


安倍 圭子- 演奏活動は世界50カ国に及ぶ、国際的マリンバ奏者。
現在、桐朋学園大学教授、名古屋音楽大学大学院客員教授。
シュツットガルト音楽大学ビジティング・プロフェッサー。元ユトリヒト音楽大学客員教授。
安倍氏とヤマハとの関わりは非常に深く、マリンバの共同開発は約40年におよぶ。
楽器との出逢い

私とヤマハの関わりですが、スタジオミュージシャンをやっていた頃、そこにヤマハの教育用のマリンバがあって、弾いていたんですよ。個人の思惑とは別に、偶発的に接していたのです。
本当に密着したのは、それより後で、当時、私はアメリカのあるマリンバメーカーの専属というかアーティストで、プログラムにその楽器を使用するかわりに、私を全世界にプロモートするというのが条件でした。私はそのアメリカのマリンバが最高だと思っていて、すごく愛していたのですね。愛せないと弾けないのですよ。
ですが、ある日、東京文化会館でその楽器でコンチェルトを弾いたときに、それを聴いた作曲家が演奏終了後に飛んでいらして、「フォルテッシモで低音を叩いたときにドブ板のような音がしたよ。」そして、ピアニッシモで気持ちを込めたときに、「その音が大きなホールの後ろまで届かなかった。」とおっしゃったのです。その作曲家はまだまだ楽器を開発する必要があると言って、ハッとしたのです。ただ自分はその楽器が最高だと思って信じていたので、ものすごくショックでしばらく考えたのです。
意を決して、当時の川上源一社長にお目にかかって「自分の魂を込められる、演奏家としての全パワーを込められる楽器を作って欲しい。」というお願いをしました。そのお願いをお引き受けくださってからのおつきあいですので、もう40年近く関わっています。
当時、日本では、海外の楽器メーカーの専属の方がはるかにステータスも高かったので、「日本の一企業にそのすべてを託すなんて。」と周りの方達には随分言われました。でも、私は日本人として最高の物を日本で作りたかったし、質的なもの、構造的なもの、機能的なもの全てにおいて最高の音楽を奏でられる楽器を日本人として作りたいという想いがあったものですから、周りのそういう意見に「それはそうですけれど、私はいいのよ」って答えていました。海外に出るチャンスはある時期失いましたけど、そうして、ヤマハの楽器と共にきたわけです。
その時、自分はこれでヤマハと心中することになるかもしれないなと思いました。でも演奏家としての魂を込められる楽器が日本で作られなければ意味がないという気持ちがあったので、その選択が間違いではなかったと思っています。
その間は、国内のコンサート活動をしていましたけど、自分なりにマリンバって何だろう、マリンバ音楽って何だろう、自分とマリンバの関わりあいってどういうものだろうということを、本当に考えたのですね。逆境のときというか、人生のマイナスの時にね。でも、それがあって今の私があると思うのです。最高の楽器が開発できたし、それが世界に評価され、その時期に作った自分のレパートリー、マリンバに対するアプローチが今、花咲いていますから。楽器というものは、1年、2年、5年、10年の問題ではなく、一生をかけて『音楽家の魂を語るもの』であると実感できて、今はとても幸せです。



