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松田 華音 さん(Matsuda Kanon) 音楽は、心を休めるためのもの。喜びを与えられるピアニストでありたい。 この記事は2015年5月21日に掲載しております。

6歳でロシアに渡り、幼少期からグネーシン中等音楽学校で学んだ松田華音。2014年秋からはモスクワ音楽院に入学。同時期に、18歳の若さで名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからデビューしたことで、
今、日本のクラシック界で熱い注目を集めています。そんな彼女に、モスクワで受けた教育やピアノへの想いについて、お話を伺いました。

Profile

pianist 松田 華音
© Ayako Yamamoto

pianist
松田 華音
1996年、香川県高松市生まれ。4歳で細田淑子に師事、ピアノをはじめる。
2002年秋、6歳でモスクワに渡りエレーナ・ペトローヴナ・イワノーワに師事、翌年ロシア最高峰の名門音楽学校、モスクワ市立グネーシン記念中等(高等)音楽専門学校ピアノ科に第一位で入学。2004年 エドワード・グリーグ国際ピアノ・コンクール、グランプリ受賞。2006年 TVロシア文化チャンネル主催、くるみ割り人形国際音楽コンクール、ピアノ部門第一位受賞。
2009年 AADGT 国際Young Musician Competition(ニューヨーク)第一位受賞。2010年 才能ある青少年の国際コンクール&フェスティバル「クラシカ2010」グランプリ受賞(カザフスタン)。2011年12月、国立アレクサンドル・スクリャービン記念博物館より2011年度の「スクリャービン奨学生」に選ばれる。
2013年2月、モスクワ市立グネーシン記念中等(高等)音楽専門学校で外国人初の最優秀生徒賞を受賞。翌年同校を首席で卒業。(ロシアで成績優秀者に贈られる「赤の卒業証書」で卒業。)9月、モスクワ音楽院に日本人初となるロシア政府特別奨学生として入学。
11月ドイツ・グラモフォンよりCDデビュー。

オーケストラとの初共演は8歳。これまでにミハイル・プレトニョフ、マルク・ゴレンシュタイン、高関健などの指揮者、ロシア・ナショナル管弦楽団、ロシア国立交響楽団、キエフ国立フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団などと共演。
※上記は2015年5月21日に掲載した情報です

グネーシン音楽学校で学んだこと

 松田華音がロシアという国へ導かれる、そのきっかけとなったのは、2002年、地元・高松で開催された、グネーシン音楽学校の講師陣によるセミナーだった。
6歳の夏、彼女は当時師事していた細田淑子氏が開催したそのセミナーコンサートに参加した。そこで才能を認められると、ロシアの幼児教育に関心をもっていた師の勧め、また、幼い松田自身の「モスクワでピアノの勉強をしてみたい」という意志に背中を押され、彼女の母は、娘とともにモスクワに渡ることを決心する。
同年の10月にはグネーシン中等音楽学校の予科クラスで、名教師として知られるエレーナ・イワノーワ氏のクラスに入門。12月にはクラスコンサートで初めてのステージを体験した。

「このときのステージが、初めて“演奏するのって気持ちがいい”と感じた瞬間だったと思います。そこから、ピアノを弾くのが楽しいと感じるようになりました。ピアノを弾くこと自体というより、ステージで演奏し、表現するということに魅力を感じたのだと思います」
このクラスコンサートで、上級生としてステージで松田の手を引いてくれたのは、のちに2010年ショパン国際ピアノコンクールの優勝者となる、ユリアンナ・アヴデーエワだったという。
「私が1年生で入った時、卒業生の学年に、当時17歳だったユリアンナさんがいました。すでに大人っぽくて迫力がありましたね。今の自分がもう彼女と同じような年齢だとは、信じられません(笑)」
イワノーワ氏から教えられた最も大きなこと。それは、「演奏の前にその音楽で何が言いたいのか、伝えたいのかをしっかりイメージすることの大切さ」だという。
「出したい音のイメージがきちんとわかっていれば、手を動かしてみると自然とその音が出てきます。そのためのテクニック的なものは、小さなころからイワノーワ先生がしっかりと教え込んでくれたのだと思います」

レッスンはやさしいものではなかったが、常に愛情の込められた指導をしてくれたと振り返る。
「愛を持って接してくださって、怒るときも、本気で叱ってくれます。心や頭の栄養になるような本を勧めてくれたり、行ってみて綺麗だった公園を教えてくれたり。音楽のことだけでなく、もっとお洒落をしなさいなんていうアドバイスもくださいます(笑)。まるで本当のおばあちゃんのような存在です」

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松田 華音 へ “5”つの質問

※上記は2015年5月21日に掲載した情報です