Seiji Kameda
- 亀田さんは幼少時代、音楽を愛する気持ちが高じて、自分でDJしたものをラジオ番組風に録音して遊んでいたんですよね
- そう!“FMカメダ”ですね(笑)。自分で選曲やDJをやってたんです。そして、録音をしたものを自分で聴くという、リスナーも兼ねていて。それこそ全米トップ40のチャートを毎週メモってたんですけど、自分の好きな曲が1位じゃないと悔しいので、オリジナルのチャートを作って、イーグルスやホール&オーツを全米より先に1位にさせたりとか(笑)。そういうことを小学校5年生くらいからずっとやってたんですよね。
- そんなカメダ少年が、ベースに手にしたきっかけは? 最初に買ったベースがヤマハのBBだったという話を聞いたことがあるのですが?
- あのね、実は初めて買った楽器は、ほかのメーカーのリッケンバッカーのコピーモデルでした。ごめんね、導入にならなかったよね(笑)。それを買ったのは、やはりポール・マッカートニーやイーグルスのランディ・マイズナーが弾いているのが印象的だったからなんです。で、正確にいうと、そのベースを手に入れたのは中学3年になる年の春なんですけど、その夏くらいからは……。
- 受験、ですね?
- そう。その受験の期間は楽器は封印していたんです。で、高校に入学したときに、入学祝いとお年玉とかをかき集めて、晴れてヤマハのBB2000を買った。これは当時、世の中の流行としてBBシリーズが“来てた”んですよね。要するに、プレイヤーが次のステップとして手に入れる楽器は、国産だと圧倒的にヤマハだったんです。ギタリストだとSGモデルを持った高中正義さんがいらっしゃったし、テレビを見ていると、サザンオールスターズの関口和之さんもBBで弾いてたり。で、“あのベース、プロが使っている!かっこいいなぁ”っていう。ただし、値段を見ると高校生の僕にとっては高価だったんですよ。
- 確かに、BB2000はシリーズのなかでも高級なモデルでしたね。
- でもね、何かと迷って買ったわけじゃなくて、最初からBB決め打ちで楽器屋さんに行きました。それが高校1年生の頃ですね。
- その後、そのベースはフレットレス加工を施したんですよね?
- フレットを抜いたのは、今でも“本妻”と呼んでいる66年製のジャズベを買ったからです。それを買ったのは20歳の頃。僕のプレイを聴いている人からは想像できないかもしれないですが、僕、やっぱりジャコ・パストリアスが好きなんですよ。あの唄うようなベースが。で、どうしてもフレットレスがほしいなと思っていて。そこで、普通の人ならばいわゆるサンバーストのジャズベのフレットを抜いたり、それこそジャコ・モデルを買うと思うんですが、僕の場合は……これは僕の勝手な思い込みであり、自分の良い部分だと思っているんですけど……みんながジャコ・モデルを使うなら、自分は違うことをしたいって思って。そのときに、ふと横を見るとBB2000がいて、“これのフレットを抜けばいいんじゃないか”って思ったんです。もちろん、フレットを抜くのはちゃんとプロのリペアマンにやっていただきました。で、BB2000はナット幅が広いんですよ。なので、僕が持っているジャズベのフィーリングに近づけるために、フレットレス加工と同時にネックの左右を削ってもらったんです。上手にダイエットしてもらったので、僕のBB2000はネックが細いんですよ。
- ナットの幅自体を変えたんですね。
- そうです。それで弾きやすくなって……高校1年の頃に買ったから、もう30年くらい経っているんですよね。自分とともに成長してくれて、今ではすごく鳴ります。アクティヴのベースよりも音は伸びると思う。フレットレスを弾く自分のことを“カメ・パラディーノ”って呼んでいるんですけど(笑)、ピノのようにヴィブラートで音を鳴らす感じも自由自在にできるし。フレットを抜いてからヴィブラートをしながらピッチを取る練習とか、フレットレスを使った鬼練習をしましたね。普段、フレッテッドでやる僕のヴィブラートやグリスのニュアンスも、実はフレットレスによって培われていると言えるんです。だから、BB2000は僕のベース・プレイを形成してくれた一本なんです。どうしたら音が伸びるかとか、ずっと研究してましたから。そういった意味で、BB2000は高い品質の楽器だったというか、本当にしっかりした作りなんですよね。あとは、フレッテッドのヴィンテージBB2000も5~6年前に入手したし、以前にはBB5000も所有していました。
- カメダさんベース人生のなかで、BBシリーズは重要なポイントだったんですね。そして昨年、BB2024カメダ・エディションが製作されたわけですが、そのきっかけは?
- まず、このBB2024に行く前に、ヤマハさんには“BBで5弦を作りたい”っていうお話をしたんですね。その時は僕のジャズベがまだまだ元気で、おそらく普通の4弦のベースを僕が手にしても必ずこのジャズベに帰ってくるだろうなとは思っていて。それに、ベース・マガジンでも今まで何回も“愛妻宣言”していましたし(笑)。だから同じタイプの楽器ではなく、あくまで5弦ベースのBBを弾いてみたいと思ってお願いしたんです。そのときにピックアップの出力など、いろんな意見を言わせていただいて、それに対してヤマハさんがすごく丁寧に対応してくださったので“良いチームだなぁ”と思っていたんです……そして、時を同じくして本妻の思いもよらぬ“老化”が急速に始まるわけです……。
- なるほど。それは急に来た感じですか?
- 東京事変の2ndアルバム『大人(アダルト)』(06年)のレコーディングあたりからピッチがなかなか合いづらくなってきていて、何回か擦り合わせなどを行なって挽回を計るんです。しかし、このご老体を事変のツアーやap bank fesなどの野外フェスに連れて行くには、ちょっとキツいなと。レコーディング用に温存しておいてほうがいいのでは?っていろんな人からも薦められて。とはいえ、その頃はまだ、コイツと心中するんだって思ってたんですね。で、『スポーツ』(10年)の制作に差し掛かる前に、僕がひどい腱鞘炎をやってしまったんですよ。そのときに僕の体力的にも“軽くてラクな楽器が良いかも”と感じて。ジャズベを力づくで弾き倒すのではなくて、これは表現スタイル自体を一回、見直さないといけない時期に来てるんじゃないかなって思ったわけですよ。つまり、ジャズベの老化も始まっているし、僕自身も老化が始まっていると。これはマズイって思ったときに、BBの5弦を作ったときにヤマハさんの印象が良かったなっていうことを思い出して、ラブコールを送ったんです。そこで“4弦のBBを作りたい”と。あと、もうひとつあります。
- それはなんでしょう?
- ほかのオールドのジャズベを探すという選択肢もあったんです。しかし、結局“本妻”は超えられないなって思ったんです。それに、どのヴィンテージも、やがて同じ宿命がやってきますから。そういったことと、BB2025プロトの時の丁寧な対応とプロフェッショナルな仕事ぶりが頭のなかにあったこと、そして高校生の頃にBBを買ったときのような気持ちでBBの4弦を作ってみたかったということもあります。そこで、ベーシスト亀田誠治として、絶対に妥協しないものを作りたいっていうお話をしました。当時はまだ、今回のようなシグネイチャー・モデルを作るっていう話ではなくて、とにかく自分の追い求める音をBBで作ってみようっていうところから開発が始まったんです。
- 新しいものを作りだそうという場合、オールドに近づけるのか、それともまったく違う発想で楽器を開発するのか、その2パターンがあると思うんですけど。
- えっとですね。正直にいうと、その中間なのかな。生音で良く鳴っていて、良いピックアップを載せ、ちゃんとした調整をすれば自分はどんな楽器を弾いても自分の音になるだろうっていう、まずはその確信があったんですね。あと僕、ツマミの設定などはまったく変えないんです。足下のエフェクターは20年変わらないし、僕が使っているアンペグのツマミも常にフラット。すべてがフラットの状態で自分の思い描く音が出るのが理想なんです。逆にいうと、本妻のフェンダーはそれを達成していたということなんです。そういった意味で、“本妻”とも何度か比較させていただきました。フェンダーに近づけるっていう意味ではなくて、EQで補正して“良い音だね”とか、“VOODOO-BASS”をカマして“カメダっぽい音”じゃダメだということなんです。要するに、プラグをささない状態でしっかりとしたサスティンと音程感が聴こえて、身体に響く音がほしい。そして、素材が良いものに良いピックアップを載せれば、絶対にそれは良いベースになる。しかも、僕の基準であるアンプのツマミをひとつもイジらずにそれを実現させる。これが基準でしたね。
- そのために、試作で出来上がる度に何度も弾いてみる、と
- それこそプラグを差す前に生音で弾いた時点で、“なんか違うかも……”っていうことも何回もありました(笑)。あとは、違ったボディとネックを組み合わせてみたり、とか。で、生音の鳴りがOKになった時点で、今度はピックアップの鳴りを見るという。
- 相当時間がかかったのでは?
- 時間はかかりましたねぇ。それこそ、スタッフのみなさんはげんなりしてたんじゃないでしょうか(笑)。“今日は気に入ってくれるだろう”と思って持ってきていただくんですが、レコーディング・スタジオでチェックさせていただいて、生音の時点でダメっていうのは相当大変だったと思います。で、ほかにも変えている部分もあって。ピックアップはノーマルだと、僕にとっては出力が大きすぎるんです。そのために、僕のVOODOO-BASSを通した時点で、ゲインがゼロなのに歪んでしまったりして。だから出力をあえて少し抑えていただいたり。あとは配線材も変えていただいたようです。あと、弦のテンションは強いものが好きなんですけど、かといって余計なストリングス・ガイドなど、楽器に何かを加えて性能を上げるっていうことは僕の美学のなかにはない。すっぴんでべっぴんであってほしいんです。だから、相当ハードルは高かったと思います。逆に言うと、BB2000は構造上では僕の基準をクリアしていたっていうことなんですね。あとは……そうだ! はじめにボルトオン・ネックにしたいっていう話はしましたね。
- 元々、BBと言えばスルーネックの印象も強いですよね。
- そうそう。僕の持っているBB2000はスルーネックだし、そういうイメージはあったんですけど。これは僕自身が長年、フェンダーを弾いてきたからです。結局、4th アルバム『スポーツ』がリリースされたあとのツアー“ウルトラC”の初日まで調整してましたよ。初日の会場まで来ていただいて。今は全然解消されてますし、アンプで鳴らすと全然わからないことなんですけど、ライヴ中にイヤモニで聴いていると14フレットあたりにあるデッド・ポイントが気になったり。そういうウルトラシビア(笑)な基準でやってましたから。
- そのほかに、市販モデルと比べて異なる点は?
- 細かいところだとヴォリュームとトーンのツマミに印を付けてもらったことですかね。目盛りがないと“約”っていうことになるじゃないですか。例えば、ヴォリューム8でやりたいのに“だいたい8かな?”っていうのは、PAの方にも負担をかけるし、ライブに使うにあたっては問題だと思いまして。たぶん、この楽器をデザインされた方は、あえて印を付けなかったんだと思います。でも、僕にとっては“数値で表せる基準がない”っていうのはなんぞや?っていうことで、付けていただきました。あと、ピックガードはもともと無い状態で設計されているので、つけてしまうと音が変わるとは思いました。なのでピックガードはつけていません。
- ボディ・カラーについては?
- 色については、はじめからこれに決めてたなぁ……。正式にはヴィンテージ・ホワイトなんですが、クリーム色みたいなイメージですね。イメージ的には砂糖菓子というか、ホワイトチョコにビターチョコレートをトッピングしたみたいなファンシーなイメージなんです(笑)。
- 自分のシグネイチャー・モデルが市販されるっていうのは、どんな気分ですか?
- まさか自分のシグネイチャー・モデルが世にでていくなんて考えてもいませんでした。それでもシグネイチャー・モデルとして世に発表しませんかっていうお話をいただいたときに“喜んで!”っていう気持ちになれたのは、本当に、このBB2024カメダ・エディションが素晴らしい楽器だっていう自信があったからなんです。それだけ開発にも関わらせていただいたので、この楽器だったらキッズが弾いても、プロの方が弾いても、絶対に満足してもらえるだろうなって思った。もちろん、これを弾いて、僕と同じ音になるかどうかはわからないですよ? それはあらかじめ言っておきますけど、楽器やセッティングを同じにしても、同じ音にはならないのですよ。ただし、楽器の持っているポテンシャルや底力として、スーパー・ハイ・クオリティなものができたと言えます。だからこそ、僕がサインをしたというよりも、太鼓判を押したっていうことですね。それが世の中に出ていくことは光栄に思うし、嬉しく思います。なんて言うか……BB2024カメダエディションは世の中の役に立てたというか、楽器の水準を上げたんじゃないかなと。ヤマハさんとしてはプロとして当然のことをやってらっしゃるんでしょうけど、ベースという楽器の水準を上げつつ、しかもヴィンテージとは違うという点がポイントだと思うんですよ。僕のなかではヴィンテージ楽器に対しても何の遜色もない、スタンダードができたっていう。そしてこのBB2024は、現代のスタンダードとなることで、10年、20年経ったときに、ヴィンテージなると思うんです。そういう“次世代のヴィンテージ”を作ることができたっていう点がすごく嬉しい。今、僕がヴィンテージの機材を選択することは、容易なことかもしれません。でも僕は新しいスタンダードを作りたかったんです。それを関わってくださったスタッフのみなさんを含めチームとして磨き上げて行ったという。それぐらいの基準のものを作ることができたと思います。
- そして、亀田さんにとっても看板となる楽器になるわけですね?
- 我ながら似合ってると思うんですよね。今では東京事変のライヴやPVでも僕のメイン・ベースはこれだって認識になりつつありますしね。今までのフェンダーを持っている僕を想像する人にとっては意外性を与えると思う一方、決して期待を裏切らない、高品質なものを使っている自信はあるので。あとは、今このタイミングで女房役のジャズベが歳をとってしまったり、すべてがちょうど良いタイミングだったっていうことですね。
- すべて巡り合わせなんですね。
- そうですね。一期一会が重なって完成できという意味で、本当にご縁だと思います。“ご縁ベース”って呼ぼうかな(笑)。でね、今回、市販される新しいカメダ・エディションを触ったんですけど、そいつの出来がさらに良いんですよ、悔しいことに(笑)。
profile : 亀田誠治
‘64年、アメリカ、ニューヨーク生まれ。辰年。 ‘89年、音楽プロデューサー、ベースプレイヤーとして活動を始める。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツをはじめDo As Infinity、スガ シカオ、アンジェラ・アキ、JUJU、秦基博、いきものがかり、チャットモンチー、エレファントカシマシ、WEAVER、植村花菜、ハナエ、MIYAVI VS KREVAなど 数多くのアーティストのプロデュース、アレンジを手がける。 ‘04年夏から椎名林檎らと東京事変を結成。 ‘12年閏日に惜しまれつつも解散。 ‘07年、第49回日本レコード大賞、編曲賞を受賞。 ‘09年には自身初の主催イベント「亀の恩返し」を武道館にて開催した。