沖仁
- ジャンルを超えた活躍で話題を集めているフラメンコギタリスト沖仁。クレモンティーヌ、葉加瀬太郎、福山雅治など多彩なアーティストとの共演をはじめ、NHK大河ドラマ「風林火山」の紀行テーマ曲の提供、さらにはFUJI ROCK'08への出演など活動フィールドは多岐に亘っている。また2010年7月にはスペインの3大ギターコンクールに数えられるムルシア"ニーニョ・リカルド" フラメンコギター国際コンクールの国際部門において、日本人初の優勝という快挙を成し遂げた。
- ギターをはじめたきっかけを教えてください。
- はじめて手にしたのはエレキギターで、中学2年の時でした。ロックが好きでBOØWYなどをよく弾いていましたね。高校になるとアコースティックギターで指弾きをするようになって、ビートルズやサイモン&ガーファンクルなどを弾きはじめ、そこからラグタイムギターなどのソロギターを弾くようになりました。これは面白いと思いました。しかもバンドを組まなくてもいいし。(笑)。
- そこからフラメンコギターに?
- いえ、まだです(笑)。高校卒業後にクラシックギターを習い始めるのですが、それも最初はスティール弦のギターで弾いていました。クラシックギターを弾きはじめるとスペインや南米の曲が好きになり、そうするとだんだんフラメンコも視野に入ってきて。そこで決定的だったのが当時デビューしたばかりのフラメンコギターの新星、ビセンテ・アミーゴのファーストアルバムでした。これにはかなり衝撃を受けました。僕が弾きたかったのはこれだったのかも、と。それでフラメンコギターを弾きはじめたんです。
「行かなきゃ何もわからない」そう思い立ってスペインへ。
フラメンコギターはスペインで修行したのですか。
フラメンコは楽譜なんてない世界ですから、とにかくスペインへ行かないと何もわからない。そう思ってスペインに渡って何人かのギタリストを訪ねました。連絡先も電話番号も知らなかったので現地で誰かに教えてもらって(笑)。結局ビセンテには会えませんでしたが、セラニートには会うことができました。セラニートについて習うことから修行を始め、さらにスペイン南部のヘレスという、フラメンコの発祥地と言われるアンダルシア地方の村へ移って、そこの住人として暮らしながらフラメンコの勉強をしました。
現地で感じたフラメンコの魅力とは何でしょうか?
いろんな言い方ができると思いますが、僕が一番魅力だと思うのは、人生で起こる深い感情、たとえばすごく辛いことから歓びまでを全部そのまま受け止めてくれる大きな器を持った音楽だということです。現地では小さな子どもからよぼよぼのお婆ちゃんまでフラメンコをやるんです。暮らしの中で自然に。それがいいんですよ。本当に器が大きな音楽だと思います。
優勝した時、フラメンコに抱きしめられた気がした。
優勝なさった"ニーニョ・リカルド" フラメンコギター国際コンクールについてきかせてください。
このコンクールには2008年にも出場したんですが、この2年の間にレベルが上がっていて驚きました。もし落ちたら恥ずかしいので一人で行くつもりだったのですが、結局「情熱大陸」のテレビクルーも同行することになり、これは参ったなと(笑)。でも実を言うと今回でコンクールに出るのは最後にするつもりだったし、それだからこそ賞を獲りたいと思っていました。
コンクールの映像ではとてもリラックスしているように見えましたが、演奏していていかがでしたか。
とにかく緊張しないように心がけました。「コンクールで緊張せずに演奏する」ということを自分のテーマにしていたんです。
大舞台で緊張しないためにはどうすればいいのでしょうか。
とても難しいですが、一言で言うと「自我を捨てる」ことです。「自分の力を見せつけよう」とか「負けないぞ」とかライバルに対して「失敗しろ」などと思うのはダメなんです。「自分のベストを見せよう」と考えることすらダメですね。
まるで禅の境地のようですね。
でも結局それしかないと思っています。そうでなければ「勝った、負けた」の話になってしまいますよね。それは小さな「戦争」みたいなもので、その先にいい音楽ってあるのかと考えると疑問です。僕がやりたいことは、聴いてくれるみんなが笑顔になることだし、元気になること。だとすれば「俺のギター、凄いだろ?」というのは違うと思うんですよ。
優勝した時はどんな気持ちでしたか?
優勝を告げられて審査員にハグされた時、まるでフラメンコに抱きしめられたような気がしました。やっと自分のフラメンコと本場スペインのフラメンコが溶け合ったような感じがしたんです。スペインから帰ってからは日本で自分なりのフラメンコを追求してきたんですが、それが伝統と摩擦を起こす部分、折り合いがつかない部分がありました。でもそれがコンクールでフラメンコの母国で受け入れられたことで、折り合いがつきました。それまでは「世界を敵に回して弾いている」ぐらいの気持ちで弾いていたのですが、いまはまったく違う気持ちで自然に演奏できるようになりました。これからが自分としての第2期という気がしています。
ヤマハFC50はフラメンコらしい音。
僕の手にフィットしてピッチも正確です。
コンクールではヤマハのフラメンコギターを弾かれたそうですね。
コンクールで弾いたのはヤマハのフラメンコギターFC50です。他社のものも含めてギターはたくさん持っていますが、コンディションも良く音も気に入っていたので、迷わずFC50を持っていきました。
FC50のどこが気に入っていますか。
まず音です。とてもフラメンコらしい音で、昔のCDで聴けるフラメンコギターの音のようだと感じました。とても野太くて、男性的です。それと僕の場合はサイズも重要なんですが、それが僕にピッタリでした。スケールや弦の間隔、ネックの形。僕は手が小さいほうなのでスペインのギターはたいてい大きすぎるんです。またヴィンテージなどの古いギターは確かにいい音なのですが、チューニングが合わないものが多い。昔のフラメンコなら5フレットより上はほとんど使いませんが、僕はハイポジションも多用するのでピッチは重要です。それと「プルサシオン」と言うのですが、フラメンコってちょっと弦を押し込んで演奏するんですね。その押し返される感覚が気に入っています。抱き心地みたいなものですね。
ヤマハのいい点は「音」と「機能」の両面ということですね。
そうです。ある意味でヤマハのフラメンコギターは僕の音楽とリンクしているんですよ。僕は昔のフラメンコではなく今、この時代のフラメンコを演奏したいと思っていますが、その根底にはフラメンコの伝統があります。このギターもまさにそういう感じがします。
たしかにコンクールの映像を見ても他のギタリストと音の違いがよくわかりました。
審査員の方からも「出場者の中で一番いい音だった」と褒めてもらいました。フラメンコギターにはいわゆる「白」と「黒」があって、それは側板の素材の色を指しています。黒(ローズウッドなど)は音がふくよかでコンサート向きとされていてコンクールでもほとんどの人が黒を弾いていました。一方、僕のFC50は白(スペインシープレス)でした。白はよりジャリンとして、ストレートにハートに来る気がします。普通は伴奏向きとされる白ですが、F50の音にはふくよかさもあったので、僕はあえてFC50で演奏しました。
フラメンコギターはポップスでもジャズでも魅力が出せる楽器。
フラメンコギターの魅力とは?
伝統楽器と考えられがちですが、僕はまだまだフラメンコギターには大きな可能性が秘められていると思うんです。フラメンコという音楽ジャンルの枠には留めておけないぐらい面白い楽器です。自分でもフラメンコギターのポテンシャルのまだほんの数パーセントしか使っていないと感じているぐらい。もちろん僕一人では100にはとても届きませんので、ぜひ多くの人にフラメンコギターを使ってもらって、可能性を拡げてもらいたいと思っています。
フラメンコ以外の音楽でフラメンコギターをどう使ったらいいでしょうか。
まずは身近に感じて欲しいですね。ガットギターの音が欲しい時にクラシックギターではなくフラメンコギターを選ぶ、そんな感じでいいと思うんです。フラメンコギターには柔軟性があり、使ってみるとポップスやロック、ジャズやクラブミュージックにもマッチします。しかもいわゆる「立つ音」なので使いやすいんです。ぜひ手にとって弾いていてほしいと思います。
今後の活動について教えてください。
僕はまずは日本のリスナーにフラメンコをきちんと届けたいと考えているんです。フラメンコだからスペインで、とか世界を舞台に、という前に、まずは今の自分とつながっている方々、同じ時代に同じ土地で生きているみなさんに、フラメンコギターの魅力を直接伝えたいと思っています。
profile : 沖仁
14歳より独学でエレキギターを始め、高校卒業後カナダで1年間クラシックギターを学ぶ。その後スペインに渡り通算3年半スペインに滞在。1997年日本フラメンコ協会主催新人公演において奨励賞を受賞。2002年初のソロ・アルバム「ボリビアの朝」を発表。2006年12月NHK「トップランナー」に出演し大きな反響を呼ぶ。2008年7月、FUJI ROCK FESTIVAL ‘08に出演。2010年7月、第5回 ムルシア "ニーニョ・リカルド" フラメンコギター国際コンクール国際部門で優勝。同7月5thアルバム「Al Toque [アル・トーケ] ~フラメンコの飛翔~」をリリースするなど、精力的な活動を行っている。