おとまち 音楽の街づくり事業

topへ

otomachi

おとまち 音楽の街づくり事業

プロジェクト

課題解決に向けた取り組み

  • テーマ:街の歴史を未来へつなぐ音楽祭とは

春日大社×春日野音楽祭実行委員会×おとまち

春日大社×春日野音楽祭実行委員会×おとまち Photo by sencame

Project Report 街づくりの記録03
〜地域ブランディングと共有価値の創造〜

2017.08.09

文化と音楽による新たな街づくり

Report by おとまち/吉田

春日野の若紫のすりごろも しのぶの乱れかぎりしられず(伊勢物語)

作者不詳の恋愛短編集である「伊勢物語」の冒頭、奈良の春日野で出会った姉妹に対して詠まれた歌から始まります。
現在の奈良公園一帯はもともと「春日野」と呼ばれる、春日大社・興福寺が所有する広大な敷地でした。若草摘みや打毬(だきゅう:ポロのようなもの)を春日野で楽しんだという記録もあり、昔から行楽の名所でもあったようです。「春日」という地名の由来は諸説あるらしいですが、「か(=神)・す(=住)・が(=処)」、つまり神様のいらっしゃる場所、という説が有力だそうです。

「春日野音楽祭」という名称はもちろんこの地名から取られています。奈良に生まれた新しい音楽祭を「奈良音楽祭」とせずに、あえて歴史の流れを辿り「春日野」という名称が付けられたところに、奈良の皆さんの地域に対する尊厳と誇りの高さを感じます。

目次
  • 「シルクロードの終着点」という価値
  • 日本文化の原点をたどる③
    〜春日大社 宮司インタビュー〜
  • 春日野音楽祭と街づくりへの想い③
    〜現実行委員長インタビュー〜
  • 地域の共有価値創造

毎月1日、11日、21日と1の付く日に欠かさず行われている旬祭の様子 毎月1日、11日、21日と1の付く日に欠かさず行われている旬祭の様子。
写真の中門・御廊の奥に春日大社の御祭神が祭られる4つの御本殿がある。

「シルクロードの終着点」という価値

4月の終わりに、春日大社で900年以上も欠かさず続けられている「旬祭」に参列させていただきました。これまで音楽祭の準備や打合せのために、何度も春日大社にうかがっていますが、御本社に足を運ぶたび、その場の持つ力に襟を正す思いになります。御本社の回廊の奥に祭られている御本殿に向かって、御神饌(ごしんせん)や神楽を奉納されている様子は清らかで美しく、心も清められる思いでした。

第1回春日野音楽祭では、この御本殿まえにある「林檎の庭」で世界的なギタリストであるウィリアム・アッカーマンさんをはじめとする4名の演奏者による特別奉納演奏を実施しました。

春日野音楽祭は駅前からこの御本殿前まで東西2kmに広がる音楽祭ですが、日没後、灯かりの点いた釣燈籠と中門に向かって音楽を捧げるという林檎の庭のロケーションは、春日野音楽祭のコンセプトの柱である「神様に奉納する音楽祭」を象徴する場として、全国を探しても他にない場所だと体感しました。

第1回春日野音楽祭 林檎の庭特別奉納演奏の様子。 第1回春日野音楽祭 林檎の庭特別奉納演奏の様子。
第2回春日野音楽祭では、「文化と生命の多様性」を象徴して2つの特別奉納演奏を行う。(Photo by sencame)

ウィリアム・アッカーマンさんも長いキャリアの中で、「モントルー・ジャズ・フェスティバルと、カーネギーホール、そして春日野音楽祭が3本の指に入る感動的な体験だった」と語られました。

春日大社の記録としても、欧米人がこの場で演奏を行うというのは1,250年の歴史の中で初めてだったとのこと。まさにシルクロードの終着点である奈良で、音楽祭を通じて日米の文化が響きあう新たな1ページとなりました。土地の記憶として「今ここ」にある価値を見出し、多様な組み合わせによって可能性を広げることが、地域に新たな価値を生み出す。そう感じました。

日本文化の原点をたどる③

春日大社
宮司 花山院 弘匡さん

新しいものを取り入れ、
残してきた日本人。だから、
日本の文化は豊かになった。

「旬祭(しゅんさい)」の様子 写真は「旬祭(しゅんさい)」の様子。「旬祭」は平安時代に宮中から春日大社に移された神事で、上旬、中旬、下旬と呼ぶ語源となったお祭り。春日大社は平安時代の中期くらいまでは全て宮中が管轄している神社で、春日祭には祝詞を奏上する神祇官をはじめ2,000人以上が奉仕のために京から来た。

春日大社には年間2,000以上のお祭りがあり、その中で月次祭(つきなみさい)という基本となるお祭りが「旬祭(しゅんさい)」です。毎月1のつく、1日、11日、21日に斎行(さいこう)され、国家国民の平和と幸せを祈るお祭りとして、900年間続いています。

年間を通じていちばん大きなお祭りは3月13日の「春日祭」です。天皇陛下のお使いが宮中からいらして、春日大神様に詔(みことのり)を奏上されるお祭りで、1,200年以上続いています。

そして、春日祭に次ぐ大きなお祭りは12月17日に斎行される「春日若宮おん祭」。神様に音楽や舞などの様々な芸能を捧げるお祭りです。その芸能のひとつである「猿楽(さるがく)」は奈良時代に中国から「唐散楽(とうさんがく)」として伝わり、日本古来の滑稽な芸へと変化し「猿楽」となり、さらに「田楽(でんがく)」と交わり、祈りの「猿楽呪師(さるがくじゅし)」となりました。室町時代初期の「春日若宮臨時祭記」には「猿楽」がストーリーを持ち「能」となったという最古の記録があります。そして、おん祭でいちばん長く演じられる「舞楽」も奈良時代にシルクロードから渡ってきたものです。この時代、シルクルロードの終着点である奈良には、ペルシャ、ベトナム、中国、朝鮮半島などから様々な芸能が伝わってきました。

「振鉾三節(えんぶさんせつ)」の様子。 舞楽のひとつ「振鉾三節(えんぶさんせつ)」の様子。
舞楽の始めに舞われる曲で国土安穏、雅音成就を祈る。まず鉾を持った赤袍の左方舞人、ついで緑袍の右方舞人がそれぞれ笛の乱声に合わせて舞い、最後に二人が鉾を振り合わせる。(提供 春日大社)

もともと日本人は新しいものを取り入れる能力が長けていて、それを自己化する能力にも長けていました。「舞楽」はまさにその代表で、アジアでは1,000年まえに廃れてしまったのですが、日本では伝統芸能として今に受け継がれています。もっと言ってしまうと、仏教もそうです。はじめ、仏様は外国の神様として日本に伝わりました。日本にはすでに八百万の神様がたくさんいらしたので、新しい一つの神様として迎えられました。

日本人はこのように吸収する力が強く、それを自分のものにしていく力もとても強いのです。奈良時代は中国からいろいろなものを取り入れ、自分のものとして、国風文化として、平安時代に受け継がれていきました。

戦国時代は、ポルトガルからさらにいろいろなものが入って来てそれらを吸収しました。戦国時代の終わりに日本には100万丁の鉄砲があったそうで、当時は欧州でもこれだけの鉄砲をもつ国はなかったと言われています。日本人は、その時代時代で、中国を取り入れ、ポルトガルを取り入れ、ヨーロッパを取り入れ、アメリカを取り入れ、取り入れたものは全部、自己化していく。新しく素晴らしいものは受け入れ、古くても良いものは残す。そういういうことに日本人は実に長けていたのです。

外国だったら今日はイエスにお祈りをして、明日はアラー、明後日はブッダというわけにはいかないと思いますが、日本人は多神教ですから、今日は春日さんにお参りをして、明日は伏見さん、住吉さんをお参りしてもいい。それぞれの神様の力があって、我々を守ってくださるのですから。寛容力が高いのは日本的な気質と言えるでしょう。

良いものを取り入れていく気質は今の奈良にも生きています。奈良という場所には、これまでの長い歴史の中で、常に素晴らしいものが残って来ています。その奈良に新しい春日野音楽祭を市民が共に楽しめる場として始めたのです。人々が集って、共感し合って幸せな時間を過ごしていくことは、文化を豊かにしていくことであり、神様もお喜びになります。その思いが発展すれば、もっともっと後世へ繋がっていくものになるに違いありません。

春日野音楽祭と街づくりへの想い③

現実行委員長 増尾 朗さん

これから20年かけて
世界に誇るイベントへ育てます。

現実行委員長 増尾 朗さん 第2回春日野音楽祭実行委員長。前実行委員長の乾さんと前事務局長の朝廣さんから実行委員長を託された。「乾さんも朝廣さんも春日野音楽祭はもっと学生さん中心でやってほしいという思いもあり、その部分を私に期待されているのだと思います」。

春日野音楽祭は立ち上げから関わらせていただきましたが、音楽をど真ん中に置いた事業というのは初めての経験でした。なので、どういう姿が成功なのか、ゴールがよくわからない中で手探りでつくっていきましたが、プレの一日も、第一回の二日間も、ものすごく楽しく事業をさせていただけたと思っています。やっぱり私もそうですが、みんな音楽が好きなので、音楽をど真ん中に置いた事業って純粋に良いなと思いました。演者さんがいて、それを聴いて盛り上がってくれるお客さまがいて、みんなで盛り上がって初めて完成する事業というのは、たぶん音楽祭ならではだと思います。思っていた以上に、通りがかりに立ち寄って楽しんでくれるお客さまや、純粋に楽しもうといらしてくださるお客さまがたくさんいて、伸び代はしっかりあるなと感じました。

春日野音楽祭はおとまちの吉田さんがリードしてくれたのですが、奈良に関わりのない吉田さんの存在は我々にとって非常にありがたかったんです。外から見た奈良の魅力、我々が気づいていない魅力をたくさん挙げてくれました。我々にとっては当たりまえのことも外の方には魅力に映るから、こういう演出にしましょうとかね。実行委員のメンバーはみんな街づくりの経験があって、自分なりに「奈良ってこんなんや」っていうのがありました。そこと、吉田さんからの見え方のギャップを話し合うことが、春日大社や奈良でやる音楽祭の魅力を見つける作業になりましたし、この作業プロセス自体がそれに向かって非常に良い力になったんじゃないかなと思っています。吉田さんは我々の翻訳者なので、奈良人が「素っ頓狂なことをいう」と思える人を外部からどんどん連れてきていただいて、今後も奈良に楽しい影響を与えていただけたらなと思います。

増尾実行委員長と第2回春日野音楽祭実行委員の皆さん。 増尾実行委員長と第2回春日野音楽祭実行委員の皆さん。
前列中央の増尾さんの両となりには、前実行委員長の乾さんと前事務局長の朝廣さん。
お二人とも増尾実行委員長をサポートする立場として参加してくれている。

私は実行委員長として、音楽祭をつくっていく過程も楽しんでもらえるような、20年後まで続くような事業をつくっていきたいと思っています。なので、今回は、もっと学生さんに関わっていただくのと同時に、春日野音楽祭での飛火野や林檎の庭が、みんなが「ここで演奏したい」って思ってもらえるような特別な憧れのステージにしたいなと思っています。加えて、それをベースにもっとキャッチーな事業もできそうです。「え、ほんとにこんなとこ来てくれるの?」っていうようなアーティストを呼んだり、演者も観客もみんなで楽しめる企画をつくったりと、知恵を絞ればいろいろ出てくると思うのです。

また、年一回のイベントではありますが、昨年の第1回から今年の第2回までの一年間で何をするかによって、地域とのつながりをどれだけ深められるかにつながってくるとも思っています。例えばこの一年間で、音楽祭の学生スタッフが商店街に声をかけてスピンオフ企画をやってもいいと思うんです。「この広場で演奏してもいいですか?」とか、そんなコミュニケーションをとっていく中で、実はギターがめちゃめちゃ上手な商店の方がいたり、練習して春日野音楽祭に出るよ!と言ってもらえたり、そういうことができるのではないかと思います。今、我々が無理だと思っていることの理由のほとんどは、人間関係の問題で「知らない」ということに起因することがほとんどだと思います。だから学生さんには地域の皆さんに一緒に楽しもうよという土俵の中で関係性を築いていけば、いろんなことが実現できるのではないかと思います。

春日野音楽祭はできたばかりのお祭りです。つまり何でもできるお祭りです。これは絶対ダメということはまったくありませんので、どこのどなたでも、奈良というキャンバスで、「こんなんできるよ」「一緒にやりませんか」ということがあれば、ぜひ、ご参加ください。演者としてでも、観客としてでも、スタッフとしてでもOKです。これから20年かけて世界に誇るイベントとして育てていきます。その第一歩に関わってもらえたら、きっとラッキーなことなんじゃないかなと思います。春日野音楽祭をもっと知っていただいて、ぜひ、ご参加ください。

地域の共有価値創造

新しいものを生み出すことには不安がつきものです。特に音楽祭という形のないものを具体化していくためには、関係する皆さんとイメージを共有するプロセスが重要になります。

プレイベントを開催する1年前、実行委員会の皆さんにこれから始める取り組みを具体化していくために、ふたつのご提案をしました。

ひとつは、音楽祭の目指す姿の共有。テーマとなるキャッチコピーとコンセプトビジュアルを作成し、奈良ならではの音楽祭をつくり上げていくことを視覚でお伝えしました。

千古の日本文化に音楽を捧げ、人と未来をつむぐ プレイベント立上げ前に作成したコンセプトビジュアル。
御蓋山への「奉納演奏」が奈良の音楽祭の特徴であるということをイメージいただくために作成。

そしてもうひとつ、市民音楽祭がどんなものであるか、肌で感じていただくために仙台の「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」を視察に行きました。市民の手で25年以上続く音楽祭を肌で感じていただき、奈良にもこんな風景をつくりたいと実感していただきました。

さらに、「プレイベント」として、実質的な1回目にあたる音楽祭を実施することで、音楽祭を運営する実体験を通じて「第1回」の音楽祭開催に繋げていきました。

未来へのイメージを、主体者・演奏参加者・来訪者とで共有していくことによって気付きを生むことが地域のブランディングであり、それが日常として落とし込まれていくことで地域の「文化」になっていきます。

文化とは、その地域での営みの積み重ねそのものです。時代と共に消え行くものがあれば新たに生まれるものがあり、良いもの・大切なものが人々の想いを乗せて伝えられていくものだと思います。

音楽による街づくりの最大の特徴は、音楽それ自体は消え行くものでありますが、繰り返すごとに新たな価値(感動)が生み出されていく可能性を含んでいることです。

春日野音楽祭の核となる企画は公募によるまちなかの演奏者のステージ企画です。もちろん毎年出演者も変わり、ステージの場所も増減していくことになります。メイン会場での奉納大合奏企画や林檎の庭での特別奉納演奏、これらのプログラムについても毎年アイデアを膨らませて、変化させていくことで徐々に奈良のオリジナリティが生まれていくことに繋がります。

何層にも積み重なった土地の記憶を少しずつ紐解いていく中から、地域の本質的な価値を見出し、そこに新たな光を当てること。そこに音楽をツールとして活用することで、一見無関係なもの同士が繋がり新たな価値が生まれるのです。そのプロセスに楽しさを見出し、共感者が増えて地域の文化となっていく。それが音楽による街づくりによる「共有価値創造」の目指す一つの理想像です。

  • greenz.jp
  • シブヤ大学

pagetop

ページトップへ戻る

このページではJavaScriptを使用しています。JavaScriptをONにしてご覧ください。