ギターがある日常vol.1【日本】居酒屋の夜を変えるエンターテイナー「流し」

ギターがある日常vol.1【日本】居酒屋の夜を変えるエンターテイナー「流し」

いま、この瞬間も、世界のどこかでギターが鳴り響いている。世界中の人々の暮らしに根ざすギターを通じて、それぞれの国の生活を垣間見ることができるのではないだろうか。

日本独自の文化である「居酒屋」には、古くから、ギターを片手に歌を歌う「流し」と呼ばれる人々がいる。居酒屋文化と密接な関係を持つその存在は、日本ならではのギターのありかたのひとつと言えるだろう。その文化を継承し、人々の夜を彩る「現代の流し」である、パリなかやまさんに話を聞いた。

居酒屋を渡り歩きギターを弾く、「流し」という存在

毎夜、仕事帰りのサラリーマンや大学生、熟年の夫婦など、老若男女を問わず多くの客で賑わう日本の居酒屋。食事をメインとした「レストラン」とも、お酒を楽しむことが目的の「バー」とも異なるこの居酒屋という文化は、日本独自のものだ。国外からの旅行者が、観光を兼ねてやってくることもしばしばだという。

日本の酔客たちは、じっくりと腰を据え食事と酒を味わい、ときにはたまたま隣に座った常連客との何気ない会話を楽しむ。居酒屋という言葉が、「居続けて飲む」という意味を持つのも象徴的だ。

居酒屋を渡り歩きギターを弾く、「流し」という存在

パリなかやま

そうした居酒屋と密接な関係にあるのが、「流し」と呼ばれる演奏家の存在。居酒屋から居酒屋へと渡り歩き、客からのリクエストに応じて楽器を奏で、歌い、生計を立てる、ストリートの歌い手たち。

1960年代から70年代、東京を代表する繁華街である新宿では、毎夜100人以上の流しが活動していた語る人もいる。客は酒とともに流しの歌声に酔い、ときにはともに歌い、チップを渡す。そんな光景が、全国各地の居酒屋の日常となっていた。

パリなかやまさんは、いまでは少なくなった、その文化を受け継ぐ「流し」のひとりだ。かつての流しは主に1950年代以降の流行歌を持ち曲としていたが、なかやまさんのレパートリーは日本の最新のヒット曲から世界中のスタンダードナンバーまで幅広く、じつに2,000曲以上。流しを始めたのは2008年のことだったという。

パリなかやま:もともとは、CDをつくって売る「普通のミュージシャン」でした。でも、身ひとつで生計を立てるストリートミュージシャン「流し」に対する憧れがあって、この世界に飛び込んだんです。自分が心を込めて歌い、目の前のお客さんが喜んでくれれば、そこにお金が発生する。すごくシンプルですよね。最初は自分に流しが務まるのか、本当にお客さんに喜んでもらえるのか、緊張感がありましたよ。

日本では遥か昔、中世の時代から、各地を旅しながら芸を披露し、それによって生活の糧を得る「放浪芸人」の風習が存在したという。1800年代後半から1900年代前半にかけては、ヴァイオリンやアコーディオンを演奏しながら社会風刺を込めた歌を歌う「演歌師」が活躍。日本のストリートミュージシャンの先駆けともいえるこの演歌師が、流しの源流のひとつ。1930年頃から、現在のように居酒屋を渡り歩くスタイルが確立したとされる。

日常にある娯楽として、風景に溶け込んでいた

先述したように1960から70年代には、各地で数多くの流しが活動していた。流しが、スター歌手の登竜門だった時代もある。

パリなかやま:最盛期には流し専門のマネジメント事務所があり、流したちはその事務所から各居酒屋に「出勤」していたそうです。当時はカラオケもありませんでしたから、お客さんが流しと一緒に歌うことも多かったと聞いています。日常にある娯楽のひとつとして、愛されていたんでしょうね。

日常にある娯楽として、風景に溶け込んでいた

「歌本」といわれる歌詞カード。これを手に、流しとともに歌う客も多い。

1980年代に入ってカラオケ機器が普及すると、流しは衰退。同時に居酒屋も、オシャレな内装、空間を打ち出したものが人気を集め、雑多な店内で常連客同士が触れ合う光景が敬遠されるなど、次第に姿を変えていった。しかし、近年になって、流しの存在にふたたびスポットライトがあたり始めているという。

その理由のひとつは、若い世代を中心とした「レトロブーム」のなかで、流しが似合う、かつての居酒屋がふたたび人気を集めていること。また、新たな音楽活動のかたちとして、流しの可能性が見つめ直されていることもあるという。

パリなかやま:いまは東京都内だけで30人ぐらいの流しがいると思います。20歳ぐらいの人もいるし、50代で新たに始めた方もいますよ。共通しているのは、「お客さんの反応を直に感じながら、演奏する場所が欲しい」という思い。流しとしてやっていくうちに常連さんも増えてくるし、お店の方とも仲良くなっていく。人や町とコネクトしていくんです。そこが楽しいんですよ。

流しの歌で、メモリアルな夜がさらに印象深いものになる

なかやまさんのホームグラウンドは、JR山手線の恵比寿駅にほど近い「恵比寿横丁」。13店舗の居酒屋や飲食店が立ち並ぶこの一帯は、連日多くの人々が押し寄せる、東京でも屈指の人気スポットだ。

ある週末、なかやまさんの流しに同行させていただいた。ギターを片手に人の輪に自然と近づき、話の切れ目を見つけて声をかける。「演奏いかがですか?」と訊ねることもあれば、「なんの集まりですか?」と世間話に花を咲かせることもある。が、気がつけばそれぞれの客からリクエストを受け、曲を歌い始めている。「手当たり次第に声をかけているわけではなく、お客さんから出ている『サイン』を察知して、話を切り出す」というその話術は名人芸。流しにとって、歌やギターの技術とともに、客とのコミュニケーションも大事な要素であることに気づかされる。

パリなかやま:大切なことは、そのお客さんが一番望んでいることを察知して、それを自分の演奏で叶えるということですね。あくまでもお客さんありき。そこが流しの一番の特徴で、一般的なミュージシャンとの違いです。不特定多数ではなく、目の前のお客さんに喜んでもらうことがすべてなんです。

10年にわたって流しを続けてきたなかやまさん。過去には客とのこんなやりとりもあったという。

パリなかやま:「亡くなった友人が好きだった歌を歌ってほしい」とお願いされたこともありました。結婚記念日で飲みにこられたご夫婦のために、結婚当時の思い出の曲を歌うもこともあるし、学生時代に好きだったという歌をみんなで合唱することもある。泣きたい、笑いたい、歌いたい……お客さんの思いはそれぞれですが、そんなメモリアルな夜のお手伝いができた日は、流しに来てよかったなと思いますよね。

流しの歌で、メモリアルな夜がさらに印象深いものになる

なぜ、流しはギターを手に歌うのか

そんななかやまさんが「ぼくにとっての武器かな? いや、それだとちょっと物々しいから商売道具ですかね(笑)」と話すのがギター。この日持ってきたのは1960年代に製造されていたYAMAHAの「ダイナミックギター No.20」だ。

パリなかやま:大きな音が出せるのに、普通のギターと比べてちょっとボディが小さいんですよ。混雑した居酒屋で取り回すには、できるだけ小さいほうがいい。大きいとお客さんの邪魔になってしまいますからね。

なぜ、流しはギターを手に歌うのか

パリなかやまさんが愛用しているダイナミックギターNo.20

かつての流しは、アコーディオンやヴァイオリンに合わせて歌うこともあったという。だが、現在活動する流しの主流はギター。なぜ、さまざまな楽器のなかからギターが選ばれるのだろうか?

パリなかやま:お客さんが求める曲のジャンルも幅広くなっているので、ギターじゃないとなかなか対応できないんです。アコーディオンだと、どうしてもリズム的に弱くなってしまう。ギターは打楽器的な側面もあるのでノリも出せるし、静かに爪弾くことで繊細な演奏もできるんです。

なかやまさんはそう話すと、ギターをそっと爪弾いた。賑やかな店内に優しいギターの音色が鳴り響くと、数人が振り返り、常連の客からリクエストの声がかかる。

パリなかやま:流しの演奏には、「エナジー」が重要なんですよ。上手い下手ではなく、歌い手のエナジーが伝わることで、お客さんは喜んでくれる。そして、お客さんが喜んでくれることで、自分もさらにエナジーをもらえるんです。

パリなかやま:流しの演奏には、「エナジー」が重要なんですよ。上手い下手ではなく、歌い手のエナジーが伝わることで、お客さんは喜んでくれる。そして、お客さんが喜んでくれることで、自分もさらにエナジーをもらえるんです。

最後にこんな質問をなかやまさんに投げかけてみた。――流しを続けるうえで原動力となっているものはなんですか?

パリなかやま:流しを続けているとレパートリーも増えてくるし、お客さんとのやりとりも自然とうまくなっていくんですね。技量が高まっていくと、流しとしての価値も高まっていく。余計なものに左右されることなく、そうやってシンプルに自分を高めていくことは、自分にとっても大きな喜びです。そして、なによりも、演奏するのは楽しいことですからね。

居酒屋の客たちのありきたりな夜が、歌とギターで特別なものとなる。流しは、そうやって夜を彩る居酒屋のエンターテイナーだ。今夜も、たくさんの人でにぎわう居酒屋に、なかやまさんのギターの音色が響きわたる。

取材・文:大石始 写真:ケイコ・K・オオイシ

プロフィール

パリなかやま

2004年「人生に乾杯を!」で日本クラウンよりメジャーデビュー。2008年より新世代の流し「パリなかやま」として活動を開始。東京・恵比寿の「恵比寿横丁」を中心に、流しとして歌いまわる。レパートリーは2,000曲。現在15名が在籍する平成流し組合代表。