「パリ中が息をするように歌い、踊る『日常の音楽祭』とは」フランス現地レポート

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  • フランス/Fête de la Musique(音楽の日)

「パリ中が息をするように歌い、踊る『日常の音楽祭』とは」

フランス現地レポート

西部沙緒里氏
西部沙緒里はたらくミュージシャン協会(はたミュー)
発起人・共同代表/ヤマハおとまち パートナー
20-50代からなる“音楽エンターテインメント社会人集団“、はたミュー。「音楽に参加する楽しさを広げ、音楽の担い手を世界にふやす」をミッションに活動、全ての市民音楽家のコミュニティー・プラットフォームとなることを夢見る。自身は都内の広告会社で勤務しながら、「音楽」・「群馬」を二大テーマに各種プロジェクトを展開、群馬県人会理事も務める。執筆参加に、『地域を変えるデザイン』(英治出版/2011)WEBサイト(http://www.worklifemusic.org

パリ中が、息をするように歌い、踊る。「フェスティバル」ではない、街に日常に"拡張"する音楽

日本だけでなく、世界のあらゆる場所で、音楽とヒトのすてきな関係が生まれています。本稿はフランス・パリで年に一度だけ出合うことができる、すばらしき「日常の音楽祭」を巡る一日の記録です。
暮らしのリズムで、街に寄りそって、音楽がそこにある至福
この日、パリで見たものは、私たちが思う「音楽祭」や「イベント」の概念だけでは表し尽くせない世界でした。なぜなら、フランスの人々にとって、それは日々の中に、当たり前のように"ある"ものだったから。

なにげない道端で、レストランの軒先で、住宅街の一角で。あらゆる種類の音楽と人が、あるところでは熱狂し、またあるところではストリートのBGMとして、街にすっかり溶け込んでいる。一切の統一性はないけれど、その雑多で多様なものの一つひとつが、まさに、この音楽の日を形づくっていました。
"国家プロジェクト"のスケール感と、30年の歳月が重ねたもの
Fête de la Musique(邦題:「音楽の日」)は、世界でも草分け的な存在の、もっとも歴史ある市民音楽祭の一つです。遡ること32年前の、1982年。当時のジャック・ラング文化相の鶴の一声で、任命されたモーリス・フルレ氏(音楽及び舞踊局長)が立ち上げを担ってから、今やグローバルに波及し、世界中の各都市で開催されています。

本国での開催日は、毎年の6月21日=夏至の日。「一番長く外で音楽を楽しめる日に、国中で夏の訪れを祝おう」との意味が込められたそうで、粋な計らいです。

「音楽は全ての人のもの」。これが、Fête de la Musique の基本精神。6月21日のパリでは、誰もが演奏家になれて、あらゆるジャンルの音楽を、あらゆる場所で披露できることとなっています。中でも屋外や、普段音楽がない空間での演奏が推奨され、公園、広場、ストリートはもちろん、近年は美術館、病院、刑務所などといった場所でのパフォーマンスも行われています。

もう一つの特徴として、この日の演奏は、入場料を無料にしなければならないとされています。プロもアマチュアも、路上演奏からホールコンサートまで、誰もが無料で行い、全ての人がハードルなく参加できることが条件。これらの指針が当初から貫かれ、今日のFête de la Musique は、世代、民族、国境を越え、文字通り「全ての人のもの」が体現された催しとなっています。
音×場所×ヒト=無限大。同じ一日を経験する人は、ただ一人もいない
左京泰明氏 佐藤雅樹氏
さて、市役所で無料のガイドブックをもらい、一日が始まります。
意気込んで午前中から出発してみたものの、そこは平日の金曜日。日中の街はがらんとして、これから何事か起こりそうな気配はまるで感じられません。

なおその朝、ホテルの人に「おススメの回り方」を聞いていたのですが、返ってきた答えは「うーん、特にないわ(笑)。フィーリングで好きなところに行ったらいい。今日はそこらじゅうが音楽で埋め尽くされて、音が聴こえない場所にいることの方が難しいから」。朝方のこの話と、実際の街とのギャップに、いささかの不安がよぎります。しかし後から、これがいかに的を射たコメントだったかと、深く頷かされることになるのでした。

気を取り直し、パリ在住10年超の友人の協力を得て散策再開です。道すがら、無造作に置かれた楽器や設営途中のステージ、リハーサル中の人や談笑しながら待つ人・・・。閑散としていた街も、夕刻が近づくにつれ、みるみる活気を帯びてきます。

とある道端での、サックス&カホンの二人組による会話のようなさりげないセッションを皮切りに、いよいよ、様々な音と出合い始めます。そこから先は導かれるまま、少し行ってはビストロの軒先で立ち止まり、また少し行っては聴衆の人だかりに吸い寄せられ・・・のくりかえし。

それもそのはず。分厚いガイドブックに所狭しと並ぶ出演者に、非公式や個人の演奏を合わせれば星の数ほどのパフォーマンスが、20個ある市街区の津々浦々で、パリの夜長を同時多発に起こって行くのです。実際に全会場、全ての演奏を「網羅」することは不可能。今回の滞在で体験した一日は、その全貌の氷山の一角にしか過ぎないのでした。

余談ですが、ガイドブックのスケジュールは必ずしも正確ではなく(笑)、オンタイムを目指して行ったのに何も行われていなかった...というのも、全く珍しくない、パリらしい一コマ。リピーターのパリジャン達は、毎年のこの日、そうした(ハプニングも含めた)一期一会の出合いをおおらかに楽しみながら、音楽の日に参加しているようでした。
本当の「多様性」について、音楽が私たちに教えてくれる
左京泰明氏 佐藤雅樹氏
Fête de la Musique の体験を一言で表すなら、まさに「多様性のるつぼ」。まずは、音楽のジャンルです。例えば、夕暮れ時に居合わせたエッフェル塔対岸のシャイヨー宮では、ジャズ、シャンソン、フォークにラテンに民族音楽...と、趣の異なる数グループが同時に演奏を繰り広げ、人々は乱舞し、宮殿全体が音の洪水のよう。さらにおもしろかったのは、一見極めてカオスな空間も、その場を思い切り楽しむ人達の一体感からか、不思議な調和が生まれていたことでした。

ジャンルのみならず、参加者層の幅広さも特筆すべき点です。演者で言えば、モダンな教会で合唱していた可愛らしい子ども達から、超ミニスカートでノリノリ、迫力のおばさまバンドまで。言うまでもなく、人種や言語だってさまざま。日本人ミュージシャンもいました。かたや参加者も、キッズ、ベビーカーの家族、学生、デート中のカップル、背広のビジネスマン、年配のおじいちゃんおばあちゃん...。どの会場にも必ず、老若男女が混じりあっています。

高校生のハードロックをうれしそうに聴く老夫婦、渋めのジャズに上機嫌で駆け回る子どもの姿なども目の当たりにして、究極的には、人が音楽を純粋に楽しむということに、ジャンルや演奏のクオリティは必須要件ではないのかもしれないと、認識を新たにした一日でした。

"市民の誇り"であり、やがては"まちの財産"となる。「パリの精神」を育み、未来へと語り継ぐ音楽祭

年に一度、6月21日のパリに出現する、「音楽が全ての人のもの」になる一日。それが、Fête de la Musique(邦題:「音楽の日」)です。かの地で30年余りの歳月を経たFête de la Musique が、パリの市民社会で担う役割と意味を、現地リポートとともに紐解いてみたいと思います。
音楽とともにある一日。その積み重ねが、社会にもたらしたこと
6月21日=夏至の日の、パリ。初夏の街をぶらぶらと巡った行程をたどり、改めて、強く蘇ってくる感覚がありました。それは、「この日は外で音楽を楽しむ日」という暗黙の空気が、一日じゅう、街じゅうに流れていたこと。中でも驚いたのは、音楽好きにとってだけではなく、特段興味がない人にとっても、ごく当たり前に生活の一部になっている様子だったことです。

「フランス人と音楽の距離は、とても近いと思う。節約好きの彼らはお金を払ってまでカラオケには行かないけれど、音楽がどこからか流れると、誰でもどこでも(会議中はさすがにあり得ないとしても)踊ったり、歌ったりし始めるよ」とは、パリ在住10年以上の友人の談。
実際に多くのパリっ子は、子ども時代からFête de la Musique を経験して育ち、大人になります。街に生音がある環境に慣れ親しんでいること。それこそが、今日のフランス人と音楽との距離感をつくっているようにも思えます。

友人の言葉を証明するように、街では、象徴的なシーンにいくつも出合いました。例えば、メトロ(地下鉄)に乗って移動中、大きなギターケースを抱えたおじさんが乗り込んで来たと思えば、おもむろに楽器を取り出し、突如車内で豪快な弾き語りが始まったり。はたまた、とある住宅街の一角では、道を隔てた両脇の歩道右側にトランペット、左側にサックスがスタンバイ。道路を対面ステージに、二人だけの極上セッションが繰り広げられていたり。

どちらもレアな出来事のようですが、ここはフランス。市民にとっては日常の延長線上なのでしょう。誰もが自然にそれを受け入れ、体を揺らす人や喝采する人もあれば、全く意に介さない人もあり、皆いたって自由にしている。演者は周囲がどうあれ、演奏することをいとわない。もちろん、ギター弾きはメトロの許可など取っていないでしょうし、金管の二人も周辺住民を気にして神経をすり減す様子はまるで無く、ともにのびのびと演奏しています。
自己責任の文化に裏打ちされた、表現する自由、楽しむことの自由
この日のパリには、実に様々な関わり方、楽しみ方がありました。さらに言えば、この"フランス流"の楽しみ方の中には、外が明るいので22時を過ぎても遊び回る子ども達や、普段は取り締まられる路上飲酒をここぞとばかり満喫する姿等、少々ヒヤっとするようなエピソードまでもが、含まれているわけです。

改めて、全ての経験を回想しつつ想いを馳せること。それは、パリの人々が謳歌していた自由の裏側にあった、「自律」と「自己責任」の文化についてです。 誰もが自由に振舞うことを許容できる社会と、そこには必ず責任がともなうことを知っている市民。こうして、30年前に国家が掲げた旗を、市民一人ひとりのプライドと自覚意識で守り、育て、そして次世代に受け継いできた歴史こそが、フランスのFête de la Musique の「本質」であると感じました。

一日の終盤、日没の遅いパリの空がようやく夕闇に覆われ始めた頃。繁華街のストリートで、イルミネーションやショーウィンドーにも負けず、街に彩りを添えていたブラスバンド隊の打楽器奏者エリックは、満面の笑顔で、こんなことを話してくれました。

「もう10年になる。10年間、毎年かならずこの場所で、このメンバーで街に立ち続けているんだ。プロミュージシャンもいれば、僕も含めた他のほとんどのメンバーは皆、他に仕事をもっている。見た通り、高齢のメンバーもいるよ。けれど、毎年のこの日を目標に、この日があるから、がんばって来られた気がするのさ。だから仲間とやる音楽は、やめられないね」
日本における「音楽の祭日」のいまと、これから
Fête de la Musique は、1985年にヨーロッパ諸国とパートナー憲章を結んだことをきっかけに海外に発展、その後20数年を経て、現在では世界中の100カ国、400以上の都市でも開催されています。その中にはもちろん、わが国日本も含まれています。この文の締めくくりとして、日本版Fête de la Musique である「音楽の祭日」の東京事務局コーディネーター・野原幸広さんに、お話を聞きました。

「国内開催は、大阪を中心とした関西圏と、大田区を中心とした東京23区内で行ってきて、今年で10年目を迎えます(取材時/2013年時点)。実は日本での開催日は、6月21日だけではありません。というのも、この時期と言えばちょうど梅雨の真っ最中。雨天中止のリスクが常につきまといます。そこで、国内で広げて行く工夫として、『音楽の祭日月間』のような形で前後の約1ヶ月を使い開催している点が、本国のFête de la Musique との大きな違いです。
東京の例では、市民の皆さんからなる運営委員がアイデア出しをしたり、地元を開催地としてプロデューサーになってくれたりと、活躍してくれています。約10年やって、ようやく根付いてきたという感覚がありますね。毎年欠かさず出演してくれる人や、出演者の誘いで新たに出てくれる人。お店やバーから、『うちの店使ってくれない?』と引き合いをいただくこともあります。つながりがつながりを呼び、関係者も年々増えてきました。
将来的には、東京23区の隅々で、まんべんなく音楽が鳴っているという状況をつくりたい。会場も、外に開かれた空間をもっと活用していきたいです。さらには、各地の音楽祭等と連携して、全国にも広げて行けたらと思いますね」


日本でもいつか、「音楽の日」が全ての人のものとなり、日常を慈しむ気持ちで、世界の人と夏の始まりをお祝いする。そんな日が、迎えられたらいいですね。

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