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中桐 望 さん(Nakagiri Nozomi) いつも自然体、マイペースで自分の音楽を探求し続けています。 この記事は2014年12月17日に掲載しております。

2012年、第8回浜松国際ピアノコンクールで日本人最高位の第2位(第4回コンクールの上原彩子さんと同位)を受賞した中桐望。10代で注目されるピアニストが多い中で、やや遅咲きながら真摯に学び続け、繊細なピアニズムと伸びやかな音楽性で頭角を現し、2014年1月にパリのサル・コルトーでリサイタル・デビュー、4月には故郷の岡山、名古屋、東京でリサイタルを開催し、来年1月には初アルバムをリリースする。
2014年秋からポーランドに留学して新境地を開拓しつつある彼女の日々は、Pianist Lounge に連載中の「ピアニスト中桐望の留学一年生! 奮闘記 in Poland」に詳しいが、これまでの歩み、今後の抱負などを聞いた。

Profile

pianist 中桐 望

pianist
中桐 望
岡山県岡山市生まれ。東京藝術大学ピアノ専攻を首席卒業。同大学大学院修了。2009年日本音楽コンクール第2位。2012年マリア・カナルス国際音楽コンクール第2位。同年、第8回浜松国際ピアノコンクールでは歴代日本人最高位となる第2位を受賞。関西フィルハーモニー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、スペイン・ヴァレス交響楽団等のオーケストラと共演。国内外でのリサイタルや 音楽祭に多数出演している。第11回岡山芸術文化賞グランプリ受賞。これまでにピアノを内山優子、近藤邦彦、平川眞理、芦田田鶴子、大野眞嗣、角野裕、エヴァ・ポブォツカの各氏に、師事。2014年4月に岡山、名古屋、東京にてデビューリサイタルを開催し好評を博した。今秋よりロームミュージックファンデーション奨学生としてポーランドのビドゴシチ音楽学校に留学している。
※上記は2014年12月17日に掲載した情報です

幅広く音楽を学び、さまざまな経験をしたことが生きている

1987年、岡山県岡山市生まれ。3歳からヤマハ音楽教室で学んだ。

「母が女の子だったらピアノが弾けて、将来教えられるようになったら素敵だねと教室に通わせてくれたのが、ピアノとの出会いです。3歳児コースから幼児科、さらにジュニア専門コースに進み、毎週ピアノの個人レッスンとグループレッスンを並行して受け、エレクトーンでアンサンブルしたり、作曲したり、幅広く音楽を学んだことが今の自分の中で生きているなと感じます。初めて作曲したのは『うさぎのダンス』という曲だったんですよ(笑)。ピアノ曲やアンサンブルの作品を作って、オーケストレーションや和声を子どもの頃から自然に学んだことは大きな財産になっています。即興的にアレンジしたり、伴奏したりというのは得意な方ですね」

小学5年生でジュニア専門コースを修了し、個人レッスンでピアノを学んでいたが、中学生のときにピアノから離れた時期があるという。

「中学生になって勉強が忙しくなり、吹奏楽部の活動もあるし、ほかにやりたいことがいっぱいあって・・・。もともと練習が嫌いなタイプだったので、ピアノをやめる! と言って、本当にやめました。でも、しばらくして周りからもったいないと言われ、レッスンの1時間だけピアノを弾くという形で再開することにしました。今考えると、そんな私を温かく見守ってくださった先生に感謝しています。音楽は楽しむものだから、嫌なときは弾かなくていい。楽しいと思えるものだけやりましょうと言ってくださって、週に1時間しか弾かない生徒を受け入れてくれたんです。そうやって自由に音楽に触れているうちに、高校受験の時期を迎え、やっぱり私は音楽の道に進みたいと考えて音楽コースのある高校を受験することに決めました」

高校に入り、東京藝術大学を目指してピアノに打ち込む日々だったのかと思うと、意外にもそうではなかったと語る。好奇心旺盛、何事にもおおらかにチャレンジする性格を発揮し、充実した高校生活を謳歌したようだ。

「吹奏楽部では3年間パーカッションを担当しましたし、クラスの仲間と文化祭でミュージカルを上演したり、ピアノの練習以外のことが忙しくて・・・(笑)。ピアノをひとりで弾いているだけでは味わえないことってたくさんあると思うんです。普通の高校生として、経験できることは何でもしてみたいと思いました。ですから、私が藝大に合格するなんて誰も思っていなかったようです。岡山県から藝大に合格したのは、私の8年前の松本和将さんくらいで、雲の上のような存在でしたから、私自身も受かるとは思っていませんでした。でも、何故か受けるなら藝大、それ以外はまったく考えず、落ちても受かるまで頑張ろうと決めていました。運よく合格できてよかったです(笑)」

いつも自然体で音楽に向き合い、周囲に惑わされず、受験もコンクールもひとつの通過点と考えている彼女の一面が垣間見える。

「高校時代に師事した先生が、素晴らしい方だったんです。試験やコンクールって、どうしても人と比べる競争みたいな部分があるけれど、そういう視点で音楽をやってはいけない、純粋にいい音楽を求めようという姿勢を教えていただきました。ですから、ミスしたらどうしよう、落ちたらどうしようなどとは一切考えず、自分が伝えたい音楽は何かということだけを考えて受験に臨み、運よく合格することができました。ダメでもともと、当たって砕けろ! の精神で、自分の持っているものを出し切ろうと思ったのがよかったのでしょう」

無心で自分の音楽を奏でることに集中したコンクール

藝大入学後も、友人たちがコンクールへの参加や留学を考えて忙しくしている中で、マイペースを貫き、じっくり自分の音楽を探求し続けた。

「角野裕先生に出会ったことが大きいと思います。先生の音楽に対する考え方、先生が奏でる音楽に惹かれ、この先生のもとで本当に自分のやりたい音楽を追究したいと思ったので、コンクールにも留学にもあまり興味がありませんでした。自分にはまだまだ勉強することがあると思っていたんです。大学4年生になって、そろそろコンクールを受けてみてもいいかなと日本音楽コンクールに参加して第2位をいただき、大学院の最後の年にマリア・カナルス国際音楽コンクール、浜松国際ピアノコンクールに参加してそれぞれ第2位という成績をおさめることができたのは、幸運だったと思います。やはりいつものように、ダメでもともと、当たって砕けろ!と、無心で演奏したのがよかったのかもしれません(笑)」

本人はそう語るが、実力者揃いの国際コンクールで自分の力を出し切って賞を得るのは容易なことではない。浜松国際ピアノコンクールでは、第1次予選からみずみずしい情感にあふれた演奏で聴衆を魅了し、第3次予選のモーツァルト《ピアノ四重奏曲第1番》、ファイナルのブラームス《ピアノ協奏曲第1番》では、アンサンブルの妙味を楽しませてくれた。

「浜松のコンクールでは、第1次予選が一番緊張しました。珍しくプレッシャーのようなものを感じて思うように演奏できず、悔いが残ったのですが、そこからは吹っ切れて、2次、3次、ファイナルと、どんどんリラックスして、ファイナルではコンクールだということを完全に忘れてステージを楽しみました。指揮者の井上道義さんがリハーサルのときに“あなたのやりたいことはわかったから、自由に弾きなさい”と言ってくださって、オーケストラと一緒にその場でしか生まれない音楽をつくることができました。私は子どもの頃からアンサンブルが大好きなんです。共演する奏者から自分にはないインスピレーションやアイディアをもらって会話をするように音楽をつくるのは、本当に楽しいですね。角野先生の門下で、ブラームスの交響曲を連弾で演奏した経験も、コンクールに活かせたと思います」

ショパンの音楽の精髄を学んでピアニストとして成長したい

4月のデビュー・リサイタルではバッハ=ブゾーニ《シャコンヌ》、シューマン《アベッグ変奏曲》、ブラームス《6つの小品》、ショパン《ノンターン第16番》、ラフマニノフ《ショパンの主題による変奏曲》を演奏し、それぞれの作曲家の世界を味わい深く描き出して好評を博し、8月には軽井沢大賀ホールで初のレコーディングに挑んだ。

「ラフマニノフの《ショパンの主題による変奏曲》は、大学時代から大切に弾いてきた思い入れのある作品で、若き日のラフマニノフのロマンティックな魅力が詰まっています。この作品の主題となったショパン《前奏曲集》と一緒に収録し、ショパンにインスピレーションを受けたラフマニノフの世界のようなものを表現できたらいいなと思いました。どちらの作品もひとつひとつの曲が短く、さまざまな表情を描き分けなければならなかったのですが、ヤマハCFXは多彩な音色で微妙なニュアンスを表現するのを助けてくれました」

ピアニストとしての第一歩を踏み出すと同時に、ポーランドでの留学生活もスタートした。

「一番好きな作曲家は誰かと問われたら、ショパンと答えます。これまであまり弾いていないので意外に思われるかもしれませんが、好き過ぎて近寄れない存在だったんです。留学先については紆余曲折がありましたが、エヴァ・ポブウォツカ先生のもとで、ポーランド土着のリズム、民族が背負ってきた歴史、ショパンの音楽の精髄を学び、私なりのショパンを表現できるようになりたいと思っています」

明るくしなやかに、自身の音楽へのこだわりを大切にピアニストへの道を歩み始めた中桐望。大器のさらなる飛躍が楽しみだ。

Textby 森岡 葉

中桐 望 へ “5”つの質問

※上記は2014年12月17日に掲載した情報です