YBS-82 Custom バリトンサクソフォン誕生 - 田中靖人×竹村直哉
ヤマハカスタムバリトンサクソフォン誕生。開発に関わったアーティストのスペシャルインタビュー
長く発売が待たれていたヤマハ・バリトンサクソフォンのカスタムモデルが、2020年12月に発売された。
併せて従来の2モデルもモデルチェンジし、一足先に10 月に発売された。開発に関わったクラシックとジャズ・ポップス界を代表するお二人に聞いた。
[同席]内海靖久
(ヤマハ株式会社B&O事業部B&O開発部管楽器開発部グループ木管楽器チーム主幹)
INTERVIEWEES
田中靖人(たなか・やすと)
東京佼成ウインドオーケストラのコンサートマスターを務め、トルヴェールクヮルテットでも活躍。昭和音楽大学客員教授、 国立音楽大学、愛知県立芸術大学各講師。ソロCD
も多数リリースしている。
竹村直哉(たけむら・なおや)
バリトンサックスを軸としたマルチリードプレイヤーとして、スタジオやミュージカル、コンサート、ツアーサポートでの活動の他、数多くのビッグバンドやホーンセクションでのライブコンサートなどに参加。
野太さはありつつ、軽やかに自由に歌える!(田中)
操作性が良く、カラッとして伸びやかな音…(竹村)
新製品をご紹介いただく前に、お二人のバリトンサクソフォンへの思い入れが強くなった経緯をお話いただけますか。
田中: バリトンサクソフォンは音大の吹奏楽の授業で初めて吹きました。同じサクソフォンでも吹き心地がだいぶ違うのと、低音パートからはオーケストラ全体が見渡せて、よく知った曲の景色が違って見えることに驚きました。そこからバリトンにはまり、カルテットでもバリトンを志願するようになりました。須川(展也)さんや彦坂(眞一郎)さんとカルテットを始めたのもそれがきっかけで、現在のトルヴェール・クヮルテットに至っています。
竹村: 僕は早稲田のハイソサエティ・オーケストラ時代にアルトサックスからバリトンに変わりました。よく聴いていたブラスファンクのような音楽ではバリトンサックスが肝だと感じ、腰を据えて取り組んでみようと思ったんです。性に合っていたのか、日に日にその魅力に取りつかれて今に至っています。その後プロになりたいと思い、レッスンを受け始めた(故)宮本大路さんの存在は僕にとって非常に大きかったです。バリトンサックスの「イロハ」だけでなく音楽やサウンドの作り方なども教わり、どんどんこの楽器にのめり込みました。今はバリトンをメインにしつつ、アルトやテナー、フルートやクラリネットも吹きますが、自分の軸はバリトンサックスにあることを肝に銘じています。
■バリトンサックスの魅力と難しさ
具体的にバリトンサクソフォンの魅力は何ですか。
田中: 倍音を多く含んだ音で、ザックリとした感じや荒々しい感じを出せる一方、暖かい音も出せるなど、サクソフォンの中でも特異なキャラクターを持つ楽器です。ソロで吹くときにはチェロのようにテンションの高い高音域も出せるし、繊細な音も出せる。低音で破壊的な音も出せる。いろんなキャラクターに化けることができます。カルテットの中では、ソプラノやアルトは低音パートを受け持つことができませんが、バリトンはどんな役割もこなせる。その意味ではとても「おいしい」パートです。
竹村: 僕はサックスの中で最も自由度の高い楽器だと思っています。ビッグバンドではアルト、テナー各2本に次ぐ5番目のサックス・ポジションというだけでなく、バストロンボーンやベース、ドラムと一緒にグルーヴ感を牽引する要にもなるし、トロンボーンと一緒にハーモニーを作ったり、あるときは1本で独自の動きをしたりと、いろんな立ち位置を取れる。音域も非常に広く、スモーキーでハスキーな低音から、ふくよかで伸びやかな中高音域も出せる。男性の声に一番近いのはバリトンサックスじゃないのかなと思います。
逆に、バリトンサクソフォンならではの難しさは?
田中: 音が太いので全体を包み込むような響きは作りやすいのですが、音色でモノを言いたいときに、アルトだとスッと行けるところを、少し探りながら音を作っていかなければいけない。そのため、音をフォーカスさせることに時間をかけるようにしています。これはR・シュトラウスの《家庭交響曲》やガーシュインの《パリのアメリカ人》のように、管弦楽の中で吹く時にとても大事ですね。オーケストラの木管セクションの響きは柔らかく聞こえても、それぞれの音はフォーカスされている。だからこそオケの中で各音色がきちんと聞こえてくる。サクソフォンはどうしても音量が出すぎてしまいがちなので、よりフォーカスされた音色が求められます。バリトンサクソフォンでは特に神経を使います。
竹村: バリトンは音の的が広いと言うか、高音域と低音域でサウンドが著しく変化してしまうことがあるので、トレーニングするときに僕は、上から下まで同じ音色で整えることをまず意識します。的が広いということは自由度が高いということでもありますが、その中でコクのある、旨味のある音を出すポイントを狙うように心がけています。
長年要望が高かったバリトンサクソフォンのカスタムモデルが誕生。
■音をフォーカスしやすく、自由度の高い楽器に……
そうしたお二人の様々な思いが、今度完成したヤマハのバリトンサクソフォン初のカスタムモデル「YBS-82」にも反映されていると思いますが、実際にお吹きになった感想は?
田中: これまでのYBS-62IIに比べて、とても軽やかに演奏できる楽器です。良い意味での「野太さ」を残しつつも、先ほど言ったようなフォーカスされた音が出しやすくなっている。
「軽やか」というのは機動性?それとも音色?
田中: 吹奏感、機動性、どちらも軽やかになっていて、それは結果的に音にも現れます。暴れる感じにならず、自由度は高いまま音をまとめやすい。コントロールがしやすくなっていますね。
竹村: YBS-82には、良い意味での「遊び」がありますね。以前の62IIにはその感覚が薄く、それを「硬い」と感じて、ややコントロールしづらかったのかなと。82には「遊び」があるため、トーンを変えずに音程やニュアンスを変化させやすい。田中さんがおっしゃったように、62IIにあった野太さは持ちつつも、操作性がよく、音をフォーカスしやすくなっていると思います。
開発にあたってお二人が求めたことは?
竹村: 僕はずっと「ドライなサウンド」をリクエストし続け、結果としてカラッとして伸びやかなトーンが実現したと思います。
田中: 僕はソリスティックな楽器を期待したので、いろんな音楽のスタイルに対応できる音色の変化が出せることを望みました。その点、かなり自由に歌える楽器が出来上がったと思います。
ちなみに、竹村さんは以前はどんな楽器を使われていたのですか。
竹村: 長くマーク6を使っていましたけど、マーク6のような楽器にしたいとは思わなかった。マーク6が1950〜60年代に使われていた当時はヴィンテージではなく、新品の状態で使われていたわけです。YBS-82もジャズ・ポピュラーの世界で同じような存在感を出せる楽器になれれば、という思いがありました。「ドライなサウンド」を求めたのもそのためです。モコモコとした「ウェット」な音じゃなく、ハキハキしたサウンドですね。音と音のつながりは緊密でありながら、全体としてカラッとして広がりのある感じです。
ベルをやや短くし、最低音の音程を改善。
パーツを軽量化して音抜けの良い伸びやかな音を実現……。
■ベルはゼロベースで新設計
ここからはヤマハの開発担当である内海さんに加わっていただきます。YBS-82の開発にはどのくらいの期間を要したのですか。
内海: 話が出たのは今から15年前、2005年くらいのことでした。当初は基礎研究のような形で始まり、途中、別のモデルに注力していた時期もあり、本腰を入れ始めたのが4年くらい前です。YBS-62IIを吹かれていた田中さんと宮本大路さんにご意見をいただきながら進めました。残念ながら2016年10月に宮本さんが亡くなられてしまい、その後を竹村さんに継いでいただきました。
旧モデルからドラスティックに変えられた?
内海: はい。最初はなるべく62IIを生かす形で考えていましたが、それでは駄目なことが分かり、思い切ってベルの設計変更からやり直しました。62IIのベルは20年以上前から継承されており、設計に関わった人がもう社内にいなかったので、完全にゼロベースで作り直しました。
吹いてみて、ベルの設計変更の影響は大きいと感じますか?
田中: 大きいですね。それまでのヤマハのバリトンは、最低音のCが若干低めになるように作られていました。この音は吹き手が操作できないので、アンサンブルでは他のみんなに合わせてもらわないといけない。試作段階で、ベルを短くするとその音程が改善されるというデータが出ていたので、一番最初にお願いしたのがそこでした。ベルが新しくなって、音程的なストレスがなくなりました。
全長も短いのですか?
内海: 最低音の音程を上げるには、全体の管長を短くする以外に選択肢がほとんどなく、それに合わせてすべての音孔の位置を変更しました。
竹村: 僕はネック形状にもこだわり、ボア、テーパー、長さなどいろんなものを作っていただいて先ほどお話ししたような音が出るものを目指しました。他には、余計な抵抗をなくして、音抜けがよく、響きを伸びやかにするために様々なパーツを軽量化しています。サムレストやサムフックの台座を軽量化したり、ペグ(エンドピン)の取り付け部分を小型化したり。それによって、低音のサブトーンで音像がぼやけるようなこともなく、クリアに抜けるようになりました。それと、構えたときの楽器の重心を改善するために、ストラップの取り付け位置を従来よりも少し上に変更しています。
内海: キイの形状もいろいろ試しました。ネジはすべてカスタムサクソフォンと同じものを使っています。従来のネジと比べるとやはり鳴りが違います。
田中: 音で決定的だったのは、管体の材質をカスタム材にしたことですね。
内海: はい。アルトやテナーのカスタムと同じ素材で、従来の62IIに使っていた真鍮とは成分の比率などが違います。
田中: 倍音の変化を感じながら行なう音色の操作が非常にやりやすくなった。
内海: ベルは1枚取りで、これも他のカスタムと共通の作り方です。
開発を担当したヤマハの内海靖久さんと。ヤマハ新バリトンサクソフォンのYBS-480とYBS-62は10月26日発売、カスタムYBS-82は12月19日発売。
モデルチェンジされた62、480の2モデルにもカスタム82のノウハウを投入。
旧モデルよりもさらに吹きやすいものに……。
■登るルートは違っても、めざす頂きは同じ
YBS-62IIとYBS-41IIもモデルチェンジし、YBS-62とYBS-480として生まれ変わりました。
内海: どちらもYBS-82に生かされた改良点を盛り込んでいます。ベルを含めた管体の設計やキイのメカニズムはすべて同じですので、旧モデルよりもずっと吹きやすくなっています。
田中: それぞれの個性もしっかりと出ていますね。YBS-62は、82のノウハウが加わって、いわば62「III」とも言える進化した楽器になっています。YBS-480は本当に楽に音が出せるエントリーモデルです。
竹村: どちらも82の設計を採用し、最低音の音程が改善されただけでも大きな進歩ですよね。その上で480は82のドライで明るい部分がより際立つ感じ、62は逆に重厚な感じが面に出たと感じました。82はそのどちらも併せ持っています。
YBS-62II、YBS-41IIをフルモデルチェンジし、それぞれYBS-62、YBS-480として新発売
田中さんは主にクラシック、竹村さんはジャズ/ポップスと異なるジャンルで活動されていますが、開発の中で真逆の意見が出るようなことはなかったのでしょうか。
内海: 正直、異なるジャンルで活躍するお二方を迎えて「一つの楽器を作ることは出来るだろうか?」と思ったこともありました。でも結果として、お二人に納得頂けるものが出来たことで、オールジャンルに対応できる楽器になったと自負しています。
田中: 演奏スタイルやタイプは違っても、竹村さんとお話していると、向かうところは同じだと感じた。きっと良いものができるという確信はありましたね。
竹村: 登るルートは違えど、めざす山頂は同じ、という感じでしたね。
カスタム82は、プロレベルでないと吹きこなせないような楽器ですか?
竹村: いえ、初心者が使ったとしても、上達の助けにこそなれ、妨げになることは一切ありません。キイレイアウトの変更や重心の調整などによって、身体が小さかったり、手が小さい人にとってもとても扱いやすい楽器だと思います。
田中: カスタムだからと言って吹きづらいことは全くなく、むしろ吹きやすいと感じるはずですし、一方で、どんなプロが使っても十分なクオリティとキャパシティを持っています。長い年月をかけて完成した素晴らしい楽器ですので、ぜひ初心者からプロまで多くの方に試してみていただきたいものですね。
取材&構成:今泉晃一(音楽ライター)/撮影:岡崎正人
この対談は2020年11月に管楽器の専門月刊誌「PIPERS」に掲載されたものです。
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製品情報
YBS-82
⾳⾊にこだわりを求める奏者向けの最上位カスタムモデル。バリトンサクソフォンらしい低音の太い音色に加え、中高音域で伸びのある煌びやかな音色を実現しました。低音部のパートを受け持つアンサンブル用の楽器の枠を超え、多彩な音色によりソリスティックな表現まで可能になりました。