仕事の歴史

1900年~1935年

[明治~戦前]国産最初のパイプオルガン建造への道のり

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「聖テモテ教会」

記録によれば、明治30年代(1900年頃)に、ヤマハの前身である日本楽器製造は早くもパイプオルガンの構造研究に着手していたとされています。当初は 竹製のパイプを試作するところから始め、自動オルガンなども製作したようです。また、当時国内に設置されていた数少ないパイプオルガンの調律、補修を請負 い、熱心に構造研究をしていたと伝えられています。

大正時代に入ると、英国留学から帰国した徳川頼貞侯爵が私財を投じて南葵(なんき)音楽堂を建立し、そこに日本最初のコンサートオルガンが設置されました。この英国製オルガンとの出会いがその後のヤマハの方向を決定付けることになります。

当時国内ではオルガンを組み立てる技術者がおらず、日本楽器でパイプオルガン研究を独自に行っていた一人の技師が、保守管理技術習得を期待されて、英国人 技師の助手として招聘されました。またとないチャンスを得て、今までの研究をベースにオルガン建造技術を学んだその技師は、南葵音楽堂パイプオルガンの保 守、調律を行うかたわら研究を進め、ついに国産最初のパイプオルガン建造に成功します。
この成功は当時各界から多くの賛辞をあつめ、たいへんな話題となりましたが、その礎ともいえる南葵音楽堂を建立した頼貞候自身が、なにより喜んだのではないでしょうか。

[主な出来事]

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東京音楽学校パイプオルガン参考書
1900年頃  パイプオルガン研究に着手。
1920年   南葵音楽堂オルガン設置に参加。
1928年   関東大震災で損壊した南葵音楽堂から、旧東京音楽学校奏楽堂へパイプオルガンが寄贈される。解体、修復、復元の全ての工程を、日本楽器技術者が担当。
1929年   東京麹町東郷坂独逸教会に、ワルカー社製オルガン設置。
1932年   東京本郷の聖テモテ教会に、日本楽器技師達による、我が国最初の国産パイプオルガンを建造。(2段鍵盤8ストップ)
1934年   東京音楽学校にパイプオルガン建造。(2段鍵盤8ストップ)
1935年   東京公教神学校にパイプオルガン建造。(2段鍵盤5ストップ)

この他、東京無線放送局、東郷坂独逸教会、横浜クリストチャーチ、本郷中央会堂などの見積書、設計図面などが多数残されています。



1945年~1965年

[敗戦~60年代]技術の継承と外国製オルガンの輸入開始

第二次大戦で、弊社も全ての工場を焼失するなど大きな痛手を受け、パイプオルガン建造も戦後の混乱期にあっては要望されることもなく、惜しくも継続されませんでした。しかし、南葵音楽堂以降のオルガン建造に携わった技術者達が、パイプオルガンについての技術を継承し、東京玉川学園や同志社女子大学栄光館などのオルガンの保守や調律・修理に従事しました。そしてそれらの実績を基盤に、海外ビルダーと提携してオルガンの輸入を手がけるようになりました。

[主な出来事]

1958年  東京芸術大学/ヴァルカー社製 11ストップ設置
1959年  武蔵野音楽大学/ヴァルカー社製 11ストップ設置
1960年  上野学園/ヴァルカー社製 7ストップ設置
1961年  京都女子大学/ヴァルカー社製 9ストップ設置
1961年  武蔵野音大ベートーベンホールに、戦後初の本格的コンサートオルガン設置。
     クライス社製 55ストップ。オルガンケースは日本楽器が製作。
1965年  立正佼成会大聖堂(中野)/ヴァルカー社製 25ストップ設置
1966年  東京芸術大学オルガン教室/クライス社製 30ストップ設置(ケースは日本楽器製)
1966年  北海道大学クラーク会館/クライス社製 24ストップ設置(ケースは日本楽器製)



1966年~1979年

[60~70年代]竹製パイプオルガンの建造

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「竹オルガンを聴くカラヤン」
ヤマハニュース123号より
60年代半ば、新たな試みも始まっていました。東京銀座ソニービルに竹を使用したパイプオルガンを設置する構想が持ち上がり、日本楽器技術陣は、和楽器製作の大家、大岡紫水氏の協力を得て建造に取り掛かります。
まず、日本中から様々な大きさの真竹、孟宗竹が集められました。割れやすい竹素材での大型のパイプ製作には苦労が多かったようで、油で煮たりするなど和楽器の技術が生かされ、竹製パイプ451本を含む、パイプ数923本、11ストップのオルガンが完成しました。こうした実績を評価され、1974年、フィリピンマニラ市郊外にある、世界的に有名な竹製パイプオルガンの修復作業に参加することになります。
一方、海外からのオルガン輸入も軌道に乗り、本格的なコンサートオルガン設置が続きます。

[主な出来事]

1966年  東京銀座ソニービルに、竹製パイプオルガン建造。
1970年  大阪万博キリスト教館に、ドイツクライス社とパイプオルガンを協同製作。竹製フルートストップと外装を担当。(万博終了後、武蔵野音大モーツアルトホールへ移設)
1972年  愛知県立芸術大学奏楽堂/クライス社製 37ストップ設置(ケースは日本楽器製)
1974年  フィリピンマニラ市近郊のLasPinasにある1824年製作の竹オルガンを、クライス社と共に修復。
竹製パイプは全て浜松の日本楽器本社工場で修復。失われたパイプも復元された。
1974年  神奈川県民ホールに自治体として最初のパイプオルガン設置。クライス社製 30ストップ。
1974年  上野学園/クライス社製 36ストップ設置(ケースは日本楽器製)
1978年  習志野文化ホール/ベッケラート社製 49ストップ



1980年~

80年代~現在

1980年代に入り、弊社は欧米のパイプオルガンの輸入設置と、保守管理を精力的に展開しました。
その間、自治体のホールとして日本最初の音楽専用ホールである宝塚市ベガホール(1981年)、ザ・シンフォニーホール(1982年)、サントリーホール(1986年)の誕生は、わが国のコンサートホールの歴史に新たなページを刻むことになりました。弊社はそれらの記念碑的なホールへのパイプオルガンの設置をはじめ、現在までにおよそ140台に上るパイプオルガンを国内のホール、学校、教会などに設置しました。
1995年には、パイプオルガンに内蔵される電子記憶装置(以後、ヤマハメモリーシステム)の自社開発に成功し、コンサートオルガンの信頼性を一気に高めました。
現在、パイプオルガンの新規導入と保守管理に加え、設置から約20年が経過したパイプオルガンのオーバーホールや、新型ヤマハメモリーシステムへの更新を展開しています。また、技術者の育成にも積極的に努め、現在では、海外のビルダーのもとで研鑚した技術者と専任の電気技師が在籍し、業務にあたっています。