橘光一(たちばな・こういち)

新潟県南魚沼市を拠点にさまざまなコンサートで音楽活躍を広げる橘光一さん。相棒のSTAGEAとともに、東北から九州まで愛車を繰って稼働しています。地元の南魚沼市民会館には支援者からSTAGEA ELS-02Xが寄付され、来春にはお披露目コンサートが予定されています。

—電子オルガン科の先駆けである洗足学園短期大学(現・洗足学園音楽大学)の2期生でいらっしゃいます。

高校生の頃、洗足学園に電子オルガン科ができるという話を聞き、夏期講習会で寺島尚彦先生と出会い進路を決めました。入学した当時は、クラシックの音楽大学に電子楽器の専攻ということで、風当たりが相当強かったですが、寺島先生が精力的にさまざまな演奏の機会を作ってくださいました。授業以外でも、先生の演奏会にいつもついて行って、最初はカバン持ち、そのうち演奏もさせてもらえるようになりました。高校まではソロ演奏しかしていなくて、洗足に入ってオーケストラスコアを読むところから始まり、歌の伴奏などを勉強するようになって。楽譜通り弾いていても歌の人は違うことやってくるし、最初はとまどいばかりでしたね。それが、だんだん面白いと思うようになってきました。

—学生時代から、エレクトーンの仕事も始められました。

初めてのエレクトーンシティの仕事は、公園通りにあったころ、海津幸子さんと一緒に歌の伴奏でした。その頃はオペラの伴奏を最大4台でということもあって、スコアを見ながらきっちり弾くという基礎を鍛えられました。上野の松坂屋でデモ演の仕事もしました。ノリのいい曲やジャズをいっぱい弾いたら、お客さんがたくさん集まってくれました。この演奏を見た音楽関係の人にスカウトされ、コーラスグループなどのバックバンドにもずいぶん出演しました。駒場エミナースでの全日本電子楽器教育研究会での演奏や長野パラリンピックでの演奏も楽しかったですね。寺島尚彦先生の遺志を継ぐ“緑陰会”の「さとうきび畑こんさあと」はライフワークですし、洗足の仲間とは今もつながっています。

—そんななか、2012年に新潟県に移住されました。

新潟県の南魚沼市の六日町に引っ越しました。東京から新幹線や高速道路を使えば2時間ちょっとです。3メートルも雪が降る豪雪地帯だけど、お米もお酒も美味しくて、大好きなゴルフや釣り、スキーをするにはもってこい。今となっては第二の故郷です。エレクトーンの仕事は一度リセットして、ゼロから出直しました。それまでどこか中途半端だったことを自覚し、心を入れ替え音楽に真剣に向き合い、猛勉強し必死に練習しました。2016年くらいに演奏を再開した頃、地元の池田記念美術館のイベントに声をかけてもらい、この1回の演奏が波及してさまざまな出会いがありました。地元との接点ができ、支援してくれる友人も増えました。特別支援学校で主に中学生の音楽を指導することになってプロのドラマーが生まれたり、南魚沼市民会館にELS-02Xを寄付してくださる支援者が現れたり。本当にありがたいです。

—南魚沼市を拠点に、自主企画コンサートも始められました。

声がかかれば、自前のELS-02Cをワンボックスカーで運んでどこへでも行きます。SNSを通じて20年ぶりくらいに声をかけてくれた元劇団四季の岡本和子さんと再開して、ここ4年くらいはミュージカルの仕事が増えてきました。南魚沼でもコンサートを企画していますが、その際は、東京から来たプロの皆さんと地元のアマチュアをあえて同じ舞台に上げます。プロを目の当たりにして、刺激を受け本当に真剣になります。南魚沼の音楽文化をもっと盛り上げたいですね。

—最後に、橘さんにとってエレクトーンとは?

それこそ相棒みたいなもんですね。仕事でずっと一緒、車の中でも一緒ですし。いろいろなところに出かけますが、初めて訪れる土地のコンサートでは、「威風堂々」を必ず弾きます。あとは、その土地にゆかりのNHK大河ドラマの主題曲。南魚沼で「天地人」を演奏したときは、本当に涙を流して喜んでもらえました。エレクトーンのシンフォニックサウンドの魅力が伝わるのだと思います。

【2022年11月インタビュー】