この記事は2013年6月18日に掲載しております。
佐野隆哉が、いよいよピアニストとして始動する。登場するのは、まず7月15日のヤマハホール。「ピアニストの競演Vol.1 Les Cinq Parisiens パリ5人組~フランス音楽の煌めき」というコンサートで、佐野の他、池村京子、島田彩乃、橘高昌男、宮崎明香がフランス作品を演奏する。
- pianist
佐野 隆哉 - ダイナミックにして繊細。天性のイマジネーションから織りなす「色彩感」と「叙情性」に満ちた"実力派"ピアニスト。
1980年東京生まれ。都立芸術高校、東京芸術大学を経て、同大学院修士課程を修了。2005年に渡仏後、パリのスコラ・カントルム高等課程を最優秀で修了。その後、日本人男性として初めてパリ国立高等音楽院「第三課程研究科」(博士課程)からの入学を許可され、2008年に修了。在学中より、日本音楽コンクール第2位入賞(03年)を始め、世界各地の「国際ピアノコンクール」で多数入賞。ホセ・ロカ国際2位(スペイン・08年)。ロン=ティボー国際5位及び聴衆賞、特別賞(仏・09年)。ショパン国際ディプロマ(ポーランド・10年)等を受賞。
これまでに、フランス国立管弦楽団、パリ国立高等音楽院オーケストラ、東京交響楽団、大阪フィル等と共演。国内はもとより、フランス、ヨーロッパ各地でリサイタルを開催し、好評を得ている。
「室内楽」の分野においても、パリ国立高等音楽院室内楽科を審査員満場一致の最優秀で卒業。日本モーツァルト音楽コンクール声楽部門[共演者賞](03年)、国際サキソフォーンコンクール名誉ディプロマ(ポーランド・09年)を受賞するなど、国内外の幅広いジャンルのアーティストから厚い信頼を得ており、ソロ活動に留まらず多方面で活躍している。
2010年冬に帰国。現在、演奏活動の傍ら、東京藝術大学及び国立音楽大学にて非常勤講師も務めている。
平成16年度青梅市芸術文化奨励賞受賞。
※上記は2013年6月18日に掲載した情報です
コンクールのキャリアは必要なことですが聴衆の記憶にどう残っていくかが大切だと思っています。
「日本でもフランスでも、全員が同じ学校というワケではないんですが、同時期にパリにいた同年代の集まりなんです。いろんな繋がりの中で、徐々にメンバーが固まったというか、帰国したら久々に会って、せっかくだから演奏会をやろうと企画したんです。誰が言い出しっぺでもなく、また弾くレパートリーも全員がかぶっていないんです」
プログラムは、池村がラヴェル「優雅で感傷的なワルツ」、島田がドビュッシー「版画」、橘高がフォーレ「主題と変奏」、宮崎がメシアン「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より、そして佐野はサン=サーンス「死の舞踏(リスト編)」を弾く。
「とにかく私はラヴェルが大好きなんです。でもドビュッシーやフォーレは弾きません。今回はサン=サーンスなんですが、実はリストも大好きで、サン=サーンスはリストに近いというか似ています。ただ音楽としてシンプル過ぎる。それに難しい割にはウケがよくない(笑)。日本では、ほとんど演奏されることがないので、そこを何か違うアプローチでやれば、少しはサン=サーンスってこんなだよとわかってもらえるかと思って。ちょっとした賭けですかね。技巧的ではあるし、今までにないサン=サーンス像を出したいなと思っています」
1980年、東京・青梅に生まれた。隆哉少年には姉が2人いて、家にある足踏み式のオルガンを弾いていた。また母親の趣味はマリンバ、歌も好きでよく家族で音楽を楽しんでいた。それを見ていた隆哉少年は、「自分もやりたい、その輪に入りたい」と願った。保育園に通う道すがらにピアノ教室があって、その音色に魅せられた。ピアノを習い始めたのは6歳から。すでに小学生になっていた。
「子どもながらに、要領が良かったですね。まったく知らない曲の楽譜を引っ張り出して弾くのが大好きだったので、おのずと初見の能力が磨かれました(笑)。今でも譜読みは早いと思います。そんなことをやっていたせいか、ちょっとやれば弾けてしまうと勘違いし、本当に練習をしなくなってしまったんです。小学校3、4年の頃なんですが、もう先生の言うこともまったく聞かない。何しろ新しい曲には興味があるのに、1回通して弾いてしまうと、もう飽きてしまって全然練習をしない。なので先生も、私のモチベーションを高めるために、コンクールを受けさせるとか、いろんなことをしたんですが…(笑)」
コンクールを受けることになっても、熱心にさらう訳ではない。当然予選落ち。その繰り返しだった。そんな連続から、手を焼いた教師は立川にあるヤマハの個人レッスンを紹介した。人生はわからない。そこで出会った教師こそ、隆哉少年の将来を決定付け、結局は藝大大学院まで師事することになった山城浩一であった。「山城先生の奥さまも芸大を卒業されて留学をされた方で、最初の内はレッスンに行くと、必ずご夫婦でレッスンをしてくださるんです。また受験など大事な時期もそう。奥さまがストレートな物言いをする方で、“あんたは下手くそ、下手くそ”という。それで悔しくなってしまい、この先生に認められるように頑張らなければという、反抗心が芽生えたんです」生来、負けず嫌いではあった。それに火が点いた。この先生をギャフンと言わせようと頑張りだした。隆哉少年は中学2年になっていた。その頃小さなコンクールがあった。その副賞がフランスでのコンサートだった。
「私の中で、人生が変わりました。人前で演奏して、これほど喜ばれることがあるのかと子ども心に衝撃でした。それが良きにつけ、悪しきにつけ、ストレートな反応があることにも驚かされました。その頃です、音楽の道に進もうと決心したのは…。結局音楽が好きだったんですね。他の習い事はやめてしまいましたが、ピアノだけはやめようと思ったことはなかったから…」
そして都立芸術高校を経て、東京藝大に進む。高校や大学では、ピアノ以外の楽器と知り合い、室内楽を学んだことが大きな収穫となった。ヴァイオリン、チェロ、フルート、サクソフォン、そして他の木管、金管楽器。ソロ・ピアノ以外のレパートリーを知り、音楽の視野が広がったが、まだコンクールでは目が出なかった。
「ピアノはひとりですべてを作り上げるという孤独な作業で、もちろんそれに打ち勝っていかなければならないんですが、それが2人や3人でやると、喜びが増えるような気がするんです。楽しくできるというか、いろんな考えでその人の音楽性を知ることもできるし、自分を主張することもでき、また2人が全然考えてないところで、落ち着いたりする。可能性の広がりというか、創り上げる過程が面白いですね」
そして2003年、東京藝大大学院1年のとき日本音楽コンクールに出場、本選では武満徹「雨の樹 素描 ピアノのための」、ハイドンとリストのソナタを弾いて第2位に入賞。筆者はその時、ある音楽雑誌の評に、「技術面に非常に優れ、透明感のあるタッチと温もりに溢れた音色で魅了した。ハイドンの古典様式に現代的感覚を取り入れた瑞々しい構築感、リストでの雄弁さ、各声部を叙情的に歌わせたアプローチは実に爽快であった」と記している。「その時々の良し悪しによって順位が付けられることは重々承知していますが、それ以上にアピールする場としてのコンクールが大事だと思います。名前を覚えてもらったり、自分のキャラクターがどういうものを知ってもらえるのではないかと…。キャリアとして必要なことはあるとは思いますが、それよりも人の記憶にどう残っていくかということの方が、私にとっては大切だと思っています」
大学院を修了すると渡仏、パリ音楽院でジャック・ルヴィエに薫陶を受けた。フランスを選んだ理由は、中学のときのフランスでの体験。当時ラヴェルの家を見に行って、それを鮮烈に覚えていた。ラヴェルの音楽にも強く惹かれていて、フランス音楽を勉強したいと決めていた。
ルヴィエ先生は、指摘することがものすごく的確なんです。テクニック的に詰まっている所や、音楽的にダメなところなどを具体的におっしゃると、まるでそれが溶けていくように、それまでできなかったことが突然できるようになるんです。まさに魔法のレッスン。パリ音楽院では第3課程と室内楽科でも学び、最後の試験が終わったとき、フランスでやるべきことは全部やったかなと思いました」
フランスに渡って5年が経っていた。帰国してからは、室内楽を含む多彩な演奏活動に多忙をきわめている。なかでもフルートの上野星矢とクラリネットの吉田誠などとのアンサンブルは数多く、上野とはCD(万華響;DENON COCQ-84980)もリリースした。そして来年3月12日、いよいよ東京文化会館で、デビューリサイタルを開く。帰国してからアンサンブルなどで忙しかったからと笑うが、その前には6月にCDを録音、9月29日の地元青梅市民会館でのリサイタルでリリースする予定になっている。
「CDは、サン=サーンス《死の舞踏》、《ワルツ形式のエチュード》、リスト《メフィスト・ワルツ》、ラヴェル《高雅で感傷的なワルツ》などを収録します。ワルツばっかですね(笑)。こういう性格というか、生真面目的なところが多分にあるので、それを壊すためにも、あえて挑戦的に、もう少しフランクに、気軽に楽しんでもらいたいというコンセプトで作りたいと思っています。誰もがやっているようなものはイヤですし、普通に聞き流してもらっても楽しいし、そういう所からクラシックを好きになってもらえたらいいなという願いも込めて…」
青梅のリサイタルでは、ベートーヴェン「月光」やCDの収録曲、藝大同期の作曲家石塚岳春の新作などが演奏される。特筆すべきは、ヤマハのCFXを運び込んでのリサイタルだ。
「やはりショパン、ラヴェル、リストの3人はこれからもずっと弾き続けることになると思います。ショパンとリストを弾いていると、何かバランスが取れる。ショパンは精神面がすごく大事ですし、音ひとつも気が抜けません。リストでは、作品の持つキャラクターが、その時の自分にマッチするかどうかで選んでいるような気がします。重いものであれば、《ダンテを読んで》であったり、《ソナタ》であったり、今はもう少し、軽いものを表現したいという感じなので、《メフィスト》を弾きます。またシャブリエなども大好きです」
2012年はシャネルで主宰するピグマリオン・デイズ・クラシックコンサートへの出演の他、来年4月にはベートーヴェン《皇帝》、2014年3月にはアレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルとスクリャービンの協奏曲を共演すること(予定)になっている他、いくつかのコンサートに出演するために、適時帰国するという。
最後に、音楽的に目指すものを聞いた。「昔の人や音楽が好きです。ホロヴィッツ、ルービンシュタイン。そういう昔の人の演奏は嘘をついていない、正直な演奏だと思うんです。そういうものに共感を覚えます。もちろん新しいものもどんどんやっていかなければならないし、自分の場合は外に出していくということをもっとやっていかなくてはならないけれど、やはり根本は熟成をしていくというか、練っていくというか、育てていくもの、大事に大事に自分の音楽性というものを、ニーズなどに惑わされずに、年を取ってもそういうものを追い求めていきたいと思っています」
佐野隆哉の演奏は、色彩の変化や畳み掛けるようなパッション、楽曲への共感が比類なく、新鮮で説得力に満ちたスケールの大きな音楽を産み出す資質に恵まれている。常に自分の殻を破っていこうとする前向きな姿勢が備わっている限り、佐野隆哉は今後大きく飛躍していくに違いない。刮目すべきピアニストである。
Textby 真嶋 雄大
※上記は2013年6月18日に掲載した情報です