ソロ、室内楽と、充実した演奏活動を続けている若林顕さん。2020年11月23日、東京芸術劇場大ホールでリサイタルの舞台に立ち、ラフマニノフ、シューマン、ラヴェル、ショパンという多彩なプログラムを届けた。
2020年11月23日(東京芸術劇場コンサートホール)
■プログラム
ラフマニノフ:楽興の時 Op.16~第1番変ロ短調、第2番変ホ短調、第3番ロ短調、第4番ホ短調
シューマン:幻想曲ハ長調Op.17
ラヴェル:水の戯れ
ショパン:24のプレリュードOp.28
[アンコール]
ピョートル・チャイコフスキー: ノクターン
モーリス・ラヴェル: ソナチネより第2楽章
アナトーリ・リャードフ: オルゴール
アブラハム・チェイシンズ: 香港のラッシュアワー
ヘンリー・マンシーニ〜服部隆之編: ムーンリバー
10代の頃から、「演奏家は40歳からがスタート」だと思っていたという若林顕さん。今、55歳という円熟期を迎えて選んだプログラムは、ラフマニノフ「楽興の時」より第1番〜第4番、シューマン「幻想曲」、ラヴェル「水の戯れ」、そしてショパンの「24の前奏曲」という、幻想的でロマンあふれるプログラム。
若林さんは冒頭のラフマニノフ「楽興の時」から、ヤマハCFXの能力を存分に引き出し、中身のつまった重く力強い音を、広い会場いっぱいに響き渡らせる。一つ一つの音を明確に鳴らし、ラフマニノフの世界を輪郭くっきりに描きあげていくことで、ドラマティックな物語を浮き彫りにした。
続くシューマンの「幻想曲」は、若林さんが昔から魅せられてきたという作品。たっぷりと歌わせて始め、華やかな音のなかで、時折浮遊感のある柔らかい音色を際立たせる。各楽章の性格を注意深く描き分けながら、シューマンの精神世界を丹念に再現していった。だんだんと力尽きていくように迎えたフィナーレは、最後の一音を余韻まで慈しむように奏して閉じられた。
休憩を挟み、後半のはじめはラヴェル「水の戯れ」。前半とはまったく異なった輝きを持つ音色が響き、耳を惹きつける。先にご本人は、「ここ数年、フランス的な色彩感や風のような音楽の移ろい方をとらえ、自由になってきた気がしている」と話していたが、まさにその結果が感じられるような音色の変貌ぶり。硬質な音、柔らい音と質感を巧みに変化させることで、水の輝きだけでなく、宝石の粒のようなものを想像させてくれた。
そして、ショパンの「24の前奏曲」へ。再び骨太な音が戻り、メロディをしっかりと歌いあげながら、音楽を進めていく。第2曲はアルトの声が歌うような音色、第7番「雨だれ」でははっきりとした美声で歌いかけるような音色が印象的。
長調の楽曲でも、一貫して深刻な雰囲気が保たれる。その暗さが極まるような第20番では、重厚な和音が重い足取りを思わせ、葬送行進曲のような空気を創出した。
ショパンが胸の内に抱いた重い感情、束の間の喜びが、思い切って鳴らされる多様な音で表現され、若林さんならではの「24の前奏曲」の世界が繰り広げられた。
この日の公演は、新型コロナウイルス感染拡大第3波への警戒が強まるなか、大ホールの客席を1席ずつ開けた状態での開催となった。しかし、聴衆からの拍手は熱く盛大。
それに応えて若林さんが演奏したアンコール1曲目は、チャイコフスキー「ノクターン」。しっとりとあたたかく、どこかなつかしい感じのする音がホールに広がっていく。2曲目はラヴェル「ソナチネ」より第2楽章。本プログラムでも聴かれた繊細な輝きを持つ“ラヴェル用サウンド”が戻り、フランスの風を吹かせた。
続いて演奏されたリャードフ「オルゴール」では、丁寧なタッチで、細やかなレース編みのような音楽が紡がれていく。一転して、アンコール4曲目は、アブラハム・チェイシンズ「香港のラッシュアワー」。急速で技巧的な音楽をダイナミックに弾ききると、腕を軽く揺すりつつ、笑顔で舞台袖に戻っていく若林さん。
それでも鳴り止まない拍手に応じ、最後に演奏したのは、マンシーニ(服部隆之編)の「ムーンリバー 」。心のこもったプレゼントのような、優しさとロマンティックな感情に溢れる音楽で、コンサートは閉じられた。
「ピアノによる歌う表現を届けるプログラム」という若林さん本人の予告通り、多彩なプログラムを通し、ピアノによるさまざまな「声」を聴くリサイタルとなった。
Text by 高坂はる香