千葉祐佳(ちば・ゆか)
自身の初コンサートは、大学生のときに友人と地元の図書館で開いた自主企画コンサート。以来、積極的に演奏の場を広げている若手演奏家・千葉祐佳さん。思いがけない壁を目の前にしてもタフに乗り越え、次につなげる明るさがたくましい!
—エレクトーンとの出合いは?
年上のいとこがエレクトーンをやっていて、勧められて5歳からヤマハ音楽教室のエレクトーンの個人レッスンに通いはじめました。父はスポーツをさせさかったらしいのですが、小学校の部活も金管バンドクラブ、中高は吹奏楽部と“音楽”が大好きだったんです。吹奏楽部ではトロンボーン担当。裏打ちが多く、気持ちよくメロディーを吹けないストレスをエレクトーンで好きなように表現して発散していました。
—地元の岩手県一関時代は、どんなレパートリーを弾いていたのですか?
高校までは市販の曲集を楽しく弾く、というレッスンを続けていました。ファンキー・フォックスや松田昌さん、松本淳一さんといったプレイヤーの皆さんの曲集を弾くのが好きでした。EL-57でずっと我慢していて、高校2年の3月、発売日にSTAGEAを買ってもらいました。それはうれしかった!エレクトーンステージやエレクトーンジャムといったイベントも目白押しで、ジャムに友人と仙台まで行って出演するなど、アンサンブルもするようになりました。エレクトーンは自己完結する楽器だと思っていましたが、アンサンブルやほかの楽器が加わると面白いって!親が寛大で、プレイヤーのコンサートにもたくさん出かけました。
—エレクトーンで音大受験をされました。
地元の先輩が昭和音大に進学し、エレクトーンで音大に行けるということを知りました。受験講習会で海津幸子先生のレッスンを受け、目から鱗が落ちるようで、真剣に親を説得して許してもらいました。大学では、さまざまな演奏の機会をいただきました。入学してすぐの6月に初めてのコンサートだったんですよ。スコアもわからない、クラシックも詳しくない、レジストも作ったことないという状態で、「誰も寝てはならぬ」を荒川静香選手がトリノオリンピックで演技した曲というくらいしか知らなくて、プッチーニが大好きな海津先生に「あなた何言ってんの?」と諭され、「これはやばい」と。「スコアって何?」「シンフォニーってなんぞや?」ってところから、必死で勉強しました。学割を使って毎日のように演奏会に出かけたり、先生方の譜めくりを志願してコンサートに付いていったり、とにかく、現場に足しげく通い、どんどん、面白くなってきました。
—オペラを目指したのは?
大学入学後はピアノコンチェルトを中心に弾いていました。その後、大学院に入ると他学科との交流が多くなり、そのなかでオペラをやりたいと熱望しました。そして、2年になって初めてオペラ演奏の機会を得て、しかも、イタリアでオペラ公演をすることに!言葉もわからないなかで、たいへんなアクシデントにも見舞われましたが、逆に、何があっても明るいイタリア人のスタッフに励まされて無事に演奏できました。あのときの経験があるから、私は何があってもくじけないと自信を持ちました。
—「協奏曲の夕べ」というコンサートにも出演されました。
イタリア公演の後、森下絹代先生にみていただくことになり、海津先生とは異なるアプローチで勉強になりました。2012年11月にチェロの菅野博文先生、バイオリンのジェラルド・ブーレ先生と森下先生、内海源太先生のコンチェルトのコンサートに加えていただき、内海先生と二人でドヴォルザークのチェロ協奏曲のオーケスラパートを弾きました。その1年前に、エレクトーン2台の伴奏で菅野先生と演奏する機会があって、先生がとても気に入ってくださって実現したコンサートでした。それにしても、森下先生の演奏、そして演奏に向かう意気込みが素晴らしくて、それが何より印象に残っています。
—卒業後は、どのような活動をされているのですか?
私の初めてのコンサートは、大学1年の終わりに地元で先輩と一緒におこなった自主コンサートでした。それから地元でのコンサートを大切に続けています。震災で東北は大変ですが、忘れてはいけないと「千の音でつなぐ絆」コンサートにも参加しました。また、大学のブラスアンサンブルの演奏要員をしたり、オペラや合唱の伴奏も。先輩プレイヤーさんの産休などで代わりにお仕事をいただき、そういうチャンスも今後に生かし、演奏はもちろん、コミュニケーション能力を高めて頑張りたいです。待っているだけじゃ仕事は見つかりませんよね。同世代の仲間たちが積極的に動いているのも刺激になっています。最初のイタリア公演に始まり、中国や韓国にも演奏に行く経験を得て、今後は、日本だけではなく海外にも出かけていきたいと思っています。まだまだ、私たちの世代が入っていく隙間はたくさんあると思うので。
—最後に、千葉さんにとってエレクトーンとは?
今の自分を導いてくれた楽器、自分がいちばんやりたい音楽を表現できる楽器です。人と巡り合わせてくれたのもエレクトーン、切っても切れない縁ができました。私にとって、いろいろなところにつないでくれているのがエレクトーンなのです。