この記事は2017年10月24日に掲載しております。
数々の国際コンクールで輝かしい成績を収め、新たな時代を担うピアニストとして注目を集めているクレア・フアンチさん。9歳の時にカーネギーホールで演奏、10歳の時にはクリントン大統領夫妻に演奏を披露するという神童ぶりを発揮した少女時代から今日に至るまでの道のりを振り返り、今後の抱負を語ってくださいました。
© Gregor Hohenberg
- pianist
クレア・フアンチ - クレア・フアンチは9歳で奨学金を得て、 コンサートやコンクール出場といった国際的なキャリアを築きはじめた。2011年のミュンヘン国際音楽コンクールに最年少で出場し、みごと第2位を獲得した。10代の後半になると、ピアニストは自身の天職であると強く感じるようになった。フィラデルフィアのカーティス音楽学校にて、エレナー・ソコロフやゲ イリー・グラフマンに師事し、有意義な指導を受けたのち、ハノーファー音楽演劇大学においてアリー・ヴァルディのもとで学んだ。そして2016年春より、 ヴァルディの助手を務めている。 2009年、ダルムシュタットで行われたショパン国際コンクール、並びに2010年、マイアミにおける同コンクールにて第1位に輝き、ショパンの音楽は彼女に芸術的飛躍のきっかけを与え続けている。また、幅広いレパートリーを弾きこなし、その中には多くの現代作品も含まれる。その多彩さは誰の目にも明らかだ。多数のソロ・リサイタルを行うほか、これまでにモーツァルテウム管、シュトゥットガルト放送響、ミュンヘン室内管、中国フィル、バンクーバー響、サンタフェ響、モスクワ放送響、イスタンブール国立響等の世界各地の一流オーケストラと、カーネギーホール、トーンハレ(チューリッヒ)、コンツェルトハウス ベルリン、ガスタイク(ミュンヘン)、ゲヴァントハウス(ライプツィヒ)、サル・コルトー(パリ)、王子ホール、ザ・シンフォニーホールといった世界有数の会場で共演している。また、キッシンゲンの夏音楽祭や、ヴェルビエ音楽祭、メニューイン音楽祭(グシュタート)、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭、ラインガウ音楽祭、MDR音楽祭、シュヴェツィンゲン音楽祭に招かれた。
チャイコフスキーとプロコフィエフの作品に焦点を当てた彼女のデビューアルバムは、2013年、ベルリン・クラシックスより発売され、絶賛を浴びた。2015年には、スカルラッティのソナタを収録したセカンド・アルバムが同レーベルから発売された。このアルバムでフアンチは555曲のソナタの中から39曲を選び、それらをバロック時代のソナタ組曲として収録をした。このような試みによって、彼女は音楽史を貫くスカルラッティの伝統を表現した。この録音は、ドイツレコード批評家賞に輝き、グラモフォン・マガジンの「エディターズ・チョイス」にも選ばれ、「これは最高水準のスカルラッティの芸術だ。(中略)神童と呼ばれた16歳から、偉大な芸術家の一人となった25歳までのフアンチの躍進を、我々は喜んで賞賛する。」と評された。
2018年5月、ウィーン放送交響楽団と上海で共演予定。
※上記は2017年10月24日に掲載した情報です。
恵まれた環境で才能を開花させた少女時代
中国出身の科学者の両親のもとにニューヨークで生まれた。フアンチという姓は、父の姓「黄(Huang)」と母の姓「慈(Ci)」を合わせたダブルネームだという。ピアノとの出会いは6歳の誕生日。
「父は生物学、母は化学の研究者で、私が生まれてすぐにフィラデルフィアに移りました。6歳の誕生日に、我が家に小さなグランドピアノが来た時のことは今でも覚えています。正式に習い始めたのは7歳になってからです。ピアノは大好きでしたが、練習は嫌いで、よく両親に「練習しないなら、ピアノを売ってしまいますよ」とか「鍵をかけて弾けなくしますよ」と言われて、あわてて練習したものです(笑)」
7歳というのは、ピアノを習い始める年齢としては早い方ではないが、みるみるうちに上達し、9歳の時にカーネギーホール、10歳の時にホワイトハウスで演奏し、天才少女として注目を集める。
「いくつかの子どものコンクールで優勝し、そのご褒美としてカーネギーホールやホワイトハウスで演奏しました。いずれも20分くらいのプログラムで、クレメンティのソナタ、ショスタコーヴィチのプレリュード、ベートーヴェンのロンドなどを弾きました。でも、その頃はまだ小さかったので、将来ピアニストになりたいと思っていたわけではありません」
数多くのピアニストを輩出した名門カーティス音楽院のあるフィラデルフィアは、ピアノを学ぶ環境としては最高だった。11歳からエレーナ・ソコロフ女史のプライヴェート・レッスンを受ける。
「ソコロフ先生はピアノ音楽をあらゆる側面から教えてくださる素晴らしい教師でした。毎週新しいバッハの作品1曲、ベートーヴェン、モーツァルトなどの古典ソナタ1曲の譜読みをして聴いていただきました。今考えるとこれはとてもよかったと思います。この時期に、クラシック作品の精髄を学んだと感じています」
13歳でカーティス音楽院に入学し、ラン・ラン、ユジャ・ワンほか多くのピアニストを育てた名伯楽、ゲイリー・グラフマン氏に師事する。
「カーティス音楽院には、凄いテクニックを持つ学生がたくさんいて驚きました。3、4歳くらいから英才教育を受け、猛練習してきた人ばかりなのです。グラフマン先生のクラスの3学年上にユジャ・ワンがいましたし……、これは大変なところに入ったと思いました(笑)。グラフマン先生は感性豊かな方で、ロシア作品の解釈など、今でも大きな影響を受けていると感じます。テクニックを重視する教え方でしたが、それまでの私に足りなかったものを与えてくださいました。ソコロフ先生とグラフマン先生、まったく個性の違う2人の教師に学び、ピアニストとしての基礎を固めることができたと思っています」
※上記は2017年10月24日に掲載した情報です。