:播本 枝未子  - 退任記念ではなく「フェスタ・ハリー」にしたのは、出身大学の異なる門下生たちがこれを機に出会い、互いに助け合うきっかけにしてほしい、という願いがあったからです。 この記事は2018年7月9日に掲載しております。

東京藝術大学在学中からピアノ指導を始めていた播本枝未子さん。ドイツ留学後、ドイツのリューベック国立音大を皮切りに6つの音楽大学に勤務し、数え切れないほどの門下生を育ててきた。2018年、長年務めた東京音楽大学の教授職の定年を迎え、退任記念コンサートを開催することになった。

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ハリーズ・ファミリーが集結

 退任記念コンサートは、数多い門下生の中から、東京音楽大学(以下、東京音大)と東京藝術大学(以下、東京藝大)の卒業生有志が実行委員会を立ち上げて行われる。
「どちらも定年まで長く務めてきましたし、今もつながりを持っている卒業生が多いのですが、大学を越えた横のつながりがなかった。卒業後に会わなくなった人たちのその後の人生も気がかりになっていましたし、東京音大には引き続き客員教授として務めますが、節目ではあるので何かしよう、ということになりました。私はただ『退任記念』と銘打ったコンサートにはしたくなかったので、日本や世界あちこちに散らばっている卒業生や門下生たちが集まって再会し、それを祝う会にしようと提案。実行委員たちの発案でタイトルは『フェスタ・ハリー(Festa Harry)に決まりました」
 コンサートにはピアニストだけでなく、東京藝大の副科ピアノの学生として播本さんにピアノを習った作曲家、トロンボーン奏者、声楽家たちも含まれている。今は音楽界で立派に活躍する音楽家に成長した彼ら、播本さんを慕う「ハリーズ・ファミリー(Harry’s Family)」が集結するのだ。

「私を除いて30名が出演します。それでも入りきらずたくさんの門下生に出演を諦めてもらいました。日本の大学を卒業して留学中でも現役の学生は外しました。特にピアノは、小さい頃からいろんなことを我慢し、多くのエネルギーを費やして練習してきた一方で、社会的な評価を得られにくく、孤独になりがち。さらに、ヨーロッパでもクラシックが衰退しつつある。そんな中でひとりで戦うのは大変。私を介してつながった人たちが、互いに助け合うきっかけとなれば……互助会ですね」と笑う。
 今回は二部構成。第一部はファミリーたちの「響宴」で、総勢19名のピアニストとソプラノ歌手、トロンボーン奏者の演奏。第二部に、2台8手用に編曲されたシューマンの「謝肉祭」(作品9)世界初演が登場。この「謝肉祭」に播本さんも加わり、17名のピアニストが入れ替わりながら演奏する。
「ソロやデュオを聴かせてくれる『ファミリー』たちの演奏も聴き応えのあるものばかりですが、2台8手による『謝肉祭』が最大のイベント。もともとシンフォニックな作品なので、東京文化会館の小ホールを、2台8手のパワフルなサウンドで満たしてみたい、という単純な発想が原点でした」

 ヤマハCFXを2台並べるのも注目だ。
「同じ会場の東京文化会館小ホールで行われた、藤井一興先生のリサイタルでCFXの音を聴いて、ぜひ使いたいと思いました。編曲は土田先生他3人の作曲家にお願いしていて、40分ほどの大曲になると思います。すでに半分くらいの楽譜が出来上がっているのですが、奇想天外な作品に変貌していますよ。曲をよく知っている人なら思わず笑ってしまうかも。それぞれの編曲者の個性が違うのでとても面白い作品になりつつあります」
 フェスタの開催に合わせて祝賀会も開く。こちらには、出演できなかったファミリーが大勢集まるとか。これを機に、毎年このフェスタが開催されていくかもしれない。

社会に目を向けて欲しいから

 播本さんはドイツから帰国後、東京音大やピティナを通して、様々な教育改革に取り組んできた。
「東京音大のピアノ科の財源を見直し、節約できる予算を活用して、ピアノ科に新しい風を吹き込めるような仕組みを色々考えました。社会で活躍しているあらゆる音楽関係の人々、例えば一流の演奏家、作曲家、音楽学者、脳科学者、アートマネージャー、楽器製作者、身体教育者、等々を講師として招き、自由に講義やレッスン、演奏をしてもらう場を作る。学生たちの社会への意識を早くから高め、学習意欲を刺激してモチベーションを高めるのが目的でしたが、とかく閉鎖的になりがちな大学という教育現場に風穴を開けたい、という密かな思いもありました」
 フェスタの「謝肉祭」の編曲を担当した作曲家の土田英介さんは、現在は桐朋学園大学の作曲科教授であるが、コンポーザー・ピアニストとしても活躍した人だ。「土田さんとは、長いお付き合いで、ピティナや東京音大でピアニストの教育に共に尽力した仲間。彼が長年東京音大のピアノ科教授として教育に携わり、作曲家とピアニストの距離を縮められたことは、得難いことでした。後の授業改革のうねりを作るきっかけにもなった。他の編曲者の篠田さん、増田さんは土田先生の作曲門下生、私のピアノ門下生でもあります」
「作曲家とピアニストが分業化したのは、長い音楽史で考えれば最近のこと。ピアノを弾くにあたって、当然ながら作品への理解力は必須。作曲家の創造の過程を感じ取ることができなければ、演奏に意味を持たせることはできませんから」

 学内コンクールの開催も大きな改革だった。
「私学は苦学生が多いのに奨学金はなかなか受けられないのが現状です。学内コンクールによってそのチャンスを増やしたいという目的もありました。審査員はすべて学外の人にすることで審査を厳正にし、5人中2人は海外の人にすることで国際性をもたせました。日頃の学内の教育陣の評価も適正であるか、ある意味で評価されることにもつながりました」
「大学にいる間に、卒業後自分がどう社会に貢献できるのかを見つけてほしい。卒業してから職を得て活躍でき、その職がピアノや音楽であったらなお良い。音楽と関係なくても、真摯に音楽に取り組んできた経験が、その後の人生の力になるものであってほしい。そのためには、ますます深刻になる環境問題をはじめ、政治や世界の動きにも目を向けさせたい。ピアノが弾けるのは平和があるからこそで、その大切さを知ってほしい」
 そんな播本さんの教え子たちからは「先生に出会って人生が変わった」と言われることが多いという。
「その分、教育とは怖い仕事だとつくづく思います。顔を見れば健康状態がわかるし、演奏を聴けば精神状態もわかる。これからの時代は私たちの時代より困難な課題が待ち受けているでしょう。その波を乗り越えられる人間力をつけてほしい。そのために真剣に身を削って彼らと向き合ってきました。それは私の人生の喜びでもあった、と自覚したのは最近ですけれど……」
 フェスタをきっかけにつながった「ハリーズ・ファミリー」が、社会に向けて新たな力として芽生えていくことを願って止まない。

Textby 堀江昭朗

上記は2018年7月9日現在の情報です。