神田将(かんだ・ゆき)
一時期は年間最大233公演という激務に“独奏以外はいたしません”とした神田将さん。少し落ち着いた現在は、準備に時間をかけ、アンサンブルの新たな取り組みも始めるなど、やりたかったような活動ができているという。クラシック演奏に一途に取り組む想いをうかがった。
—クラシックをエレクトーンで演奏しようと思われたきっかけは?
EL-90に出会ったことがきっかけです。私は、クラシックの音楽が好きでもともとピアノを弾いていました。でも、シンフォニックな楽曲への憧れがあって、自分で奏でたいとも思っていました。ある時、知り合いの結婚式で演奏することになり、その会場にピアノがなくエレクトーンを弾くことに。事前に触らせてもらおうと、3000円のチケットを買ってEL-90を体験してみました。そこで出会ったEL-90は、レッスンに通っていたころアンサンブルで弾いていたエレクトーンではなく、もっと繊細な表現ができる楽器だと直感しました。この楽器ならば、シンフォニックなもの、管弦楽の作品が演奏できる、と。そして、結婚式で初めて演奏しました。
—演奏されて、いかがでしたか?
実は、その結婚式の演奏を聴いていたある楽器店の方が「あの人何者?」ということで、気に入ってくださって、演奏会をしないかと熱心に誘ってくださって…。あれよあれよ、という感じで弾くようになりました。そのころは音楽家になろうと強く思ったわけではなく、仕事のかたわら気晴らしに弾く感じでしたが、気がついたら演奏の機会が増え、舞台に立っていました(笑)。本格的に演奏活動を始めて24年になります。
—エレクトーンは独学で取り組んでこられたのですね。
当初、エレクトーンのマニュアルを読んで、見よう見まねで十分に洗練されたことはできていなかったのですが、“聴いてくださる人に喜んでもらいたい、だから一生懸命練習する”という想いで取り組み、今もそれは変わっていません。私にとって一番大切なことは周りが自分に何を求めているかを知ることでした。エレクトーンの世界にずっといなかったから、むしろ、エレクトーンの世界に携わってない一般の方たちが感じるエレクトーンの魅力、この楽器を前にして何を与えてほしいと思っているのか、偏見なく感じられたんだと思います。“シンプルなものをわかりやすく聴かせてほしい”というのがベースにあるんです。オーケストラの響きがリアルであるかというより、作曲家が求めるものがあるかです。作者が表現したかった色彩感であったり情感というものが得られる演奏が目標と思って続けています。
—リサイタルを着実に開催されています。
人様に呼ばれて演奏会をするのと、リサイタルは意味が違います。リサイタルは怖いですよ。スポンサーがついているわけでもなく、すべて、チケット代の中で間に合わせていく、ある意味、経営的な感覚も大事です。お客様一人ひとりをお誘いしたり、技術的なことも手配するなど、最初の何回かは地獄以外の何物でもなかったです。少しずつ、大丈夫かなと思うのに10年はかかった。皆様は喜んでくださっているけれども、“私はもっとできるはず。まだまだ。今に見ていろ”という気持ちがあってやめられないんです。一人の力には限界があってなかなか届かない。でも、目標に一歩一歩近づいている感はあります。この歳になっても一歩一歩成長させてくれるのはエレクトーンだから。2026年までは東京文化会館のシリーズは頑張って続けたいと思っています。
—これからを担う若い人たちへ、一言いただけますか?
“エレクトーンは、こんな楽器だとは思っていなかった”とよく言われます。“音楽が聞こえて来るのは初めてだ”と。このような、ネガティブなイメージを塗り替えるようなプレゼンテーションをしなければいけないと思います。私はよく若い人たちのコンサートに出かけるんです。皆さん、そこそこいい演奏をしている、ただ、もっとチャンスを与えられていくには決定的に足りないものがある。“この人を使えば公演が成功する”と言う部分です。一生懸命やっているだけで認められるわけでなく、厳しい世界ですが、それでも若い人は諦めずに、自分から発する試みを続けてほしいなと思うし、私には豊富な経験もあるので応援したいと思います。
—最後に、神田さんにとってエレクトーンとは?
できの悪い女房ですかね。ときどき言うこと聞かないし。いいところ、たくさんあるんですよ。長い間一緒にいると“しっかりしろよ”みたいなお小言を言ってしまうんですけれど、それも仲が良い証拠。100点満点じゃないけれど、一生寄り添っていこうかな、と。幸せで終わりたいと思っています。