長谷川幹人(はせがわ・みきひと)

童謡や昭和歌謡、ミュージカルの伴奏など、幅広いシーンで活躍する長谷川幹人さん。穏やかで人望も厚く、安定感がある演奏がそれぞれのシーンの第一人者に支持されている。デジタルの最前線を行くSTAGEAで醸し出す“アナログ感”の秘密に迫った。

—エレクトーンはいつから始めたのですか?

エレクトーン全盛時代に生まれた世代で、「4歳になったら音楽教室へ行こう!」という宣伝文句そのままに入会したんです。最初のエレクトーンはB型で、中学のころはD-800、そして、高校でHXを買ってもらいました。

—アナログ時代のエレクトーンで基礎を積み、デジタル時代に突入した世代ですね。

両方が身に付いている世代かもしれませんね。エレクトーンは4歳からずっと途切れずに弾き続けていることになります。自分で弾きたい曲を勝手にアレンジして弾くのが好きでしたね。小学校のころからアンサンブルをしたり、中高は吹奏楽部に所属したり、人と音楽をする経験も積んでいますが、自分一人で何かを作れる、自分の世界に唯一入り込めるエレクトーンに魅力を感じていて、その気持ちは今でも同じです。

—北海道では、コンクールなどにも出場されていたのですか?

エレクトーンフェスティバルのソロ部門、アンサンブル部門と両方に出ていました。函館代表として全道大会のある札幌に行くのが一つの目標でした。それぞれの部門で代表になった子どもから大人までがバスを貸し切って行くのが楽しみで、学校では味わえない夏の一大イベントでしたね。アンサンブルでは、それぞれのパートを耳コピーして自分たちで作っていき、自分が出なくてはいけないところ、出てはいけないところなど、チームワークで作り上げることを経験できました。高校時代には、やめようと思ってなんの連絡もせず3週間くらいレッスンをさぼったことがあるんです。そしたら先生に喫茶店に呼び出されて、「ここまできたら続けなければだめ」と。自分でもここでやめちゃったら、面白くない、抜けてしまう部分があると感じて続けることに。頑張って、その年に初めて全日本大会に出られたんです(’88年。諸般の事情で日本代表選考会として開催)。あれが転機だったのでしょうね。

—長谷川さんは、歌の伴奏のお仕事など、長く続いているコンサートシリーズが多いですね。

そうですね。一度ご一緒すると次もまた、という形で続き、ありがたいと思います。音楽の世界は広いようで狭いというか。塚田佳男さん(伴奏ピアニスト。日本歌曲の伴奏において日本の第一人者)と共演したのがきっかけで、「川崎童謡の会」で演奏するようになり、そこでご一緒した歌手(青山恵子さん)のご主人(青山明さん)とミュージカルのお仕事をすることになったり…。本当に出会いでつながっています。

—長谷川さんが伴奏をされている昭和歌謡の二代目松原操さんのレパートリーなどは、昭和と言っても初期の歌もあって、知っているとは思えないのに、リハーサルも1,2回で、歌い手を納得させる演奏がなぜできるのでしょう?

曲目や楽譜をいただいて、あとはお任せいただくということが多いです。自分で歌ってみることでイメージもわいてきます。歌や管楽器、大学時代には和楽器や民族楽器などに触れ、エレクトーン以外の経験が、エレクトーンを弾くうえでとても役に立っていると思います。初めてのものでも「どうしよう」と悩むことはないですね。もちろん、ソロを弾く時と弾き方は全然違いますけれど、出過ぎず控えめにしなければとも思っていません。知らない時代の曲でも、名曲の持つパワーは訴えかけるものがあり、最近では、前から知った気になっているんですよ。

—時代の匂いというか、雰囲気が絶妙です。

アナログ時代のエレクトーンは、思い描いた音を出したくても出せなかったけれど、なんとか近づけようと努力した経験が、役立っているのかしれません。リズムボックスの感じとか、アナログ時代の音が昭和歌謡にも通じるものがある。ミュージカルでも年代が古くなるとそういうニュアンスがあります。アナログを知っていてよかったです。

—最後に、長谷川さんにとってエレクトーンとは?

この質問に答えることになって、改めて考えてみたのですけれど…。エレクトーンは小さいころから自然に自分の側にあったものなので、しゃべることとか見ることと同じレベルの存在、口のような目のようなもの。エレクトーンはなければ困るし、五官の一部、という感じですかね。