西山淑子(にしやま・よしこ)
幼児期からアンサンブル体験を、とピアノ学習者向け『エレピアコンチェルト』を実践する西山淑子さん。日本音楽舞踊会議主催の『エレクトーンオーケストラによるコンチェルトとアリアの夕べ』のコーディネートを担うなど、幅広い活動をされてきました。
—エレクトーンを始めたきっかけをお聞かせください。
ピアノは小学校入学と同時に始めました。小学6年生の頃、家族で懇意にしていた楽器屋さんが「こんな楽器ができたよ。弾いてみない?」と持ってきたのがエレクトーンD-1Bだったんです。買ってもらうとすぐに大好きになって夢中で弾きました。当時、地元の伊東にはエレクトーンの講師がおらず、最初は電車で1時間かけて週に1回三島まで通いました。中学になってからはのちにオペラ伴奏などでお世話になる阿方俊先生に教えていただきました。当時、沼津の楽器店に月2回講師研修のためにいらしていたのです。自宅まで出張レッスンに来てくださり、レッスンを終えると夕食を一緒に召し上がっていただいて。その頃はラテン音楽が流行していて、楽しかったですねー。ピアノの先生はクラシック至上主義で音大を目指す厳しい指導をされていたので、「ピアノ科は無理だから、あなたは作曲科へ行きなさい!」なんて激怒されて。音大の作曲科を目指すことになりました。
—音大の作曲科も大変な狭き門です。
ちょうど中学3年の終わりに阿方先生の海外赴任が決まり、東京の江川真澄先生を紹介してくださったんです。母と一緒に江川先生にご挨拶に伺ったら「武蔵野音大の作曲科を目指すなら」とその場で和声の先生に電話してくれて、その足で先生をお尋ねして高校に入学したら教えていただくことになったんです。ピアノの先生もご紹介いただいて、高校時代は毎週日曜日に横浜でピアノ、東京で和声を学びました。私は和声が面白くて、宿題を徹夜でやっても完成しないと、学校に行かずに続けたり、音大受験に関係ない授業はさぼって保健室で寝ていたり、とんでもない問題児でしたね。音大に受かったので、卒業させてもらえたのでしょう。
—上京されてから、作曲とエレクトーンの勉強を両立していくのですね。
大学の同期は4人でしたが、私以外は東京藝大を目指していたような人たちで、知識の深さが違うんです。カルチャーショックを受けましたね。先生の言われるまま深く考えずに勉強して大学院の修了作品は「ティンパニと(パイプ)オルガンと金管五重奏」。必死で書き上げた思い出の作品です。大学の勉強よりエレクトーンが弾きたくて、並行して江川先生のところに通い、在学中にグレードを取得しました。大学院修了後は、1年間でしたが、伊東に帰ってヤマハ音楽教室で幼児科のグループレッスンをしていたのですよ。東京の尚美学園から講師をしないかという声をかけていただき、再び上京。その当時、富岡ヤスヤさん、鷹野雅史さん、生貝隆さんが在校していました。その後川越の尚美短期大学に異動になりました。
—大学ではどのような授業を持たれたのですか?
シンセサイザーを使ったキーボードハーモニークラスで、ソルフェージュのような授業です。あるときアンサンブルをしようと思って、モーツァルトのホルン協奏曲を一人1パートずつ弾いてもらいました。ところが、ピアノ科のクラスは合わないんです。みんな下を向いて指揮を見ず、勝手なテンポで弾いていてアンサンブルにならない。吹奏楽をやってきた管弦打楽器のクラスでは、キーボードはほとんどが初心者ですがパッと合うんです。指揮を見て息を合わせて演奏するのが当たり前。この差に衝撃を受けました。ピアノの学習者もアンサンブルをもっと学ばなければ、と。当時から自宅で子どもたちにピアノを教えていましたので、自分の教室の子どもたちには、ちゃんとブレスができてアインザッツを受け取れるようになってほしいと思ったんです。それができていないと、ソロで弾いても結局音楽的にならないですからね。それで、伴奏にエレクトーンを使ったら絶対おもしろい、とエレクトーンの伴奏でピアノのレパートリーを弾く『エレピアコンチェルト』を行うきっかけになりました。
—オペラやミュージカルなど、エレクトーンを通じた音楽活動も積極的にされてきました。
1985年の頃、大学でばったり阿方先生に再会して。当時、阿方先生はエレクトーンによるオペラ伴奏の普及を熱心にされていて、「演奏しないか」と誘われました。私も結婚して専任から非常勤になり、自由な時間もあったのでエレクトーンシティの活動にかかわらせていただきました。そこから、エレクトーンのための新作を集めた『コンポジションズ』を主催する日本音楽舞踊会議に参加して、実行委員を務めました。現在も『エレクトーンオーケストラによるコンチェルトとアリアの夕べ』を担当したり、2003年に立ち上がった『伊東ミュージカル劇団』の新作ミュージカルの作曲と演奏も行いました。そして、娘が生まれたことで出会った金子みすゞの詩に曲を付け、コンサートも行っていますが、この伴奏もエレクトーンを使っています。尚美短大のあと昭和音楽大学では電子オルガンのレッスンと鍵盤ソルフェージュを担当し2020年3月に定年退職。現在は自宅レッスンを中心に、相変わらずエレピアコンチェルトの編曲を発表会のたびに増やしています。ピアノの先生から和声学び直し講座をしてほしいという要望があって、2020年からZoomのオンラインレッスンも始めました。そうしたら、コロナ禍に。おかげで子どものレッスンのZoomへの切り替えもスムーズでした。こうしてみると、人生のいろいろなタイミングで出会った方や、してきたことがすべてつながって、私の糧になってきたのだなと思いますね。
—最後に、西山さんにとってエレクトーンとはなんでしょう?
なくてはならない伴侶、という感じかな。ピアノのレッスンでも私はエレクトーンに座っていることが多いんです。幼児のレッスンではエレクトーンで伴奏してあげたり、ソルフェージュでエレクトーンを弾いたり。いつでもそばにいてほしい存在です。
【2023年7月インタビュー】