夢に向かい、夢を実現するまで

 
子どもはみんな作曲家。自由に作ったその曲が子どもにとっての宝もの。

当時の夢を、今の私が実現している。それはきっと、エレクトーンをやっていたから。

—その頃は、どんな夢をお持ちでしたか。
テレビドラマとか映画とかを見ながら、クレジットに出る「音楽担当の名前」を見るのが好きでした。ドラマのエンドロールのクレジットに自分の名前が出たらいいなってずっと思っていました。それはもう中学時代からですね。
—連続テレビ小説「純と愛」がまさにその夢のカタチですよね。
そうですね。映像を見ながらとか、台本の内容を読み解きながら、それに合う音楽を考えるのはとても楽しくて、やりがいも感じるし、自分の名前が出てくると「あぁ、このチームの一員になれたんだな」と、とても嬉しい気持ちになります。
—話は少し逸れますが、学生時代の得意科目は何でしたか。
国語ですね。漢字を覚えるのとか。笑
それにお話を読むのもとても好きでしたね。文脈の中にある気持ちを読み解くのが楽しかった。
—例えば、国語と作曲はどこかで結びついたりしていたのでしょうか。
台本を読むのが好きなんですね。「あぁ、この主人公は今、こう言いながら、心の中でこう考えているんだろうな」って、自分なりに読み解く。こうでなければいけない、という発想ではなく、人が持つ微妙な気持ちのニュアンスを曲にしていく。先ほどお話した、美味しかった食事についてエレクトーンで曲を思うがままに作ってみるという感覚に近い気がします。
—その後、東京藝術大学に入学するわけですが、はじめてプロとしてお仕事したのはどのような内容だったんですか。
NHK教育の「さわやか3組」という道徳番組の劇伴ですね。それとヤマハさんからの依頼でソウルオリンピックのシンクロナイズドスイミングの楽曲もやらせていただきました。
—スポーツへの楽曲提供はどうでしたか。
ひたすらイメージを伺って、取っ掛かりのあるものを拾っていく。練習にお邪魔して、皆さんがどういう環境で競技しているのかを、自分なりにリサーチしたり、どういう音を求めいているのかをひたすら考えて、曲を構築していく。
自分の曲に合わせて振付が決まったり、演技の展開・構成を合わせてくれる。逆に曲もあれが足りない、これが足りないとこちらも作り直します。自分の手をはなれて、演者や総合的な観点から、いろんな人でひとつの曲を作り上げていく。これは、映画でも舞台でもそうですが、一人の想いではなく、いろんな人の思惑を含め、自分が納得するものを作らなければいけない。人との共同作業やコミュニケーションの力も学んでいった気がします。

音楽を心から楽しみながら、次の夢を追いかけている。

—荻野さんは共同的なものを大事にしているということでしょうか。
大事にしたいと思いますね。譲れないことはあるにしても、そうやって化学反応的なものが起きて、自分が思っていないものが、意外に良かったなって思うこともあったり、その反応を楽しんでいますね。最初からそこを拒絶してしまうと、面白いものを発見できなくなってしまうから。
—今、改めて考えてみると、エレクトーンをやっていて良かったと感じることはありますか。
本当にいろんなジャンルの音楽をエレクトーンで弾きました。練習曲っていうものがなかったので、それこそ映画音楽や、誰もが耳馴染みのある曲を弾いて、いろんな曲に慣れ親しんだ。クラシック以外から音楽の可能性をたくさん学べました。それが今、この世界に抵抗なく入れ、いろんな仕事に関われている理由だと思います。
—荻野さんの曲は「マジックアワー」や「素敵な金縛り」などの映画音楽、「純と愛」などのドラマ音楽、「管鍵“楽団?!」の音楽と、たくさんのバリエーションがあり、音楽そのものの豊かさを感じます。
ありがとうございます。既成の曲に自分のイマジネーションを足していける、とくに「管鍵“楽団?!」はそうなんですが、その既成の曲をアレンジして自分らしく面白くして、みんなが楽しめる音楽を作っていく、その発想も、エレクトーンをやっていたからかもしれません。
—これから荻野さんが音楽家、作曲家として、やってみたいとことを教えてください。
やっぱり私は曲を作ることが一番好きなので、もっといろんな今の自分が想像もしていないような曲を作っていきたいですし、お芝居とかに曲をつけるのがとても好きなので、目指すはミュージカル。歌もあり踊りもあり、芝居もありの、たくさんの人が出て、音楽がそこにある、そんな世界を作ってみたいですね。そして、自分が作ったミュージカルで世界をまわってみたい、というのが将来できたらいいなぁと思うことです。

荻野 清子さんから皆さまへメッセージ

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