伊藤佳苗(いとう・かなえ)
オペラ伴奏や合唱伴奏で素晴らしい演奏を聴かせる伊藤佳苗さん。音楽一家に育った伊藤さんは、エレクトーンのオペラ伴奏の世界に飛び込んだことで、大きく人生が変わったと言います。
—生まれる前からの音楽一家とうかがいました。
そうなんですよね。父は指揮者(伊藤栄一氏)で、実は祖父もバイオリンを弾いていまして、叔父もバイオリン、母は声楽を……。音楽以外のことは何も知らないという家です。全然意識はしていなかったんですが、父はつねに演奏会に向けてレコードを聴いたり、勉強したり、もちろん、生徒さんがいらしてレッスンしていたり、母はピアノを教えていたので、スピーカーからピアノから、音楽はいつも流れていました。
—ピアノはいつから習ったのですか?
3歳になる直前に、人生最初の選択を迫られて…。私はバレエとピアノと両方習いたかったんです。しかし、母は「どっちかにしましょう。あなたが選びなさい。ピアノを選ぶのなら、8月のソ連からの来日バレエ公演を見せてあげる」と誘導したんです。それも素敵だなと思って、うまくのせられました。小学校6年生までほぼ毎年、『白鳥の湖』を見に行きました。『白鳥の湖』が大好きで、細部まで知り尽くしたマニアです。
—大学はピアノ科に進まれました。
私は音大に行くことは考えていなくて、学校の先生になりたかったんです。最終的には音大進学を決めたのですが、父は音楽の道に進むことには猛反対でした。入学後1年間頑張って認めてもらい、ピアノ一筋で勉強していました。音大時代にいろいろな楽器の伴奏やオペラの伴奏もするようになり、オペラも楽しくて、次第にソロよりオペラという気持ちになっていきました。
—エレクトーンとの出会いは?
新宿のカフェでエレクトーン伴奏によるオペラ演奏会『秘密の結婚』を父に連れられて見に行ったんです。バイオリンとエレクトーンの演奏で、奏者は赤塚博美さん。大学4年生の12月でした。「あれは何?」という衝撃とピアノではできない表現をしている悔しさもあり、いてもたってもいられなくなり、エレクトーンシティに電話して見に行きました。HS-8をあれやこれや触って弾いて。そのあと、もう1回行きましたね。そうしたら、12月25日のクリスマス会の最中にお電話をいただいて、翌年2月3日の演奏会に出てくださいと。「大丈夫だから」とうまくのせられて、海津幸子さんと「モーツァルトの夕べ」という催しに出演しました。海津さんに引っ張っていただいて音作りをして、足もティンパニくらいは使いました。
—エレクトーンの音作りは大変ではなかったですか?
2月のコンサートが終わったとたん、4月に新機種のEL-90が登場し、ますます興味が湧き、父からも大学院に行ったと思って2年間勉強してみなさいと許しを得、音作りも独学で研究しました。とことん極めなければいけなくなったきっかけが、東京とウィーンで行った1992年の湯浅勇治先生の「春の祭典」指揮セミナーでした。5台のエレクトーンでオーケストラを演奏しましたが、昨日のことのように覚えています。辛い思いをしても結果楽しい、ピアノの世界と全然違うエレクトーンならではの色彩豊かな世界がぱーっと広がったんです。エレクトーンを研究することによって、自分がこんなことを思っていたんだという引き出しがどんどん出てきた。本当に楽しかったんです。
—塚瀬万起子さんとの共演が多いですが、出会いは?
その「春の祭典」の頃からです。彼女とは音楽でいちばんおしゃべりできるんです。音色感的にもうまく混ざり合っていると思っています。本番で弾いていても呼吸が合いやすいし、どんな指揮者でも太刀打ちできる。性格は反対かなというくらい違うんですけれど。塚瀬さんは強い女性で、弾いていることが楽しいからつねにどんなことがあっても我慢できる人。プライベートでも仲いいんですよ。
—昨年出産され母となりました。何か音楽的に変化はありますか?
1年間仕事をお休みして、いろいろと考えることができました。もともと学校の先生になりたかったくらいで、人に何かを伝えるということ、後進を育てることも必要だと考えるようになりました。表現したいことを音に出す術やちょっとしたノウハウを伝えていかなければと。音楽の幸せを分けてあげたいし、そんな気持ちを持てる奏者を育てたいですね。また、子どもと接していて、童謡とか、子どもに向けた音楽にも興味が出てきました。
—最後に、伊藤さんにとってエレクトーンとは?
私にとって突然落とされた一種の爆弾みたいなものだったんです。この出会いがなければ全然違う人生だったと思います。性格も変わったんですよ。以前の私は、神経質で心配性で、全部内に込めていた。それが外に発散できるようになって、ラクになったんです。エレクトーンが自分で探求していかなければいけない楽器だったために、自分をさらけ出して、自分を信じることができた。性格も考え方も無理がない自分になれた。自分が引き出された。そんな出会いをくれた楽器です。