ピアノ:百瀬功汰  - 室内楽で見えてくるベートーヴェン――仲道郁代のさらなる探究 2026年7月7日

~室内楽で見えてくるベートーヴェン――仲道郁代のさらなる探究~

 8月に6回目を迎える、仲道郁代さんの「ベートーヴェン “ピアノ室内楽”全曲演奏会」。編成にピアノを含む室内楽作品を、成立年代順をベースに取り上げて、ベートーヴェンの創作の歩みをたどるシリーズだ。今回は、ヴァイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》と第10番を中心に、珍しい連弾曲《4手のための3つの行進曲》を演奏するプログラム。シリーズを重ねる中で深まるベートーヴェンへの理解、そして今回のプログラムに込めた思いを聞いた。

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室内楽を通してベートーヴェンと向き合うことで、仲道さんは、作曲家の歩みをこれまで以上に多面的に捉えられるようになったという。

「ベートーヴェンの音づかいが、より立体的に感じられるようになりました。ヴァイオリンとピアノなのか、チェロとピアノなのか、それとも三重奏なのか四重奏なのか。なぜその組み合わせで書いたのか。楽器の使い方も、どんどん変わっていきます。ではベートーヴェンがなぜそのように変わっていったのか。ピアノ・ソロ曲はピアノという楽器を右手と左手で弾くわけですけれども、室内楽の経験を通して聴くと、ピアノの音の中だけでもそれぞれの音づかいの違いというものがあるというように、音楽がより立体的に聴こえてくるのです」

室内楽からの視点は、長年弾き続けているピアノ・ソナタにも、新たな気づきをもたらすという。

「同じ時期に書かれているピアノ・ソナタと対照することで、ベートーヴェンの思考回路を理解する手助けになります。たとえばピアノ・ソナタとピアノ三重奏曲に共通する部分を見つけて、『ということは、ベートーヴェンはこう考えていたのだろう』とか。ピアノ・ソナタだけを見ている時は気づかなかった“意味”を見出すことができる。感覚のファセット(面)が増えた、という感じでしょうか。ベートーヴェンのいろいろな側面を見ることができるようになりました。

私の場合は、聴いて知るだけでなく、実際に弾いてみることで、作品の理解がはるかに深くなります。『知る』ではなく、とにかく『弾く』ことに大きな意味があるのです」

若い共演者たちとの対話も、その発見をさらに広げている。一人で黙々と作品と向き合うソロ演奏とは異なる刺激が、そこにはある。

「演奏家一人一人が音楽を作るのですけれども、それを直接、近い関係で確認し合い、触発し合いながら音にしていく作業がとても楽しいんです。リハーサルの時から、ああでもないこうでもないと、音を通して語り合いながら音楽を作り上げています。

若い方たちですが、私のことを先生扱いしない。“仲道先生”じゃなくて、“郁代さん”とか“仲道さん”と呼んでくれて、一緒に音楽ができる。音楽家ってそういうものですよね。経験とか年齢に関係なく、みんながそれぞれ音楽に向き合って、一緒に作っていく喜びがある。そういう時間が、やはり音楽の醍醐味だと思います。毎回、それを体感させていただいています」

共演のヴァイオリニスト・岡本誠司さんは、ともにベートーヴェンの室内楽を読み解く、かけがえのないパートナーだ。

「岡本くんは本当に研究肌で、自筆譜や初版譜を現行版と比較して調べてきて、『ここ、違うけどどうします?』という話になる。だからリハーサルも長いんですよ(笑)。長くて楽しい。ヴァイオリン曲や弦楽四重奏曲の、私が知らないことも教えてもらいながら、どんどん掘っていけるんです。せっかく音楽をするのだから、やっぱり掘り下げないと楽しくないですよね」

ピアノ連弾曲で共演する百瀬功汰さんは、仲道さんの教え子でもある。

「頼もしいピアニストに成長してくれました。本当によく弾けるし、とても冷静に分析もできる。高校生の頃からずっと私の室内楽のコンサートの譜めくりもしてくれていて、私がピアノをどう鳴らすのか、どうやってアンサンブルを作るのかを、すぐそばで学んできたと言ってくれるんです。今回一緒に弾けるのはこのうえない喜びです」

第6回の中心となるのは、《クロイツェル》(1803)と第10番(1812)という、9年の時を隔てて作曲された2つのヴァイオリン・ソナタだ。

一般に《クロイツェル》は、「革新的な作品」として語られることも多い。しかし仲道さんは、その変化を、単純にひとつの転換点としては捉えていない。

「もちろん《クロイツェル》は楽想の大きさが際立つ特別な作品です。でも、ベートーヴェンって、『ここで急に変わりました』と言える作曲家ではないんですね。変化の“種”はそのずっと前からあるのです。だから、変わるべくして変わっていったとも言える。このシリーズでは、その変遷を感じられるのが、とても面白いと思っています。

初期の室内楽は、本当に朗らかなんです。演奏者たちが技を見せ合って、意気揚々とした感じがあります。

ベートーヴェンが、『私の音楽こそが素晴らしい!』『すごい曲を書くぞ!書いたぞ!』という作品もあるのですが、それが《クロイツェル》になると、葛藤であるとか、より複雑な自分の内面を表現しようとする世界に入ってきているように思います。初期の室内楽が外へ向かって音楽を表現していたとすれば、《クロイツェル》には内なる世界へ向かうエネルギーを感じます」

その創作の流れはさらに内面へ向かう。

「そして第10番になると、心の中をじっくり見つめて、自分や、もっと大きなものとの対話になっていくような気がしています。それをヴァイオリニストとピアニストが二人で音にしていく。

第10番のあと、ベートーヴェンはヴァイオリン・ソナタを書いていないんですよね。なぜなのかはわからない。それもまた、弾きながら考えていくことになるのかな、と思っています」

作品を一つ一つ弾きながら考えを重ねていく。そんな積み重ねが、このシリーズにはある。

「もちろん答えを見出すことはないのでしょう。でも、その時々の私なりの納得解はあります。その納得解を経て、また次の作品に向かうと、新しい発見がある。その繰り返しが喜びなのです」

使用ピアノは今回もヤマハのCFX。室内楽の演奏でも、仲道さんが全幅の信頼を置く、2022年発表の新型モデルだ。

「室内楽では、ピアノの音量バランスが議論になることがありますが、私はバランスとは音量の問題ではないと思っています。音質や響きをどう重ねていくのか、倍音構成をどう作るかなのです。

新しいCFXは、響きを創り上げるその可能性が本当に豊か。ある時は弦楽器を包み込むような響きにもできますし、ある時は芯のある音で、お互いに対峙するような響きにもできる。いろいろな音像を作ることができるのが、とても楽しいですね。ヤマハホールも、お客様との距離が近く、室内楽の面白さを共有できる親密な空間です」

そうした多彩な響きの変化を身近に感じられるのも、このシリーズの大きな聴きどころだ。《クロイツェル》から第10番へ――ベートーヴェンの創作の軌跡を、私たちも、耳を澄ませてたどりたい。

Textby 宮本 明、©宮地たか子