ピアニスト:イリヤ・イーティン  - スクリャービンとラフマニノフのプレリュードで、「銀の時代」のロシアピアニズムに迫る

ロシアのエカテリンブルグに生まれ、モスクワ音楽院で学んだイリヤ・イーティンさん。精巧なテクニックと詩情あふれる音楽で世界的に高い評価を得ている。2025年2月2日、東京文化会館小ホールで開催するリサイタルで取り上げるのは、スクリャービンとラフマニノフのプレリュード。「銀の時代」を代表する2人の作曲家について、熱く語っていただいた。

Profile

あらゆる芸術が花開いたロシアの「銀の時代」

 リサイタルのプログラムは、いつも物語を創作するような感覚で組み立てているというイリヤ・イーティンさん。今回のプログラムには、どのような物語が秘められているのだろうか。

「今回はスクリャービンとラフマニノフのプレリュードを通じて、彼らの心の風景を描き出し、19世紀末から20世紀前半にかけて、文学、美術、演劇、バレエなど、あらゆる芸術が花開いたロシアの『銀の時代』を浮き彫りにしたいと思いました」

 人々のライフスタイルが急激に変化した時代、ほぼ同年齢の2人の作曲家の音楽には、未来への期待、好奇心、そして漠然とした不安があったと語る。

「スクリャービンは、未来に悲劇的なものを感じていたのだと思います。当時の人々には、予測もつかないような忌まわしいものを……。彼の最後の作品には、この世の終わりというようなものを感じます。一方、ラフマニノフも、何か今あるものが終わりに近づいていることを感じ、祈りや嘆きを表現しました」

人生も作風も対照的な2人の作曲家のプレリュード

 モスクワ音楽院の同級生だったスクリャービンとラフマニノフ。子どもの頃、同じ教師に師事したという縁もある2人だが、その人生、作風は対照的だ。

「2人とも裕福な家庭に育ちましたが、スクリャービンはあまり器用な生き方ができず、借金を抱えて自身のキャリアをうまく築くことができませんでした。ラフマニノフは苦労しながらキャリアをしっかり築き、結果的に成功したと思います。性格的には、スクリャービンはナルシスト、自分の世界に耽溺する傾向がありました。初期の作品はショパンの影響が強く、ショパンの未発表作品ではないかと揶揄されることもありましたが、リスト、ワーグナーの影響を経て、最終的には無調の神秘主義的な音楽にのめり込んでいきます。
ラフマニノフの音楽はロマンティックで、グレゴリオ聖歌やロシア音楽のルーツにまで遡り、時代に逆行しているなどと言われることもありますが、単に古くさいというのではなく、時代を超越した美しく壮大な音楽を追求したのだと思います。彼は商業的にも成功をおさめましたが、常に自身に批判的で、同じ作品の改訂版を何度も書いていました」

 今回取り上げるのは、若き日のスクリャービンが書いた《24のプレリュード》と、ラフマニノフが生涯を通じて書き続けた10曲のプレリュード。

「スクリャービンも、生涯を通じてたくさんのプレリュードを書いています。おそらく50曲か60曲くらい。今回取り上げる作品11の《24のプレリュード》は、ショパンの作品28の《24のプレリュード》に通じるものがあります。どの曲も短く、飛翔するような魅力があります。こんなことを言うと、スクリャービンに怒られてしまうかもしれませんが、サロン向きの音楽です。一方、ラフマニノフのプレリュードは響きが重く、大きなホールで多くの人々に聴かせるように作られています。ラフマニノフも、最終的に24曲書いていて、リサイタルの前半と後半に分けて演奏したことがあります。今回は、作品3、作品23、作品32の中から10曲を選びました。まったく性格の異なる彼らのプレリュードを演奏することで、彼らの違いや時代背景を楽しんでいただければと思います」

ヤマハCFXは身体の延長のように感じられる

 東京文化会館小ホールでのリサイタルシリーズで、いつも彼のパートナーとなっているのはヤマハコンサートグランドピアノCFX。

「大好きなピアノです。ヤマハCFXは、自分の身体の延長のように感じます。聴きたいと思う音が聴こえてくるのです。私は、あまり贅沢は言わない人間です。熱いお風呂に入りたいとか、シャンパンを飲みたいとか(笑)。唯一願うことは、本番の前に自分が弾くピアノをできるだけ長く弾いていたいということです。会場によっては、練習したいのなら、ほかの部屋にピアノを用意しますと言われるんですが、本番の前に練習したいというわけではないのです。それでは間に合わないですよね(笑)。そうではなく、本番で弾くピアノと語り合い、インスピレーションを得たいのです。東京文化会館小ホールでは、何時間もリハーサルができるので、さまざまなアイディアが湧いてきて、それを抑えることができないような状態で本番に向かうことができます。スクリャービンとラフマニノフ、素晴らしい世界観を持った彼らの音楽は奇跡だと思います。その奇跡を、聴衆の皆様と共有できることを幸せに思います」

Textby 森岡葉