スタンディングオべーションとブラボーコールに讃えられ 福岡県筑後市民ミュージカル 「彼方へ、流れの彼方へ」東京公演

8年前に稽古を始めたとき、「……ミュージカルなんて無理……」だと思った。一般公募で集まったメンバーの歌の経験は「地元の合唱団で少し……」。ダンスは「社交ダンスを習っています!」。アンサンブルの音程は、みんなで揃って下がり気味。ダンスはカウントが数えられない。それまで東京やニューヨークで組んでいた仲間たちとはレベルの全く違う、でも熱い熱い心を持ったメンバーたちとの、それが出会いだった。

レッスンはまず、まっすぐ立つことから始まった。

「身体の力を抜いて、重心を確認して!」「あごを引いて、はい、ブレスはお腹で!」

2004年10月初演の本番まで3年間の月日をかけ、中間発表を重ねるたびに行った公開オーディションでメンバーは確実に力を付けてきていた。中心となってメンバーを引っ張ったのは、九州大谷短期大学演劇放送フィールドの卒業生たちだった。西日本唯一の本格的演劇教育を30年にわたって行ってきたこの短期大学の卒業生たちがいたからこそ、市民ミュージカルでありながらプロにも引けを取らない舞台が実現したのだと思う。

そして、7人編成(Vl. Vc. Cb. Pf. El. Per.×2)のバンド音あわせのとき、初めて「いけるかも……」と思った。九州で考えられる限り最高の演奏者たち。とくにエレクトーンの久米詔子は九州を代表するエレクトーン奏者。一人で50人分の音色を紡ぎ出す。彼らの音楽に触発され、メンバーたちの演技が数段アップする。仕事を終えて、家事を片付けて、子どもを預けて稽古に参加してきたメンバーたちの熱い熱い思いが本番で昇華する。

見ていただいたニューヨークの評論家からは、「今年上演された創作ミュージカルの中で3本の指に入る!」との言葉をいただいた。

「市民ミュージカルがここまでやるとは……!」「オープニングから鳥肌が立った!」「帰りの電車の中でも涙が止まらなかった」などの大絶賛の声と、そして再演を望む7000名の署名がこのミュージカルの再演、再々演を決めた。

そのうち、「東京でやってみたい。東京のお客様にどのように評価されるのか、挑戦してみたい」という思いがメンバーたちにわき起こり、今年6月、念願の東京公演が実現した。

その東京公演でのスタンディングオべーションとブラボーコールが、このミュージカルに関わったすべての人たちへの勲章だった。

思えば稽古開始から8年間、休むことなく稽古を重ね、台本も作詞も作曲も練り上げ、演出も振付も公演のたびにブラッシュアップされてきた。今になって思う。「まるで、地方のトライアウトを数年がかりで経て、そしてブロードウェイにやってくるミュージカルと、同じやり方だった」と。

東京公演を終えたその週から、メンバーたちは次の公演を目指して稽古を始めている。

作曲&音楽監督 上田聖子

(上から)写真4:エレクトーン演奏/久米詔子|写真5:写真提供:筑後市民ミュージカル実行委員会

2010年6月20日 THEATRE1010