ピアニスト:仲道郁代  - 作曲家の思想を知ることは、私自身が歳を重ねていくなかで、とてもありがたく、心に響きます。 この記事は2023年8月24日に掲載しております。

デビューから36年。多くのファンを魅了し続ける仲道郁代さん。2023年11月にJ:COMホール八王子で、ベートーヴェン、ショパン、ブラームスの作品によるリサイタルを開催。ピアノは、彼女が愛奏するヤマハCFXで。

Profile

ベートーヴェン、ショパン、ブラームス──
仲道さんが力を入れて取り組んでいる作曲家の作品をヤマハCFXで

 2023年11月のJ:COMホール八王子(旧オリンパスホール八王子)で開催されるリサイタルでは、ベートーヴェン、ショパン、それからブラームスと、仲道さんが力を入れて取り組んでいる作曲家の作品を披露する。ピアノは、ヤマハのコンサートグランドピアノCFXを使用する。
「もともと、ヤマハCFXは好きでした。私にとって、“豊かに鳴る”ことは、ピアニシモが十分に表現できることです。それからヤマハCFXの素晴らしさは、アクションの精度が高いこと。ですから、タッチが揃います。
タッチが揃うと、どんなに弱音でも、薄い布が弦に触れるような音でも弾くことができます。
切れのあるフォルティシモを弾いたとき、ハンマーがブレてしまうピアノも少なくありません。ピアノの内部を見ると、ハンマーが打弦してからボヨンボヨン……と揺れるのです。その状態でスピードのあるタッチで連打すると、音を掴まえることは難しいのです。でも、ヤマハCFXは、切れがよくてバンと止まります」

ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏を通して見えてくるもの

 仲道さんは、ピアノ・ソナタやピアノ協奏曲の全曲演奏などベートーヴェン作品を精力的に演奏し続けている。子どものころから好んで演奏していたのだろうか。
「学生時代は、先生方に“ベートーヴェンらしくない”と言われていました。幼少から10代にかけては、シューマンなどのロマン派の、感情で音楽と向き合うことができる作品にとても近しい感覚がありました。ベートーヴェン作品を気持ちだけで弾くと、それはベートーヴェンではないのです。ベートーヴェンの論理的な思考やスタイル感は、当時の私には遠いものに感じられました」

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏を通して見えてくるものとは?
「ベートーヴェンに取り組むようになったのは30代前半からです。全曲演奏会をたびたびさせていただくことになり、ベートーヴェン研究に取り組むようになりました。その経験を経てきて最近改めて思うのは、初期から後期へ、ベートーヴェンが作曲家としていかに変わっていったのかということです。それは、人間としてさまざまな出来事を乗り越えていったこと、そして、ピアノという楽器が彼の時代にとても大きく変化したことも関係しています。
ベートーヴェンは、モティーフという小さなフレーズの単位を使って音楽を組み立てていく作曲家です。私にとっては、モティーフは響きとしてではなく、言葉のように感じられるようになってきました。言葉と音との境界線がどんどんなくなっているのです。
 例えば、“ド・ミ・ソ”について、たんなる“ド・ミ・ソ”という響きではなく、“ド・ミ・ソ”という音が言語的な意味をなし、それが作品のなかのどこにどのように現われるかによって、同じ“ド・ミ・ソ”でも意味が変化していく、といった感覚があります。

 ベートーヴェンが取り扱っているものは、とても哲学的な思考です。ベートーヴェンの音楽は、たんなる感情ではなく、思想なのです。その思想を知ることは、私自身が歳を重ねていくなかで、とてもありがたく、心に響きます。愛とは何か、生きるとは、死ぬとはどういうことか、神はいるのか、この苦悩をどうやって乗り越えるか──彼の作品には哲学の言葉を感じます。とても尊敬しながらも、とても身近にいたい作曲家です」

ショパンは晩年の作品を選曲

 今回は《バラード第4番》など、晩年のショパン作品を中心に演奏する。
「 近年、ショパンの作品は、年ごとにテーマを決めて取り組んでいます。2022年度は、初期の作品を弾いていました。2023年度は、晩年の作品をとりあげていきます。
 《バラード第4番》では、彼が本当に掴みたかった人生が、指の間から砂が零れ落ちていってしまうというような喪失感や、もっと違う人生があったのではないかという忸怩たる思い、“ポーランドに栄光あれ”と願いながらも祖国に戻れない、そして自分の命はもう長くはないかもしれないという不安な気持ちなど、千々に乱れる思いが綿々と語られ、作品のなかに現在と過去とが入り混じってしまっているようにさえ、私には感じられます。その取り留めのなさ……現在のことを語りながらも、過去に意識が飛ぶ、そして、気づくと自分はそこにはいない……そのような心が時空も超え場所も超えていくような飛躍が感じられるのです」

毎晩ブラームスを聴いたミュンヘン時代

 プログラムには、ブラームスもとり入れている。
「『The Road to 2027』の2023年の秋のシリーズ(東京文化会館)のプログラムは、ブラームスの作品116、117、118、119です。八王子でのリサイタルでは、彼の後期の作品から作品118-2を選曲しようと考えています」
 一回のコンサートで、ブラームスの作品116から作品119の、晩年の小曲集を聴くことのできる機会は、とても珍しい。
「ブラームスの作品にどっぷりと浸かっている時期ですので、八王子のリサイタルで演奏するころには、私のなかに新たなブラームスの世界が開けていると思います。
 作品118-2はブラームスが等身大の心を吐露している作品だと思います。人生を振り返っていろいろなことを考えている。あの時こうしていたら人生が変わっていたかもしれない……と。
 ドイツに留学している時、私はグレン・グールドの弾くブラームスのインテルメッツォが収められたCDを、毎晩聴いていました。ドイツの豊かな自然のなかで、ひとりで暮らすブラームスの孤独感が当時の私の心に深く染み入りました。40年近く前の話です。今年の秋、ブラームスにまた深く向かってどんな心境になっているのか、今からとても楽しみです」

Textby 道下京子

※上記は2023年8月24日に掲載した情報です。