YVN500S 6つの物語 最終章

ARTIDA YVN500S 6つの物語 ―2000年からの軌跡―

2011年6月、満を持して発売となったアルティーダシリーズのフラッグシップ、YVN500S。発売に至るまで、その裏にはバイオリン設計者、木材技術者たちの弛まぬ努力、そして数々のアーティストたちとの出会いや開発を通じたエピソードがあったのでした。ここに至るまで、10年間に渡るYVN500Sの軌跡、全6話をお届けします。

最終章

YVN500S

未来へ手渡していきたいもの

– 三浦文彰氏インタビュー –

これまで数々のストーリーを経て生まれたYVN500S。
発売後は国内外の演奏家の方々が、コンサートやイベントでYVN500Sの音色を届けてくださっています。
その中でも最年少のバイオリニスト、三浦文彰氏は、ハノーファーコンクールを若干16歳で制した新進気鋭の逸材。2011年のYVN500Sの記者発表では、ホールを満たす豊かな音色で、聴衆を魅了してくださいました。
最終章は、その三浦文彰氏のインタビューをお届けします。現在の活動拠点となる欧州での生活や、これからの演奏活動、そしてYVN500Sについて語っていただいた大志溢れるインタビューをご堪能ください。

 

いろいろなことをやってきたからこそ、バイオリンが好きになった。

初めてバイオリンを手にした頃の、印象に残っている記憶は何かありますか。
3歳くらいからスズキメソッドを始めました。その頃は先生の周りをぐるぐる走り回ったりして、レッスンになっていなかったですね。曲名も覚えてなくて怒られて、たまに言えると「今日は言えたね」と褒められる、そんな感じでした(笑)。
その頃、バイオリンは好きでしたか。
好きだったという記憶はないけど、でも逆に嫌いでもなかったです。習い事のひとつとして、がんばったらご褒美、そういう感じでやっていました。他にも野球とかテニスとかいろいろなことをやっていたので、野球選手になりたいと思っていた頃もあったんです。野球選手かおもちゃ屋さん(笑)。
当時のレッスンはどんな様子だったのでしょうか。
6歳から徳永先生に習っていたんですが、先生の要求がとにかく厳しくて。緊張して何もしゃべれなかったですね。小さいときは母がレッスンに付き添ってくれていたんですが、できていないと僕より母の方が責任を感じてしまうんですよ。家に帰ると母が焦って練習させて、そのときはどちらかと言うと、嫌でした(笑)。でも、課題ができてくるとちょっと面白いなと思うようになって、達成感があったんでしょうね。それと、バイオリンを続けられたのは、両親が「あれはしちゃダメ」ということ、例えば「怪我をするからボール遊びしちゃいけない」ということをあまり言わなかったこともあると思います。僕はゲームもやったし、スポーツはなんでもやったし、子供のころにバイオリンばかり弾いていたわけじゃないから今も好きなんだと思います。
何かのタイミングで「バイオリン弾きになりたい!」と強く思った瞬間があると思いますが、そのときのことは覚えていますか。
その瞬間は、ばっちり覚えていますよ。10歳のとき、父が“The Art of Violin”というビデオを買ってきて、見るように勧めてくれました。それを祖母の家で留守番をしているときに見てみたんですね。その中で、昔の巨匠のすごい人たちがバイオリンを弾いていて、オイストラフのメンデルスゾーンのコンチェルトから始まり、ミルシテイン、メニューインと、音と映像を繋げているんですね。これがもう、面白くて。それを見たときに、こういう人たちみたいになりたいと思ったんです。
音楽をしていて「楽しい」と思ったのはいつぐらいですか。
いつぐらいかな。人前で弾いたのは、発表会とか徳永先生の門下生の弾き合い会が最初でした。そういうときに、緊張しながらもやっぱり楽しいと思いましたね。
達成することに楽しみがあったんでしょうね。
そうですね。それと、小さいときから目立ちたがり屋だったんです。小学校5、6年のクラスで映画を作ったときは主役を立候補したり、人前に出るのが結構好きでしたね。運動会の応援組長もやったんですよ。
初めてのコンサートの印象はどうでしたか。
初めてのコンサートは5年生くらいのとき。それはもう快感でしたよ、応援組長よりも(笑)。コンサートという形は初めてで、ちゃんと良いホールで弾いて、すごく楽しいと思いました。

YVN500Sは、明るくてキラキラしたイメージ。

話は変わりますが、去年ヤマハのバイオリン工房に来ていただいて、試作品を試奏していただきました。そのときのYVN500Sの第一印象を教えてください。
開発の現場に行ったのは初めてで、すごく研究してるんだなと思いましたね。実際に弾いてみると、想像していたより音色も良くてびっくりしました。今日改めて弾いてみると、やっぱり時間が経って変わってきてますね。音がだんだんできてきているというか、できたての頃より音が確立してきているなと思います。
YVN500Sの音をどのように感じましたか。
音が明るくて、パリのイメージ…パリの朝は建物が白くて、すごくきれいなんです。モーツァルトを弾くといい音がして、明るくてキラキラした、そういうイメージですね。
YVN500Sの記者発表でバッハを弾いていただいたとき、本当に素晴らしい表現力でした。
あのときは楽器もよく鳴っていて、ホールでもちゃんと音が聞こえていたと思います。特に弱く弾いたとき音がきれいなんですよ。オールドの持っている音の甘さとか、そういうものもついてきていると思いました。あとは、どうやって良い意味で音に年をとらせるかっていうところではないでしょうか。
ここから先は演奏者がどのように楽器を育てていくかも重要になってきますね。三浦さんが今所有している楽器(※1)のエピソードをお聞かせください。
どんなにいい楽器でも、演奏者と「良い関係」になってくるまでには時間がかかります。今のガダニーニも、三年間ずーっと考えて考えて弾きこんで、ようやくここまで鳴るようになってきました。楽器を初めて手にしたときの直感はもちろん大事だけど、でもすぐに「愛してるよ!」ってならないですよね。そこは、長い間付き合って結婚、みたいな(笑)。
その点、YVN500Sはどうでしたか。
そういう意味では付き合うに足りるんじゃないでしょうか。

普通の人がもっとクラシックに興味を持てるような世界を作りたい。

2009年の秋からウィーンに行かれて、ヨーロッパに行って一番得たものはなんですか。
一番得たものは、やっぱり想像力。あと、一番良かったなっていつも思うのは、出会いですね。いろんな人に出会っていろいろと言ってもらったり、普通に楽しく一緒に時間を過ごしたり、それはすごく良かった。
海外での経験が音楽とかテクニックに結び付いてきますか。
それはあるんじゃないかな。例えば、おいしいものを食べたりすることも大事だと思います。音楽だけじゃなくて、いろいろなことに興味を持っていたいと思うんですよね。一流のものは全部共通しているものがある。いろいろなことに興味を持って、一番良いものをもっと知りたいです。
今後はどんな活動をしていきたいですか。
今年は初めてアメリカに行くんですが、そこでいくつかコンサートがあるのですごく楽しみにしています。行くところ行くところで人脈を広げていって、いつかオーケストラや室内楽で、自分で何かを作ってみたいと思っています。あとは、普通の人がもっとクラシック音楽に興味を持てるような世界を作りたいんです。クラシック音楽は、興味を持つにも演奏会に行くにも、やっぱり最初がちょっと難しいですよね。その最初の壁というか、もっとそういうところを考えたいです。ポップスでもなんでも元をたどればその一番古い音楽がクラシックですから、どの音楽だって共通する部分があるんです。本当にいいですよ、クラシック音楽は!
普段クラシックを聴かない方にも、素晴らしい演奏というのは伝わるものですよね。ただ、そういう方々にもっと好きになってもらうためには、素晴らしい演奏をすることに加えて何をしていくかが、とても重要な気がします。
そうですね、今、中国がすごい。ラン・ラン(※2)の影響でピアノを習う人が増えて、コンサートでのマナーも良くなってきていて、そういうものが日本にもあるといいなと思っています。ラン・ランは普通のホールじゃ小さいと思っているんですよ。日本に来たときも、野球場とかスタジアムで弾きたいんでしょう。たくさんの人にクラシックのよさを伝えたいという、そういう考え方がすごいなと思います。
最近、香港に行かれましたよね。香港はどうでしたか。
香港は素晴らしかったです。香港シンフォニエッタというオーケストラと共演しましたが、みなさん真剣に聴いてくれて、熱いお客さんでした。あの街の雰囲気から想像できなかったから、ちょっと予想外でした。コンサート自体もすごくいい雰囲気でした。
ヨーロッパだと、クラシック音楽が完全に文化として根付いていますよね。
そう、例えば「プロコフィエフ」「ショスタコーヴィチ」と言っても、日本の場合、僕と同じ年代では聞いたことがないという人がいっぱいいますからね。でも、ヨーロッパでは普通の街中で若者と話してもそういう作曲家の名前を絶対に知っているんです。そういう知識があるということは、教育の中で出てくるんですよね。それと、どの街にもオーケストラがあるし、コンサートホールもちゃんとあって環境が良いです。この前ドイツのハンブルグに行ったときも、「ライスハレ」というホールの前の広場にブラームスの名前がついていて伝統を感じました。そこが違いますね。
日本はどうですか。
日本も環境は絶対良いですよ。いいホールがいっぱいあります。外国のアーティストが来ても、日本は食べ物もおいしいし、いい人ばかりだし、それにいいホールがあるって言われることも多いですからね。
三浦さんのこれからのご成長とご活躍を期待しています。
ありがとうございます。
  • ※ 1 ハノーバー国際バイオリンコンクールで優勝した際に副賞として貸与されたガダニーニ。
  • ※ 2 中国出身のピアニスト。

三浦 文彰

Fumiaki Miura

三浦 文彰
(C)Satomi Takehana

◆Profile

三浦文彰は、2009年世界最難関とも言われるハノーファー国際コンクールにおいて、史上最年少の16歳で優勝。国際的に大きな話題となった。現在、最も将来が嘱望されるヴァイオリニストである。
東京都出身。両親ともにヴァイオリニストの音楽一家に生まれ、3歳よりヴァイオリンを始め安田廣務氏に、6歳から徳永二男氏に師事。
2003年、04年と全日本学生音楽コンクール東京大会小学校の部第2位。
2006年4月、ユーディ・メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第2位。
2009年10月、ハノーファー国際コンクールにてこれまでの史上最年少で優勝。同時に、聴衆賞、音楽評論家賞も受賞。地元紙では「確かな技術と、印象的なヴィルトゥオーゾ性あふれる心温まる演奏は、国際審査員や音楽評論家の評価を得るにとどまらず、聴衆の心をもつかんだ」と賞賛した。また、The Strad誌は、「驚くべきその演奏はハノーファー国際コンクールのすべてを吸い取った」と記した。
最近は、宮崎国際音楽祭、北京でオーケストラ と共演、ドイツ・シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、フランス・マントン音楽祭、クロアチア・ラクリン&フレンズ音楽祭、メニューイン・フェスティバルなどに参加。また、ハンブルク北ドイツ放送響、ウィーン室内管やニュルンベルク響などと共演し、国内のみならず国際的な活動を展開している。 2012年には、プラハ・フィルとの日本ツアーが好評を博し、この後もオレゴン響、ブラジル響、ハンブルク北ドイツ放送響、ミルウォーキー響、ローザンヌ室内管、読売日響、日本フィルとの共演、さらに2013年春にはシュトゥットガルト放送響との日本ツアーも予定している。
これまでに、ザハール・ ブロン、ジャン=ジャック・カントロフ、チョーリャン・リン、パヴェル・ヴェルニコフの各氏に師事。現在、(財)明治安田生命クオリティオブライフ文化財団より奨学金を得て、ウィーン私立音楽大学に入学、パヴェル・ヴェルニコフ氏のもとで研鑽を積んでいる。2009年度第20回出光音楽賞受賞。2011年 5月にはCDデビューを果たした。使用楽器は、NPO法人イエロー・エンジェルより貸与されたJ.B.Guadanini 1753 Ex Kneiselである。

YVN500S

YVN500Sイメージ

◆Information

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◆Video

Artida YVN500S プロモーションムービー