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松永 貴志 氏(Matsunaga Takashi) 僕の活動は自由自在。 この記事は2015年1月30日に掲載しております。

2003年に弱冠17歳でCDデビューした松永貴志さん。
テレビ番組への楽曲提供、数々のアーティストとのコラボレーションなど、その活動はとどまることを知りません。今回はそのエネルギーの秘密に迫ります。松永さんならではの斬新な発想をたくさん伺うことができました。

Profile

pianist 松永 貴志

pianist
松永 貴志
(ピアニスト・作曲家)
1986年兵庫県生まれ。13歳で巨匠ハンク・ジョーンズに絶賛される。17歳でアルバム「TAKASHI」でメジャーデビュー。ベストセラーとなる。同年「東京JAZZ’2003’」に出演し、ハービー・ハンコックとの共演をきっかけに、世界のミュージシャンから喝采を集める。
2004年、全米、およびヨーロッパ、アジア各国で「STORM ZONE」発表。NYブルーノート・レーベル75年の歴史上、ジャズの帝王マイルス・デイビスの記録を塗り替え世界最年少のリーダー録音記録を樹立。
その後、テレビ朝日「報道ステーション」のテーマ曲を作曲。これを機にフジテレビ「新報道2001」「スーパーニュース」など数々の報道番組のTVテーマ曲や、コマーシャル楽曲を手掛ける。フジテレビ系アニメ「坂道のアポロン」で主人公のピアノ演奏を全て担当。2013年12月に芸術の聖地パリのルーヴル美術館で開催されたSNBA授賞式典に招待されピアノを披露するなど、抜群のリズム感と圧倒的なピアニズムは世界中から高い評価を得ている。
※上記は2015年1月30日に掲載した情報です

15歳でプロになることを宣言

デビュー当初は天才少年として話題を集めた松永さん。小さい頃から英才教育を施されたのかと思ったら、意外や意外、ピアノを始めたのは小学校6年生の頃だという。
「6年生の秋ですね。家にはアップライトピアノがあったのですが、それには目もくれず、近所の公園に遊びに行って秘密の基地を作っていました(笑)。そうしたら親から『いい加減に早く家に帰ってこい』と言われて、それで家でゲームをしたり、ピアノも弾いてみようかと思って始めたのが最初です。音楽理論も後になって勉強しますが、その時は遊びから入って、とにかく好きに弾く感じ。家は普通のマンションだったので、夜遅くまで弾くことはできませんでした」

 ピアノは全くの独学だが、その才能は徐々に知られていく。そのきっかけのひとつが、13歳の時に大阪で参加した、ハンク・ジョーンズの公開クリニックだった。ハンク・ジョーンズといえば、ビ・バップの頃からジャズピアノ界に君臨したレジェンド的存在だ。
「新聞でハンク・ジョーンズが大阪に来ると知って、参加してみようかと思いました。参加者はひとりずつハンクの前で演奏するのですが、僕が弾いたら、『アウトスタンディング(Outstanding)!』と言われて。アウトとスタンドだから、『立って出ていけ』ということかと思ったら『ずば抜けている!』という意味だったんですね(笑)」

それ以来、ライブハウスでの演奏活動もしていたが、プロとしてデビューしたのは15歳の時、芦屋のコンサートホールでのこと。それを“プロ”デビューとしたのには松永さんなりの考えがあった。
「プロとして活動している人には誰でも“プロになる瞬間”というのがあると思うんです。何をもってプロになるのか、またプロといえるのか。僕は2つあると思っています。ひとつは、自分はプロだという意識。これは誰でも持てるものです。僕は高校1年生の夏に『プロになる!』と決めて、学校も辞めました。ふたつめは、自分が必要とされること。つまり仕事があるということです。これに関しては、最初はほとんどなくて、その時期は家でピアノを弾き倒すように練習していましたね。ライブハウスに出てもお客さんが1、2人なんてこともざらで、悔しい想いをしましたよ」

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松永 貴志 へ “5”つの質問

※上記は2015年1月30日に掲載した情報です