン・ラ・ブルテッシュ・コンクール第1位)
2000年 Concours Musical Medoc-Aquitaine(メドック・アキテーヌ・音楽コンクール1位なしの2位)
2005年 8e Rencontres et Grand Prix National "Jeunes Talents" Montrond-les-Bains (モンロン・レ・バン・コンクール第1位)
※上記は2014年4月30日に掲載した情報です

ドビュッシーは楽譜を見るととても音楽的で、和音や繊細な色彩感に魅了されます

フランス作品が内包するウイット、ユーモア、エスプリ、微妙な色彩感、特有の空気感などは、非常に表現が難しいといわれる。そのフランス作品を代表するドビュッシーでデビュー・アルバム「オマージュ・ア・ドビュッシー」を作り上げ、デビュー・リサイタルも前半はデュティユー、モーツァルト、ショパンで始め、後半はオール・ドビュッシーというプログラムを組んでいるのが、工藤セシリアである。
本名は工藤セシリア祐意(ゆい)。セシリアはクリスチャンネームで、「音楽の女神」という意味をもつ。1986年10月30日、フランスのリールで生まれた。父親は国際舞台で活躍する著名なフルーティストの工藤重典、母親もフルーティスト、母方の祖母もピアニストという音楽一家に育ち、4歳からピアノのレッスンとソルフェージュの勉強を開始した。

「母も子どものころはピアノを弾いていましたし、祖母もピアニストですので、自然にピアノを弾き始めた感じです。母は、もう家に3人もフルーティストはいらないと思っていたようですね(笑)。ピアノですと、フルートの伴奏ができますし…」
ピアノを弾くのはごく自然、あたりまえのことだと思ってレッスン始めたが、幼いころ友だちはみんな学校が終わると外で遊んだり、テレビを見て楽しんでいるのに、自分はピアノを練習しなくてはならず、毎日の練習が結構きつかったという。
「私、練習はあまり好きではなかったんですよ。でも、母も先生もとても熱心で、いつもつきっきりで練習を見てくれたため、やるしかない。あっというまに1日が過ぎ、1週間が過ぎ、そして1年が過ぎていく感じでした」

ピアニストとして活躍している人に話を聞くと、ほとんどの人が「子ども時代は練習が大嫌いだった」と述懐する。工藤セシリアも同様だが、きびしい練習が功を奏して才能が着実に開花し、幼いころからさまざまな国内コンクールに参加するようになる。1994年から2005年まで、クロード・カーン、ダリウス・ミヨー、フラム、スタインウェイ、フランス音楽、サン・ノン・ラ・ブルテッシュ、メドック・アキテーヌ、モンロン・レ・バンの各コンクールを受け、すべて第1位を獲得した。

「4、5歳のころからコンクールを受け、最初はまったく緊張しませんでした。でも、7、8歳のころからアガルようになり、いまでもステージでは緊張します。コンクールはずらりと並んだ審査員の前で演奏して点数がつけられ、他の参加者と競争しなければなりません。それが自分には合わないと思いましたので、いまはもう受けていません」

小学生のころパリに移り、1999年パリ国立地方音楽院に入学。ブルーノ・リグット、ジャック・ルヴィエをはじめとする多くの名教師に就いて研鑽を積み、現在はロシア出身のリュドミラ・ベルリンスカヤに師事している。
「現在は、あと2つのディプロマ(特定の課程や学科を修了したこと、単位取得を意味する)を取れば卒業という段階で、一応6月には修了する予定です。今後はコンサート活動を行っていきたいですね」
ベルリンスカヤは、ロシア・ピアニズムの特徴のひとつである「レガートの大切さ」を徹底的に伝授してくれる。
「先生の演奏はレガートがとても美しいんです。よく先生のコンサートの譜めくりを担当することがあり、ごく近くで演奏を聴くことができるのですが、そのときにレガートはもちろん、音の出し方、響かせ方、フレーズの作り方など多くを学ぶことができます。私はフランス作品以外では、ラフマニノフやプロコフィエフなどのスケールの大きなロシア作品が好きで、今後はもっとロシア作品を弾いていきたいと考えています。派手で華やかな曲に惹かれるものですから」
今回のデビュー・リサイタルと録音に向け、ベルリンスカヤはこうコメントを寄せている。
「私の師、スヴャトスラフ・リヒテルはいっていました。ほとんどのピアニストは若くしてデビューしがちだが、私はけっしてそうは思わない。才能を十分熟成させてからがよいのです、と。セシリアのモーツァルトとドビュッシーにおける感性はすばらしく際立っています。長い音楽人生の幕開けになることを祈っています」

リサイタルは、デュティユーのプレリュード第3番「対比の戯れ」からスタートする。これはフランスを代表する作曲家のひとり、アンリ・デュティユー(1916~2013)が1988年に作曲したプレリュードの最後の作品にあたる。
「数年前、先生の薦めで弾き始めたもので、大好きな作品です。第1番《暗がりと静寂から》と第2番《1つの和音で》は試験の課題曲でしたが、第3番《対比の戯れ》は弾く機会がそれまでありませんでした。結構長い曲で、フランス特有の味わいがありますので、ぜひオープニングに弾きたいと思ったのです」

これにモーツァルトのピアノ・ソナタ第14番をはさみ、ショパンがマヨルカ島で着手し、ノアンで完成させた力強く情熱的なスケルツォ第3番へとつなげる。

「ショパンのスケルツォも大好きな作品ですので、今回はフランスゆかりの作品でモーツァルトをはさむ構成にしました。後半のドビュッシーは、録音に収録した《子供の領分》《映像第1集》の全曲を中心に、《前奏曲集》より数曲を演奏する予定です。ドビュッシーは6歳ころからさまざまな曲を弾いていますが、こまかい表記が記されていて、とても難しい。でも、楽譜を見るととても音楽的で、和音や繊細な色彩感に魅了されます」

彼女は小学生のころからパリに点在する美術館に行くことを好み、モネ、マティス、ピカソなどの絵を鑑賞してきた。その経験がドビュッシーの作品の表現に大きな役割を果たしている。絵画が放つ独特の空気、雰囲気がピアノと対峙したときに鮮やかに蘇ってくるからだ。
今回のヤマハホールで行われるリサイタルでは、デビュー・アルバムと同様、彼女が自分の思うことが自由に表現できるというヤマハCFXを使う。香しいパリの香りを音で表現する工藤セシリアの演奏。ぜひ、全身で受け止め、フランスへと心のなかで旅をしたい。

Textby 伊熊 よし子

工藤 セシリア へ “5”つの質問

※上記は2014年4月30日に掲載した情報です