小倉里恵(おぐら・りえ)

コロナ禍を挟んだこの10年。クラシック音楽中心だった小倉里恵さんの演奏活動は、幅を広げ、大きく世界に羽ばたいています。そのパワーの源はなんでしょう?

—ご出身の宮崎での「第九でえびのを元気に」公演を長く続けていらっしゃいます。

昨年13回目を行って、コロナで1回休んだので、立ち上げから数えると14年になりました。この「えびのの第九」は、もともと母が立ち上げた企画です。2011年2月、東日本大震災の直前に両親が石巻で市民による第九公演を観て深く感動し、「えびのでも実現したい」という思いから始まりました。当時のえびの市は、決して音楽活動が盛んな地域ではありませんでした。母が地域の方々へ声をかけ、一人ひとりとのご縁をつなぎながら準備を進め、多くの皆さんの力でこの公演が実現しました。現在は、毎年秋頃から週末ごとに帰省し、本番に向けた準備を進めています。第九だけでなくオペラのハイライトも上演しているため、私は演奏に加え、台本の執筆、演出、衣装や照明のプランニング、小道具の準備まで、舞台づくり全体に携わっています。続けることの大切さを改めて実感したのは、2017年に新国立劇場で上演されたワーグナー《ジークフリート》のハイライト版を、えびので特別上演したときです。難解な作品にもかかわらず、多くのお客様が物語に引き込まれ、最後には涙を流してスタンディングオベーションを送ってくださいました。驚きましたし感動しました。

—以前のインタビューで、東京オリンピックの開会式に宙吊りパフォーマンスしたい、という夢も語ってくれました。

本気で実現したいと思い、実際に宙吊りのレッスンにも通いましたが、稽古中に指の関節を痛めてしまい、その夢は諦めました。ただ、その後、東京オリンピック聖火リレー関連のイベントで各地の式典に出演する機会をいただき、エレクトーンで演奏させていただきました。出身地・宮崎での式典にも出演し、県を代表するアスリートや宮崎出身のオカリナちゃんもいて、楽しいイベントでした。“言ったら叶う”というのは本当だなと思いました。

—叶えたいことは言うべきだと。

そうですね。口にしたからこそいただけたご縁やチャンスを、これまで何度も経験してきました。ちょうどコロナ禍が始まった頃、私、タイドラマにハマってしまって。「いつかタイで音楽活動がしたい」という新しい目標ができました。最初は何から始めればいいのかわからず、大使館や領事館へ問い合わせたり、多くの方に相談したりしながら情報を集めました。その中で、「タイの曲をやる日本人よりも、日本らしさを生かしたアニソンとか演奏する日本人のほうが現地に紹介しやすい」というアドバイスをいただきました。そこから約2週間で和服を着てアニソンを演奏する「TEMPURA GIRLS」を立ち上げ、活動をスタートしました。そこからひと月後にニューヨークの「JAPAN Fes」への出演が決まり、その実績をきっかけに、2025年、2026年と、目標としていた「Japan Expo Thailand」への出演、さらにはインドネシアのイベントにも出演させていただきました。海外で活動を続ける中で、日本人ミュージシャンだからこそ発信できる音楽や文化には、大きな可能性があると感じています。これからも日本と海外を音楽でつなぐ架け橋となれるよう、新しい挑戦を続けていきたいと思っています。

—ポップスにもフィールドを広げたきっかけを教えてください。

クラシックを中心に活動していた頃、今は亡き音楽ライターの熊谷美広さんに「まめ妓(ポップス活動における芸名)はポップスの方が水が合うと思うんだよね」と声をかけていただき、熊さん主催のセッションライブへ参加するようになりました。コードもグルーヴも何にも知らない、当時30歳の私を周りの手練れミュージシャンが大いに叱ってくださって。3年くらいはライブを終えるたびに家の襖に向かって体育座りで5時間は泣いていましたが、今となっては本当に貴重な経験だったなと。先輩ミュージシャンにことごとく「教えてください」と声をかけて、CASIOPEA 3rdのキーボディストだった大髙清美さんに出会い、ご指導いただきました。また、クラシックピアノを本格的に学び直したのは約8年前です。ヤマハのPlay on Passionで生徒さん向けのコンサートに出演する機会をいただいたことがきっかけでした。当初はMC中心に、簡単なピアノ演奏をする予定でしたが、もっと本格的なピアノの演奏もたくさん聴きたいというお声があり、このままではだめだと一念発起してレッスンに通い、徹底的に鍛えていただくことに。演奏活動の中で、そういう高い壁がしばしば私を襲うのですが、現場で皆さんに迷惑をかけまいと必死で乗り越えて、今があります。

—最近は、ヤマハの楽器を愛奏するアーティストによるビッグバンド Z EXPRESS BIG BAND のピアニストとして参加することも。

これまで本格的な“どジャズ”をやってきていませんので、がんばっているところです。ポップスとは違うアプローチでのアドリブが怖いです。なんとかワンコーラス乗り切った後に「ワンモア!」とか言われた時の絶望……。ポップスでのアプローチを駆使したり、肘とか使っちゃったりして、「えーい!」と毎回必死で乗り切っています。

—エレクトーンに求めるものも変わってきていますか?

フレキシブルに考えられているかもしれません。学生時代、「もしエレクトーンにベースがなかったらどう演奏するか」というレポートの課題があったのですが、当時の私は「絶対無理!」としか考えられませんでした。でも今は、制約があるからこそ生まれる表現もあると思うし、セッティングが楽だな、くらいに考えられる。さまざまなジャンルを経験したことで、楽器や音色を柔軟に捉えられるようになったことは、自分にとって大きな変化だと思います。2025年にKAATで上演した舞台作品『近松心中物語』では、シンセの指定でしたが、とっさの音色作りにすぐ対応できるカジュアル(ELC-02)を一式持っていきました。作曲家と話し合いながらその場でガンガン音を作れるので、役者陣もですけど、ミュージシャンも「これどうなっているの?」って、すごく興味持ってくださいました。TEMPURA GIRLSでも、サウンドづくりや和楽器の音色などに、エレクトーンの機能を積極的に活用しています。今後もいろいろな国で活動していきたいですが、できれば、海外でのTEMPURA GIRLSの活動にエレクトーン自体を取り入れられたら面白いと思うんです。いずれ新しいエレクトーンを楽器保管用にタイで借りている倉庫に常備したいですね。タイの人にも楽しんでもらえると思うんです!

【2026年6月インタビュー】