ロマン派の名曲(2)

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ロマン派の名曲(2)

今回はロマン派の名曲、第2回。シューマン、ショパン、リストの名曲をご紹介したいと思います。この3人は、シューマンとショパンが1810年生まれ、リストが1811年生まれです。同じ世代に属する3人はいずれもピアノの名手として知られ(シューマンは指を傷めたためにピアニストとしては大成できませんでしたが)、作曲家としても名声を博しました。ほとんどピアノ音楽しか書かなかったショパンとは異なり、シューマンとリストは様々なジャンルの音楽を作曲するだけでなく、指揮者としての活動も行っています。最も長生きしたリストはヨーロッパ随一のピアニストとして華々しい活動を行うだけでなく、「交響詩」というジャンルを新たに生み出したり、晩年に20世紀音楽を予見したかのような実験的作品を作るなど、多彩な側面をもつ音楽家でした。

ロベルト・シューマン

  • シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54

シューマンと妻クララ
古今のピアノ協奏曲のなかでも、最も人気の高い作品の一つです。3つの楽章からなっていますが、まず1841年に第1楽章だけが「ピアノと管弦楽のための幻想曲」として単独で書かれました(この年はシューマンにとって「管弦楽の年」と言われており、他にも交響曲第1番「春」などが作曲されています)。第2、3楽章は1845年になってから作曲され、「幻想曲」を第1楽章とした3楽章の協奏曲が生まれたのです。翌年の初演はライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会にて、シューマンの妻で著名なピアニストだったクラーラの独奏で行われています。

この作品の第1楽章はたいへん印象的な出だしを持っています。管弦楽による一発のトゥッティの後、おもむろにピアノ独奏が弾き始めるという開始法は当時としては非常に珍しいものでしたが、聴き手を一気に引き付けることのできるものでした(後にグリーグが自作のピアノ協奏曲で同様な方法を採用しています)。その後に現れるオーボエを中心とした主題では哀しみを湛えた美しい旋律が流れていきますが、この主題は長調に移されて第2主題の材料にもなっています。間奏曲のように短い第2楽章はピアノと管弦楽が対話を交わす、たいへん愛らしい音楽です。
ピアノ協奏曲だからといって、管弦楽をピアノの単なる引き立て役、伴奏役とは考えなかったシューマンのアイディアが活かされた楽章と言えるでしょう。ロンド形式で書かれた第3楽章は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調と同じように、第2楽章から休みを入れずに直接始まります。哀感漂う第1楽章、親密な第2楽章とは打って変わって、第3楽章は非常に躍動的な音楽が展開し、ピアノも華やかな技巧に包まれていきます。

フレデリック・ショパン

  • ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35「葬送」

ドラクロワが1938年に描いた
ショパンの肖像画
ショパンはピアノ・ソナタを3曲残しています。ワルシャワ音楽院の学生時代、18歳の時に書かれた第1番はあまり演奏される機会がありませんが、1839年の第2番と1844年の第3番は有名です。とりわけ、第2番は第3楽章を葬送行進曲としていることで知られています。この葬送行進曲はソナタとは関係なしに、1837年にパリで作曲されていました。この時、ショパンは、ワルシャワ時代から知っていたマリア・ヴォジンスカという女性に失恋していまい、失意のどん底にあったようです。失恋の追憶として書かれた葬送行進曲を組み込んで4楽章のソナタに仕立て上げたというわけです。私生活での出来事から創作の種を生み出していくのは、まさに19世紀の作曲家らしい姿勢ということができるでしょう。

このソナタはすべての楽章が短調で書かれており、全般的な雰囲気はやはり非常に暗く、絶望的な感情が吐露されています。第1楽章は短く重苦しい序奏の後、悲しみが駆け抜けていくような第1主題、そして甘美な夢のように美しい第2主題を中心に展開していきます。第2楽章はスケルツォ。和音の連打が特徴的な激しい性格の音楽です。中間部ではノクターンのように静かな美しい旋律が現れ、主部の激しさとは対比されています。第3楽章の葬送行進曲でも同じような対比が図られ、弔いの鐘を模倣したようなリズムを特徴とする、あまりにも有名な主部に対し、穏やかさを湛えた中間部はまさに天国的な気分に満ちているのです。最後の第4楽章はこの大規模なソナタを締めくくるものとしてはかなり風変わりな性格の音楽と言えます。旋律らしい旋律はまったく現れません。突風が吹き抜けていくかのごとく、急速な3連符のパッセージが両手のユニゾンで弾かれていくだけなのです。まるで練習曲のようにも思われるこの楽章は、大団円を期待する聴き手をはぐらかすように、あっという間に終わってしまいます。このような音楽をフィナーレに用いたショパンの意図とは何だったのでしょうか。
  • ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
ポーランド生まれのショパンは、自民族の尊厳や権利を守ろうとするナショナリズムの高まりを背景として、祖国の舞曲を元にしたピアノ独奏曲をたくさん書いています。彼はパリを本拠として活躍したために、自分がポーランド人であることを強く自覚していたと思われます。したがってそのような自覚をもつ音楽家として外国で生きるために、ポーランド風な音楽を必要としたのでしょう。そのなかではマズルカと並んで、ポロネーズが重要です。ポロネーズは17世紀に起源をもつ荘重な3拍子の舞曲で、バロック時代から流行していました。古典派時代以降は、特に協奏曲のフィナーレでポロネーズを用いることがよくあったほか、華麗な技巧を盛り込んだピアノ独奏曲としてもポロネーズは人気があったのです。ショパンのポロネーズは、実際に踊るための舞曲というよりも、ポロネーズの性格を保ちつつ、個性的な音楽が展開されていきます。全16曲のポロネーズのうち、1846年完成の「幻想ポロネーズ」作品61とともに有名なのが、1842年の「英雄ポロネーズ」です。「英雄」というニックネームはショパン自身が名付けたものではありませんが、この作品の勇壮な性格を的確に言い表しているといえるでしょう。


ポーランドの音楽と踊り

この作品は、荒々しい序奏の後に表れる力強い主要主題が、いくつかのエピソード部分を挟みながら再現されていくという、ロンド形式に似た形式で書かれていますが、構成はかなり自由です。2つめのエピソードに相当する部分はとくに有名で、左手がオクターヴで同じ音型を繰り返すなか、右手が重厚な和音を伴う旋律を弾いていきます。この個所は、あたかも英雄の軍勢が敵に向かって整然と突撃を行っているようではありませんか。繊細で美しい叙情性をもつ音楽を得意としたショパンですが、そのいっぽうで、この「英雄ポロネーズ」のように、力強く勇ましい音楽にも秀でていたのです。

フランツ・リスト

  • リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
リストのピアノ協奏曲は、近年発見された第3番も含めて、合計で3曲の作品が知られています。最も有名な第1番は1832年にスケッチが書かれはじめ、3度の改訂を経て、1855年にドイツのワイマールで初演されました(当時、リストはワイマールの街で指揮者を務めていました)。協奏曲というジャンルは伝統的に3つの楽章からなるのが普通でしたが、この作品は4つの楽章が切れ目なく続けられるという独特な構成をもっていたためか、批評家のなかには酷評する人も少なくありませんでした。前衛的な作風で知られるリストのことを快く思っていなかったある批評家は、第3楽章で使われるトライアングルを揶揄して、この作品を「トライアングル協奏曲」呼ばわりしているほどです。ピアノが華麗な技巧を繰り広げるだけでなく、管弦楽にも大きな役割を担わせたこの協奏曲は、やはり当時としては大胆な音楽だったのでしょう。


リストのカリカチュア《ピアノの魔術師》

第1楽章は勇ましい行進曲風な主題で始まり、それを受けるピアノはカデンツァのように自由なパッセージを繰り広げていきます。途中で、ノクターンのように美しい旋律を聴かせる場面も挿入され、従来の形式によらず、自由に展開されていくのです。第2楽章は弦楽合奏による不気味な序奏の後、ゆったりと漂うような旋律が流れます。第3楽章は、先述したようにトライアングルが用いられた、スケルツォ風な楽章です。3拍子の自然な流れに逆らうような面白いリズムが多用されています。第4楽章は第1楽章の行進曲風な主題だけでなく、第2楽章の静かな主題がこれまた行進曲風な勇ましい性格に変えられて再現され、大団円に向かっていきます。この作品は全編に亘って自由な構成を採っているのですが、実は各楽章の主題は互いに関連性が認められ、リストがその関連性によって全体を統一しようという意図を持っていたことがわかります。野放図な自由ではなく、統一性をもった自由がこの作品を支配していると言えるのです。
  • リスト:「愛の夢」第3番変イ長調

リストの終生の恋人となった
カロリーネ・フォン・
ヴィトゲンシュタインとその娘マリー
「愛の夢」第3番はリストの代名詞とも言えるほど有名なピアノ独奏曲です。ところが、この作品は複雑な成立事情を持っています。実はこの作品はもともと歌曲として作曲されました。フライリヒラートという詩人の詩に作曲された「おお、愛せるだけ愛してください」(1845年頃)がそれです。その後、1850年頃にピアノ独奏曲用に編曲され、「愛の夢」第3番として知られるようになりました。「愛の夢」は、ショパンのノクターンに似たような性格をもつピアノ曲を意図した曲集で、リストはこの曲集のことを、イタリア語でノクターンを意味する「ノットゥルノ」とも呼んでいます。リストの作曲方法で特徴的なのは、一度完成した作品を何度も改訂して、一つの作品に何種類かの楽譜を残したり、別の演奏形態に直したりすることが多かった点です。「愛の夢」第3番もそのようなリストの姿勢を物語っている作品と言えるでしょう。

「愛の夢」第3番は、まさにそのタイトル通り、余りにも美しい主題で始まり、全体もこの主題を中心に自由に組み立てられていきます。序奏もなく、いきなり主題が始まるところはたいへん印象的です。最初の主題の提示は、ハープのような伴奏に乗って、さしずめバリトン歌手が歌うような音域で主旋律が歌われていきます。ところが、伴奏型は主旋律を跨いで、低音域と高音域に広がっており、左手伴奏、右手主旋律という役割分担が明確でありません。つまり、どちらの手も時に伴奏、時に主旋律、時に両方同時に弾く、という複雑な演奏をしなければならないのです。一見したところ、簡素に思われる部分なのですが、実際の演奏には複雑な作業が求められていると言えるでしょう。
さて、全3曲からなる「愛の夢」は第3番のみが突出して有名になっていますが、ぜひとも他の2曲、第1番変イ長調、第2番ホ長調も一緒に聴いていただきたいと思います。推薦CDのバレンボイム盤は全3曲を収録したものです。