エレクトーン伴奏でサンレモ音楽祭ヒット曲を歌う 青木純リサイタル カンツォーネの150年

日本とイタリアが国交を結んだのが今から150年前の1866年。日本は幕末の慶応二年、薩長連合が成立し、坂本龍馬が襲撃された「寺田屋騒動」があった年です。イタリアはその5年前の国家統一でイタリア王国が誕生、標準イタリア語も設定されましたが、まだ大半の国民は各方言で会話をし、イタリアのポピュラーソング「カンツォーネ」も各方言で地域的に歌われている民謡だけでした。

しかし音楽の先進都市ナポリでは、この頃すでに「民謡」の域を脱し、「産業」としてプロの作詞家、作曲家が作り、プロの歌手によって歌われる、ナポリ方言のカンツォーネ「カンツォーネ・ナポレターナ」の新時代が始まっていました。

1880年に有名な「フニクリ・フニクラ」が作られ、カンツォーネの「黄金時代」が始まります。「オーソレミオ」はじめ「帰れソレントへ」等の名曲が数多く作られ、海外にも知られ始めます。そしてそれがより洗練され、爛熟する「白銀時代」が始まったのが今から約100年前、第1次世界大戦と重なる時期です。大量のイタリア移民の存在とレコードやラジオの普及もあり、世界中で歌われるようになりました。

1930年代になってやっと「映画主題歌」として「イタリア標準語」のカンツォーネが作られ、ヒット曲も生まれ始めます。第2次世界大戦後の「奇跡」と言われたイタリアの経済復興、この経済基盤に立った音楽産業も力を盛り返し、テレビの普及もあって「サンレモ音楽祭」のカンツォーネは世界的ヒットを量産しました。今から50年前がそのピークでした。

この150年間に劇的変化を遂げ、時代の姿を映し出した名曲の数々を、50年ごとに区切って聴いていただこう!と思い立ち、イタリア文化会館に提案したところ、会館のイベントとしてリサイタルを開催していただけることになりました。会場のアニエッリホールはまるでイタリアに居るような雰囲気で、音響が抜群に良いだけでなく、ヤマハのエレクトーン「STAGEA」が備えられています。珍しいプログラムが話題を呼んだのか、瞬く間に400席が予約で埋まってしまいました。

私は普段ナポレターナをギター伴奏で歌うことが多いため、今回中島純子のエレクトーン伴奏で歌ったサンレモ音楽祭のヒット曲は、多くのファンにとって新鮮であったようで、殊の外好評でした。また古いナポレターナを、今年で共演31年目となる柴田杏里のギター伴奏で、先日久しぶりに訪れたナポリで得てきた強烈な印象を込めて歌い、ご好評をいただきました。さらに私がまとめたカンツォーネ150年の歴史を、弟子の昼神ひとみの語りで解説、皆様に理解を深めていただけたようです。

このリサイタルで私なりの日頃からのイタリアへの感謝と、国交樹立150周年のお祝いをさせていただくことができました。共演者、イタリア文化会館、いつもご協力くださるヤマハエレクトーンシティ渋谷、そして熱心にお聴きくださった聴衆の皆様に心からのお礼を申し上げます。

青木純

エレクトーン演奏/中島純子

2016年8月26日 イタリア文化会館 アニエッリホール